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蜂谷家――。
祝賀会と称し、贅の限りを尽くした料理を準備させた勇人は、スパークリングワインが入ったグラスを掲げた。
「おめでとう、圭人」
「ありがとう、父さん」
蜂谷もジャスミンディーが入ったグラスを上げた。
「一時はどうなるかと思ったが、本当に20位以内に入るんだから、大したもんだ」
勇人は唸りながらおいしそうにワインを口に含むと、クルマエビのソテーにナイフを入れた。
「やめてよ。18番なんてギリギリすぎて、逆に恥ずかしいから」
蜂谷が俯くと、勇人は大げさに首を振って見せた。
「いやいや、番数もそうだが、偏差値だよ。平均で10以上上げたんだって?たった1ヶ月でだぞ?どう思う、依子」
急に話を振られた依子は危うく完熟トマトのマリネを落としそうになりながら、蜂谷を見上げた。
「ええ、すごいわ。頭の出来が違うもの。圭人さんは」
「――――」
蜂谷は言葉とは裏腹に悔しそうにこちらを睨む依子に一瞥をくれた後、父親に視線を戻した。
「まあ、センター試験までまだ時間はあるので、もう少し上げてから本番に挑みたいと思います」
「そうだな。ここで落ち着いてちゃ何もならん。最後まで気を抜くなよ」
勇人は頷き、大きく切り取ったクルマエビを口に頬張った。
「そうだ。勉強を教えてくれたお友達にも、お礼をしなければいけないんじゃないかしら?」
依子が嫌味たっぷりに言ってくる。
「右京君か?」
勇人が振り返る。
「そうそう。その右京君。彼のおかげで学力が上がったんだもの」
言うと勇人はキッと依子を睨んだ。
「それは正しい日本語じゃないよ、依子。正しくは、“学力がつく“か“成績が上がる“、だ。
そういうところからにじみ出る学力の低さが、お前がグループ全体から舐められる要因になっていると、どれほどいえばわかるのだ」
言われた依子は視線を震わせながら俯いた。
「……申し訳ありません」
クスクスと壁際で待機している小間使いたちが依子や勇人に聞こえるように笑う。
その女たちを隆之介が鋭い目つきで睨んだ。
「でも、そうだな」
勇人は口をナプキンで拭うと、蜂谷に向き直った。
「右京君だったね。一度夕食に連れてきなさい。きちんとお礼をしよう。もちろんそれ相応のお礼は別にするつもりだったのだが、一度フェイストゥフェイスで礼を言うのが筋というも―――」
「彼は」
蜂谷は口を開いた。
「おそらくそういう報酬的なものは受け取らないと思う」
「―――なぜ?」
勇人は片眉を上げた。
「彼の家のことはある程度調べている。けして裕福な家庭ではないと聞いたが?」
蜂谷は視線を下げたまま目を合わせようとしない堤下を横目で見てから、また勇人を見つめた。
「彼とは決別したんだ」
蜂谷は父親から目を離さずに言った。
「彼は……同性愛者だったから」
「―――!」
「………」
俯いていた堤下と、隆之介が同時にこちらを向いた。
「同性愛者……だと?」
勇人はナイフを持っている手を小刻みに震わせた。
「それでもしかして、お前……」
「関係を迫られた」
「――――!」
勇人の目が大きく見開かれる。
「安心してよ。ちゃんと断ったし、彼もわかってくれた」
「――――ならいいが……」
勇人はまだ眉間に皺を寄せたまま唸っている。
隆之介が視線を残す。
蜂谷は気づかないふりをして勇人に言った。
「彼とはもう会わない。学校で会っても話はしない。だからグループとしても、もう彼に関わるのは止めてほしい」
「――――」
堤下がピクリと反応をした。
「もし彼に何かしらマークを付けてるなら、もうそういうのもやめてほしい。一切の関係を切りたいんだ」
「―――ふむ」
勇人がため息をつく。
「どうせ彼は卒業したら山形に帰る人間だ。別に注視する必要はないだろ?」
蜂谷はふっと笑うと、自分もクルマエビにナイフを刺した。
◇◇◇◇◇
「兄さん…!」
夕食後、2階の廊下まで追いかけてきた隆之介に呼び止められ、蜂谷は振り返った。
「何?さっきの……」
「何って。聞いた通りだよ。あいつはゲイだったんだ。お前も町であったら気を付けろよ」
言いながら自室のドアノブを回す。
「あの人を求めてたのはあんたじゃないか!」
隆之介がドアを押し返し、蜂谷を睨んだ。
「――なんだ。覗き見か?いい趣味だな」
「ぐ、偶然だよ」
隆之介は目を逸らしたが、ドアを抑えている手は緩めない。
「とにかく、どちらから求めようが迫ろうが、俺たちは終わったんだ。今後一切あいつとは会わない。ないと思うが、お前も間違っても学校まで会いにきたりするなよ」
言いながらぐいと無理やりドアを引っ張り、蜂谷は身を滑り込ませた。
「――兄さん」
ドアの向こうで小さな声がする。
「……俺、もしかしたら。あの人ならって―――」
蜂谷はドアを振り返った。
「あの人なら、俺や兄さんを、この世界から救ってくれるのかもしれないって、ほ……本気で………」
「――ちっ」
蜂谷は舌打ちをしながらドアを開けると、目に涙を溜めた隆之介を部屋の中に引き込んだ。
そして右京とほとんど変わらない華奢な肩を掴んで覗き込んだ。
「――3年だ」
「?」
「俺が大学を卒業してから、お前が大学を卒業するまで、3年もある」
「――――」
「その間に俺が、お前のこと、何とかしてやる。望むなら蜂谷グループに入れてやるし、望まないならこんなクソみたいなところから、何の気兼ねもなく抜け出せるような体勢を作ってやる」
「え……」
「だからお前は、安心して学校生活を楽しめよ。な?」
頭を撫でる。
「お前は、友達を大事にしろ」
「……うん」
5年間で、弟の頭を撫でたのも、弟が真正面からきちんと両目で蜂谷を見つめたのも、初めてだった。