あてんしょん!
・オランダ×江戸さん。後半はオランダ×日帝(日本)さんです。
・鎖国前〜第二次世界大戦後、そして現代までを描きます。
・大体オランダさん視点。
・多少の暴力表現有り。
・R-18なし
・死ネタ注意。
地雷さんはご自衛ください。
では本編GO!
久しぶりに江戸から会わないかと誘われ、江戸の家へと行った時のことだ。
多分きっと、僕はこの日のことを一生忘れることは出来ないだろう。
あんまりにも強烈で、忘れるには1回死ぬしかないと思うくらいだったから。
彼は江戸の家へとやってきた僕を笑顔で出迎え、西洋人である僕に合うようイギリスから輸入したとか言っていた紅茶を出してくれた。
そして僕の向かいに座り、開口一番こう言ったのだ。
『お前はキリスト教を我が国に布教するか?』
真顔でそんなことを言うのだから、思わず『え?』と聞き返してしまった。
そう言った彼の表情はひどく真剣で、決して遊びで聞いているのではないと悟った。
腕を組み、こちらを疑うような目で見つめてくる。
全てを見透かすような蒼い目にほんの少しの畏怖が生まれた。
だが、決して負けぬようこちらも見つめ返した。
『…いや、僕は君の国にキリスト教を布教する考えはないけど』
『…そうか、なら良かった』
江戸は安心したようにため息をついた。
ほっとした顔に違和感を覚えて、僕はつい身を乗り出して聞いてしまった。
『そんなこと急に聞いてきてどうしたんだ、江戸。まさかキリスト狩りをするわけでもなかろうに』
『そのまさかなんだよ、オランダ』
江戸は腰に佩いていた刀の柄を握り、決心したように言葉を紡いでいく。
『キリスト教は、江戸幕府が日本を統治するのに邪魔でしかないのだ。
イエス・キリストが将軍よりも立場が上だと教えてしまっては、将軍に従わないキリシタン大名が出てくるかもしれない。
そんなことになっては、日本はキリシタンとそうでない者とで対立が起こってしまうだろう?』
『…確かに…』
江戸の言うことは正しくて、昔なら天皇…今は将軍を人民のトップとする日本の政治体制では、将軍よりも天皇よりも上の立場に居る『神』という存在は邪魔でしかない。
そうなれば、日本を統率するためにその『神』を排除しようとするのもわからなくもない話。
…だが。
『でも…でもさ、これから先外国と関わっていくんだったらキリスト教は認めとかないとだよ?アジアはまだ仏教が広まっているからいいとはいえ、近代化をどんどん進めてる欧米はキリスト教が主流だし…』
『嗚呼、そのことか』
江戸は笑顔で頷いた。
『それならば問題ないことだ。
これから私は鎖国するのだから』
『…はっ?』
また、聞き返してしまった。
『…え、お前、今鎖国するって…』
『嗚呼、言ったぞ。私はこれから鎖国する』
『…まさか、僕にキリスト教布教の意思はあるかって聞いたのも…』
『そういうことだ。もし布教の意思があるようなら、オランダとも今日限りで関係失効だった』
とんでもないことをすらすらと述べていく江戸に、僕はひたすら驚いていた。
鎖国というのは、そうそう簡単にしていいものではない。
鎖国期間中は他の国との関係を一切切るので、もし何かあっても他国の力を借りることは出来ない。
つまり国の発展は他の国より著しく遅れるし、他国の記録に自国の歴史が刻まれない期間を作るということ。
そんな重大な事柄を簡単にしてしまっては国の存続が危うい。
けれど、目の前で『鎖国する』ということを話した江戸の表情は嘘を言ってるようには見えない。
『…本気、なの』
『本気だよ』
『…本当に、良いの?』
『一体何が?』
焦る僕とは対照的にどこまでも落ち着き払っている江戸に、思わず僕は叫んだ。
…息せき切ってそう叫んで、後悔した。
『…ッぁ……』
『…………………』
江戸の表情が、一気に曇ったから。
江戸は俯いたまま、無表情で一言。
『…そんなこと』
『そんなこと…
とうの昔から分かってるよ…』
江戸はぽつりと、それだけ言った。
その日から江戸は、外に出るのをひどく嫌うようになった。
自分の敷地はまだしも、門扉の外へとは絶対に出ない。
あの日、僕は江戸に『ちゃんと理解しているのか』と激情に任せて言ってしまった。
けれど、部屋から1歩たりとも出てこない江戸の姿を見て、『これは江戸が本気で考え抜いた結果なのだ』とやっと理解した。
そして、キリスト狩りをすると言った通り、彼は絵踏によるキリスト狩りを始めた。
勿論彼が直接手を下すことは無かったけれど、江戸幕府に仕える武士がキリシタンを斬っていった。
流れる血に、道を歩いていた僕はただただ内心で怯えるしか無かった。
そんな状況の江戸と会えるのは、キリスト教を布教しないと約束した僕と中国だけ。
彼の家へと尋ねていき、和室で布団にくるまって閉じこもる彼の元へ世界のことを教えに行くのが僕の日課になりつつあった。
そんなことを続けて、もう200年が経つ頃。
『…江戸、僕だよ、オランダだよ。
今日も来たよ』
いつもの様に襖を軽くノックし、中からの返事を待つ。
モソモソと動く衣擦れの音が聞こえ、しばらくしてから
『……入れ』
という江戸の小さな声が聞こえた。
襖を開けると、珍しく布団の上に座ってこちらを見ていた江戸の姿が目に映る。
他の国とは違って江戸から拒絶されていないとわかって、なんとなく優越感を覚えた。
『今日も来てくれてありがとう』
『江戸に会えるならこれくらいどうってことない。それよりも、今日も持ってきたよ』
『阿蘭陀風説書か!』
一冊の本を取り出すと、江戸が食い気味で勢いよく反応した。
猫耳をぴこぴこさせ、昔は畏怖を覚えていた蒼い目でキラキラと書物を見つめる江戸に、思わず笑いが零れる。
『っはは、そんなにキラキラした目して…続き気になってたの?』
『当たり前だ!
引きこもって200年、外の世界をちゃんと見てないから…オランダの持ってくる世界情勢の本はすごく、すっごく楽しみなんだよ!』
僕の渡した本を江戸は嬉しそうに両手で抱え、そのままページをめくり始めた。
わくわくとした様子で本の世界に没頭していく様子は、まるで━━━…
(…子供みたいだな)
つい、そう思ってしまった。
『はー…今日の風説書も面白かった。
また次回も楽しみにしてるな!』
『ふふ、楽しんでくれたようで何よりだよ』
本は僕が複製して家に置いてあるので、原本は江戸のものになる。
彼は暇な時それを開き、世界の歴史を想像して楽しんでいるのだとか。
彼は、世界なんて自分の想像で十分楽しいと言ってくれた。
けれど、僕は彼に世界の全てを伝えてあげられていない。
一面に咲きほこるチューリップ畑。
どこまでも高くあるような、澄み渡った青空。
新しく民衆が考案した料理やお菓子。
洗練された文章の小説や絵本。
お菓子とか、本とか…そういった物を僕は持ってこれる範囲なら持ってきたりするけれど、やっぱりそれでも限界はある。
彼に、本物の世界を見て欲しいと…そう、願っていた。
『…あ、そうだ。
僕これから用事あるんだった』
『え、そうなのか?
じゃ、今日はお別れだな』
『明日は誰か来る予定あるの?』
『明日は…そうだな、来るとしても中国あたりだろう』
『確かにそっか、鎖国中だったんだ』
僕が笑うと、江戸もふふ、と微笑んだ。
なんとなく別れるのが惜しかったけれど、僕は立ち上がった。
『…じゃあね、江戸。
また来るよ!』
『嗚呼、またなオランダ!』
『バイバ………あ…』
そこで僕は一瞬固まった。
…前、アメリカから言われたことが頭によぎったから。
『オランダ。
また今度JAPANの所へ行ったときで良い、『開国しろ』と伝えてはくれないか?』
軍服を身にまとい、真剣な表情でそう言ったアメリカの姿が脳裏によぎる。
それを言うか否か━━━…一瞬、悩んでしまった。
『…ん?どうしたんだ、オランダ?』
襖に手をかけたまま止まっていたからか、江戸が訝しげな視線を向けられた。
僕は江戸のきょとんとした顔を見て体が震えた。
(嗚呼、やっぱり言えないな…)
世を怖がり、一歩たりとも外に出ない江戸。
こんな彼を、あの血と暴力と独裁にあふれた世界に放り出すわけにはいかない。
『…いや、ごめん。なんでもないよ』
『そうか…
じゃあ、また今度な』
『うん、バイバイ、江戸』
『バイバイ!』
僕が襖を閉めようとすると、奥で江戸が手を振っていた。
僕も手を振り返してから、隙間なく襖を閉める。
『…僕が江戸を、守らないと………』
江戸と話す時間。
それが僕にとって、今はもう大切な宝物同然だったから。
『…ふふ、やっぱりオランダと一緒にいると楽しいな』
外へと出なくなって、200年。
会うのは身の回りの世話をしてくれる人たちぐらい。
けれどその人たちは特にこれといった話をしないし、用事を済ませたらさっさと出て行ってしまう。
だから、このモノクロの世界に色彩を与えてくれるオランダや中国の存在は、ありがたいなんてものじゃなかった。
『…このまま、幸せな状況が続けばいいんだがな』
このまま一歩も外に出ず、民衆たちも争いを起こさず平和な時代。
そんな日々を永遠に続けていたかった。
そんな風に過ごしていた、その時だった。
『江戸様!!!!!』
突然、大きな音を立てて家臣がふすまを開けた。
『…五月蠅いぞ。一体如何したというんだ』
『すっ、すみません江戸様…ッ、ですが今はそのようなことを言っている場合ではないのです!!』
『…?言ってみなさい』
やけにその家臣は焦っていた。
嫌な予感がどうにも止まらず、掠れそうになる声で何とか指示をする。
『じ、実は、う、浦賀沖に…』
『浦賀沖に、黒船が…!!』
『…何だと?』
嫌な予感が当たってしまった。
一度だけオランダから聞いたことのあった、黒船の存在。
大量の砲口を備え、その気になれば海上戦を行うことの出来る亜米利加の蒸気船。
それが、私の家に近い浦賀沖に?
『…あちらは、何と?』
『『江戸に会わせろ』、とのことです。
…江戸様、如何なさいますか』
『ッ、矢張り狙いは私か…』
今までなら異国船打払令で異国船は容赦なく叩きのめしてきていた。
しかし、その相手がアメリカという大国ならば話は別。
私は布団から出て、窓を大きく開け放した。
暗かった部屋の内部に一気に光が入って明るくなったところで家臣を振り返る。
『…私の正装を用意してくれるだろうか』
『つまり、江戸様、まさか…』
『嗚呼、仕方あるまい…』
私は背筋を伸ばし、真っすぐに家臣の目を見た。
本気なのかと問うような家臣の視線に、私の意思を伝えるために。
『アメリカに会おう』
そう言うと、慌てて家臣は私の部屋から出て行った。
その背中を視線で数瞬追い、見えなくなったところで大きくため息を吐く。
(…まさか、アメリカが来るとは…)
鎖国して早200年。
時代が変わってしまうことを、私は薄々ながらに感じ取っていた。
和装に腕を通し、先方のことを考えて椅子を急いで用意した部屋の中。
『…遠路はるばるご足労でした、アメリカ殿。どうぞ楽に』
ここへ来る前にオランダと話していたおかげで、声はよく通る。
けれども、どうしても声は心なしか震えてしまった。
『……』
私の視線の先には、黒い軍服を着てつまらなさそうに座るアメリカの姿があった。
アメリカが武器を一切持っていないことを確認できたので、私とアメリカはたった二人きりで机を挟んで対峙している状態。
それでも大国を相手にするこの空気に思わず飲まれてしまいそうだった。
『鎖国中だというのにこの待遇、心より感謝する。
それはさておき、今回はこの国の代表者である貴君に頼みがあって来航させていただいた』
『…一体何の御用で?』
『それはだな』
ズズ、とアメリカは出したお茶を飲んだ。
『単刀直入に言う。開国しろ』
『……は?』
思わず素の声が漏れた。
『我々は捕鯨を行うのだが、その際に燃料や水、食料といった物資の提供を求めたいのだ。そのために貴方方日本国には、開国をしていただきたい』
『…鎖国は200年以上我ら日本国の行ってきた政策。そうそう簡単に、『はいわかりました』と出来るものでないと承知の上での頼みでしょうか?』
『嗚呼、そんなもの理解の上だ』
アメリカはにっこりとほほ笑んだ。
その笑みに、背筋が逆立った。
『でもな、江戸殿。そちらこそ理解していただきたいのだが、これは『頼み』ではなく『命令』に近い。
貴方も見たでしょう、私の乗ってきた黒船を。今や世界はあんな風にして国を渡る。
…この技術で日本国を攻撃すれば、一体どうなるんだろうか?』
『…それは脅し、ととっても宜しいのでしょうか?』
『さぁ?そのあたりの解釈は貴方に任せる』
アメリカはそう言い切ったのち、一枚の紙を取り出した。
英語がズラズラと書かれ、一切読めない紙面。
『開国して捕鯨船の補給を認めていただけるのなら、この書類の下に貴方のお名前を。
Dus wat is je antwoord?』
『…ッ』
オランダ語で問われた言葉。
アメリカは完全に、こちらが英語に弱いことを知っている。
(…この条約、ここで了承するとまずいことになるな)
本能が一瞬でそう判断し、私はその書類を突き返した。
『…悪いですが、このようなことを私一人で決めるわけにはいきません。今まで200年以上鎖国してきた国、開国は日本史に残る重要な事柄となるであろう事柄…。…最低でも1年時間が欲しいですね』
『…ふむ、一理ある』
アメリカはその書類を大切そうにカバンにしまい、お茶を飲んでから立ち上がった。
『わかった。ではまた1年後、我々はもう一度日本へと訪れる。…今度は、もっと沢山の黒船を連れて…ね?
鎖国などという政策、もうこの世界では古いということもその賢い頭に留めておくと良い』
肩をポンと叩かれ、そして私の後ろにあった襖からアメリカは出て行った。
アメリカが部屋からいなくなった瞬間、一気に全身から冷や汗が噴き出す。
『…は、ッ…』
上手く息が吸えない。
(あんな風に、アメリカ相手に言ったは良いが……)
今まで鎖国していた国が、あんな風に技術革新の進んだ大国を相手に、まともに太刀打ちできるわけがなかったのだ。
『…なぁ、オランダ…』
ぽつりと、無意識のうちに知己の名が零れた。
『私は…私は、一体…』
『私は一体、これからどうすれば良いんだ?』
1853年、6月3日。
アメリカが日本へと黒船で来航したこの日、鎖国状態にあったために歴史の動かなかった日本がようやく歴史の一ページをめくることとなった。
『江戸…僕だよ、オランダ…
君に、会いに来たよ…』
その日から、江戸はそれまで以上に引きこもるようになった。
今まで会うことを許されていた僕や中国でさえ、江戸とは直接会うことが難しくなった。
理由を問うても、『関係ない』の一言で一蹴されるだけ。
そんな日が続いても、僕は毎日のように江戸へと会いに行った。
でも、閉じこもり続ける江戸とどうしても会いたくて、僕は襖にすがった。
『…お願いだよ、江戸…会いたいよ。
君が今、どんなことを考えているのかを知りたいんだ…』
襖をノックすることをあきらめて、僕は襖へと背中を預けて地べたに座りこんだ。
中ではほんの少しの衣擦れの音。けれど、それが襖を開ける音へとは変わらない。
『…聞いたよ、江戸。
浦賀沖に、アメリカが黒船で来航したんだって…』
そういった瞬間、部屋の内部での音が一切止んだ。
今まで江戸のことを考えて、黒船のことは話すことを控えていた。
けれど、もうこの言葉をこらえるのも限界だ。
大声をあげたくなる声を必死に抑え、いつも通り世間話でもするかのような声色で必死に声を絞り出した。
『あのね、江戸。僕は君のことを誇りに思うんだ。
異国が怖いと言っていた君が、アメリカなんていう大国と正面からぶつかった…
それって本当に凄いことだと僕は思うんだ…』
ガサ、と内部で物音がした。
良かった、ちゃんと、ちゃんと江戸はそこに居てくれて、僕の話を聞いてくれている。
僕は、ようやく江戸に伝えられていなかったことをこの場で言った。
『…ごめんね、僕、本当は初めから知ってたの。江戸のもとへといずれアメリカが来るだろうってこと。
本当はずっと前にアメリカから言われていたんだ、『江戸へ開国するように促せ』って。
でも、僕は怖かった。
こうして、君と話す時間が…開国したら、無くなってしまうんじゃないかって思ったら…手放すのが、どうしても惜しくて…』
『…それくらい、君が大切な存在になってたんだよ…』
膝を抱え、顔をうずめた。
こんな大切なことをずっと言えないままだった僕自身が、心底嫌に思えてきたから。
江戸はずっと僕に向かって真剣に向き合ってくれていた。真剣に向き合って、言いたいことは全部ぶつけてくれていた。
なのに、僕は言いたいことを全部誤魔化した。
そうして会えなくなってから後悔し、面と向かって言うことが出来なくなる。
ただの自業自得だった。
江戸が今どんな表情をしているかなんて僕にはわかりっこない。
ただ、今ここで全部言わないと僕は江戸と永遠に話せなくなってしまいそうな気がした。
だから、必死に話した。
やらなかったのことの後悔はもう二度としたくなかったから。
『僕、本当に自分が情けないよ。
君はずっと僕にぶつかってきてくれていた。
なのに、僕は君を独占したい…そんな物に似た気持ちで大切なことを全部隠した。
自分勝手な国で、本当に、ごめん…』
そこまで言って、もうそれ以上言えなくなった。
もっと沢山感謝と謝罪を伝えたいのに、溢れそうになる涙を抑えるのに必死になって声を出す力まで手が届かない。
必死に目元に力を入れてこらえていた時、僕の背中にあった襖が少し動いた。
『……江戸…?』
慌てて襖から背中を退けると、ほんの少しだけ襖が開いた。
その間から覗く、江戸の目を伏せた悲しそうな表情。
でも、その口元は少しばかり笑っていた。
『…やっと、お前の気持ちを聞けた』
江戸は襖をさらに開け、僕の前に姿を現した。
目元にできた濃い隈が、アメリカ来航がどれほど辛かったのかを物語っている。
江戸は疲れ切ったような表情で微笑んだ。
『昔からお前は私のことを考えるばかりで自分の気持ちを押し殺して接していたように思っていた。
お前の感情の吐露を最後に聞いたのは、200年前の鎖国前のあの日だけだった…』
江戸は座り込んでいる僕の前にしゃがみこみ、僕と視線を合わせる。
たとえその目元が隈で疲れ切っているような雰囲気を出していたとしても、その蒼い目の中に宿る意志の強さは消すことが出来ていなかった。
『…すまないな、黒船来航の日からずっと閉じこもって、お前も中国も全員関わるなと言ってしまって。
…でも、ようやく…お前の気持ちが聞けたから、私の答えも決まった』
江戸は僕の頭を撫でた。
そして、ゆっくりと言ったのだった。
『私は…』
『私は、開国するよ…』
それから約半年後。
再び黒船が江戸へ、しかもその数7隻と増えた状態で来航した。
江戸は再びアメリカを出迎えた。
今度は僕も一緒だった。
『時期を早めてしまってすまないな。もうこれ以上待てないと判断したうえでの行動だ、わかっていただけるとありがたい』
『いえ、平気です。もうこちらも返事は決まっていますのでね』
『…へぇ、もう決まったのか…』
アメリカは面白そうに微笑んだ。
僕も口を出したくなったが、今回の話はアメリカと江戸との問題。
部外者が口を出してはならないと判断し、僕は部屋の隅に控えるだけにした。
『…さて、では返事を聞こうか。
これが今回用意した『日米和親条約』の書類。これにサインした時点で開国扱いとなる』
『…』
江戸が筆を手に取った。
用意していた墨壺にその筆を浸し、ゆっくりとその書類に『日本国』と書いた。
『…開国してくれてありがとう、アジア極東の国Japan。
これから世界の一員として、よろしく頼む』
『…えぇ、よろしくお願いします…アメリカ殿』
アメリカと江戸が、固い握手を交わした。
1854年3月3日。
江戸幕府は重い腰を上げ、200年以上の鎖国を取りやめて開国した。
僕の知っている江戸は、とうとう僕の手中から離れて行ってしまった。
開国してから、江戸は僕と中国以外にも貿易を始めた。
つまり、江戸の家へと向かう途中にはオランダ人以外の西洋人がたくさん江戸の町を闊歩している状態。
なんとなくその雰囲気が落ち着かなくて、僕は足を速めて江戸の家の門扉を叩いた。
叩いてからすぐ、笑顔の江戸が顔をのぞかせた。
『おぉ、オランダ!来たか!』
『来たよ…って、江戸!?どうしたのその恰好…!?』
『ふふ、良いだろう?
外国から今は軍隊を持つべきだと言われて一着だけ譲渡されたんだ』
そんな風に笑顔で話す江戸が身に纏っていたのは、いつもの着物ではなく西洋式の軍服。
すらりとした体躯の江戸にはそれはすごく似合っていたけれど、だんだんと西洋化が進んでいる姿を見て焦燥感を覚えたのもまた事実だった。
『せっかく開国したんだ、列強の植民地にならないためにも我が日本国も強くしていかなければ。
だから今度、外国から講師を招いたりして海軍学校を設立しようと思ってな』
『海軍…』
『嗚呼。かの有名な伊能忠敬が作った地図によれば、日本国は海に囲まれた島国。
だったら外国が攻めてくるのは海からだし、海軍を先に設立してしまおうと思ってな』
意気揚々と話す江戸。
楽しそうだけど、だけど…
(…焦ってるな…)
開国したばかりの島国。
いつ西洋の列強の餌食になってもおかしくない状態。
江戸は、自分の国を守るために必死だった。
時は流れ、数年後。
僕は今日も江戸の家を訪れていた。
けれど、今日は門扉を叩いても江戸の姿は一向に現れなかった。
『…江戸?』
おかしいな、と思って門を押してみると、案外あっさりと開いた。閂はしていなかったらしい。
一応江戸が迎えに来ないときは勝手に上がっても良いと言われていたので、僕は江戸の家の敷地へと入った。
『お邪魔します…』
そう断ってから江戸の家へと上がらせてもらうと、中からきゃっきゃと子供のような声が聞こえた。
(子供の声……?)
声の聞こえる部屋の襖を開けると、そこには見慣れた着物姿の江戸の姿。
『あ、江戸、今日来なかったから家に来た━━━…って…』
『誰、その子…?』
胡坐をかき、江戸が頭を撫でていたのは見慣れない小さな子供の姿だった。
『嗚呼、オランダか。見て見ろ、此奴とても可愛いだろう?』
『い、いや、可愛い…可愛いけど!!どうしたの急に!?』
その子は僕をきょとんとした表情で見つめていた。
顔のやや左側に日の丸、それからまるで光が差すかのように赤い線が数本左右対称に伸びている。
頭には猫耳があり、ぴこぴこと揺れていた。
『この子を見せるのはお前が最初なんだが…
この子、実は私の後継の国らしいんだ』
『後継の国…って…』
『この子は私の前に現れた時、何もわかっていなかった。
ただ、名前と自分がどういう存在かだけはわかっていたから快く教えてくれたんだ』
江戸は愛おしそうにその子を見つめ、重要な秘密を打ち明けるように言った。
『この子の名前は大日本帝国海軍。通称、海。
この子がこれからの日本の時代を背負っていく子らしいんだ』
『……海…』
呆然と名を呟くと、その子供━━━…海は首をこてんと傾げた。
と、それよりも。
『……後継の国が現れたってことは、つまり』
『嗚呼、そうだ』
『江戸時代は、もう終わるらしい』
江戸はあっけらかんと言った。
『…そ、っか…でも、仕方ないよね…開国、したんだし…』
『…嗚呼。これまでの200数十年、私は生き過ぎた。
もうそろそろ、休むタイミングなのかもしれない…』
少し出ようか、と言って立ち上がり、江戸は奥へと進んでいく。
その少し後ろを海が小さな歩幅でとてとてと着いていき、僕はさらにその少し後ろを歩いた。
長い廊下を進み、縁側へと着くと江戸は腰を下ろした。
その隣に僕も座った。海君は僕と反対側の江戸の隣へと座る。
『…オランダ、一つ頼み事があるんだ』
『どうしたの、江戸…?』
江戸は僕の手を握った。
彼から触れてくるのはとても久しぶりだった。
『…この子はきっと成長したらこのアジアでとても強い国と成るだろう。
それこそ、欧米列強と並ぶほどに。
でも、そうなったとき、力のままに行動し時には道を踏み外すこともあるかもしれない…』
『もしそうなったときは、お前に正してほしい。
私と数百年間関わり続け、鎖国中も会いに来てくれた中国と並ぶ唯一無二の国として。
アメリカでもイギリスでも、私をよく知る他の誰でもないお前に…』
江戸は初めて僕に頭を下げた。
その願いに、僕は手を握り返した。
『…当たり前だよ、江戸…』
『そんなの、言われなくてもするから安心してよ…』
顔を上げた江戸の瞳は、蒼色が揺れて潤んでいた。
固い握手を交わしてから、僕は江戸に抱き着いた。
『わぷっ…きゅ、急になんだ!?』
『い、いや…江戸が頼ってくれるのが、嬉しくて…つい』
『私の国にハグの文化はないと言っているだろう…』
苦笑いをしながらも、江戸はハグを返してくれた。
『この子のこと、頼むな』
『…勿論!』
僕たちは笑いあった。
こんな風に、僕たちはずっと一緒に居られると思っていた。
それが崩れるのは、ほんの数年後のこと。
江戸が死んだ。
江戸時代は大政奉還によって終わり、そのタイミングで役目も失った江戸も斃れた。
『……江戸…………』
何百年も通った家の中、その奥の間。
愛する人が横たわる布団の横で、呆然とそう呟いた。
散々泣き続け、目元がびっくりするくらい赤く腫れた。
そのくらい泣いた。けれど、また江戸が死んだことに実感が持てなかった。
『……オランダさん、父上の為に来てくれてありがとうございます』
『…海か…』
いつの間にか、真っ白い軍服を身に纏った海が僕の横に居た。
線香を備えた後、感情をこらえるように口を真一文字に閉じて正座して座った。
ぽつりと彼は話した。
『いつも、父上から貴方のことは聞いていました。
本当に尊敬する国なんだと、心底誇らしげだったのをよく覚えています』
『…そうか…』
何を聞いても、頭にうまく入ってこない。
それくらい江戸の死は僕にとって衝撃的すぎた。
海が正座して膝に置いたままだった僕の手を握った。
それがいきなりだったので、びっくりして海の方を見ると、海は真剣な表情で僕の目を見ていた。
『…オランダさん、これからは俺が頑張ります。
父上の遺してくれたこの国を守るために、頑張りますから。
だから…』
『だから、もうこれ以上泣かないでください』
海がそう言った。
泣かないで、と言われたのに、また視界がじわりとボヤけていく。
散々泣いたはずなのに、また僕は泣いた。
1867年10月。
開国してからまだ十年ほどしか経たない、よく晴れた日に江戸は永遠に旅立った。
江戸が死んでから、僕と海とは会う機会がぐんと減った。
会っていない間にも海は必死の努力の末、大日本帝国を建国し、見る見るうちに欧米列強と並ぶアジアの強国として名をはせるようになった。
海の後に続くように、『大日本帝国陸軍』や『大日本帝国海軍航空隊』が現れた。
それぞれ、陸、空、として名を名乗った。
久しぶりに海や陸、空に会いに行けば3人とも笑顔で出迎えてくれた。
『いらっしゃい、オランダさん。
お茶出しますのでゆっくりしていってください』
『いつもありがとう。…最近はどうだい?』
『最近…最近ですか、結構良い感じに戦争に勝てていますよ』
陸が笑顔で答えた。
今は、江戸が死んでからもう53年が経つ1920年。
第一次世界大戦を終え、連合国側としてイギリスなどに支援を行った大日本帝国は戦勝国となっていたのだ。
『やっぱり大日本帝国は強いんですよ。神風の吹く国ですから』
『…たしかに、大日本帝国は強いけど…さ。あんまり戦争とかって方面に進み過ぎないように…ね?』
『オランダさん…』
空も陸も、きょとんとした表情で僕を見つめた。
そのあと、こくりとうなずいた。
『…わかりました、』
『心に留めておきます』
その言葉を信じた。
その十数年後、あんなことになるなんて思いもしなかった。
ドイツ━━━…ナチス・ドイツがポーランドへと侵攻し始まった第二次世界大戦。
そこで僕と大日本帝国は、初めて対立した。
『なぜ…なぜ貴方は枢軸側にならなかったんですか!?
この戦争は枢軸の勝ちです!!イタリア王国、ドイツ第三帝国、そして神風の吹く我ら大日本帝国を軸とした枢軸が勝つのですよ!!』
海が叫んだ。
僕は海へと銃身を向け、5mほど離れて立っていた。
第二次世界大戦。
大日本帝国は枢軸国側へ、そして僕…オランダは、連合国側へ。
真っ向から対立してしまったのだ。
『…君たちは間違っているんだ。
武力で世界を統率しようだなんておかしいじゃないか!!
そんなの江戸は望んでない!!』
『今はもう父上の時代じゃない!!我ら大日本帝国の時代だ!!
そもそも植民地を持って東南アジアを支配する貴方がそれを言えることか!?』
『ッ…!!』
激しい言い争い。
僕も彼も、激しい武力戦からもうボロボロだ。
僕はナチス・ドイツからの攻撃を受け、イギリスが居たからまだ生きているだけ。
大日本帝国も中国や東南アジアへと侵攻し、もう心身ともにボロボロだった。
そんな極限の状態の中、ふと僕の最愛の友人と交わした会話が鮮明によみがえった。
『欧米列強と並ぶほどに力を持った時、もしかしたら力のままに行動し、時には道を踏み外すこともあるかもしれない。
もしそうなったときは、お前に正してほしい。
アメリカでもイギリスでも、私をよく知る他の誰でもないお前に』
そう言って頭を下げた江戸の姿が脳裏をよぎった。
『強国ばかりの連合国でも降伏させられない君を、こんなちっぽけな僕が止められるわけがないってことくらいわかってる。
でも、それでも、たとえ僕が君を止めることが出来ないとわかっていても、僕はここに立ち続けるんだ』
そう言って、僕は銃の引き金を引いた。
でも、それは結局泥試合だった。
僕のような小さな国がアジア最強とまで謳われた大日本帝国、それもあの世界最強とされたロシアのバルチック艦隊を打ち破った海軍に勝てるはずもなかったのだ。
結局僕は慌てて駆け付けたイギリスに引きずられるように退却させられ、それから、
大日本帝国に原子爆弾が落とされ、降伏したことをまもなく知った。
僕は焼け焦げた日本の町を走り回っていた。
原爆だけじゃない、毎日のようにどこかに降り続ける焼夷弾によって焼き尽くされた街並み。
そこに居るはずの、あの子たちの姿を探して。
でも、結局見つからなかった。
悲鳴を上げる体に鞭を打って必死に東奔西走してようやく会えたのは、極東国際軍事裁判のすぐ後のこと。
その裁判所に居たのは、陸。
ただ一人だけだった。
『…陸…』
『…オランダ、さん…』
そう呼びかければ、虚ろな瞳で見上げられた。
顔中には真っ白のガーゼで大量に手当てをされ、片目を覆うほどに包帯を巻かれた陸の姿。
丁度ヒロシマに居た陸は、原子爆弾の爆心地近くで原子爆弾をもろに食らったそうだ。
それでも生きているのは国だからという理由で、死にそうになるほど苦しい思いをしても決して死ぬことのない苦しみと戦っている間に連合国軍にとらえられた。
腕や足も爆風や瓦礫によって折れ、今は車いすに座ってぼんやりとどこかを見つめるしかしていなかった。
『陸。海や、空は…』
『…あの二人は…』
『死にました』
『…やっぱり、そうか…』
裁判所に居ない時点で察していた。
今やもう残る大日本帝国の化身は陸、ただ一人だけ。
傷だらけのその身一つに、『敗戦国』というレッテルを一生貼られ続けることになったのだ。
陸は不意に笑った。
『…オランダさん、貴方は私を軽蔑しますか?
貴方の忠告も聞かず、戦争へと走って結局負けた、私に…』
そう問われた。
僕はすぐに首を振った。
『軽蔑なんか絶対にしないよ。
僕たちは国だ、人間なんかよりもずっとずっと長く生きる。
生きて、意志を持って動く限り、絶対にどこかで間違える。
それが君の場合、この戦争だっただけ。
僕だって間違えた過去はある。だから、軽蔑なんかするわけがないでしょ?』
陸は特にこれといった反応も見せず、虚無の瞳で僕をただ見つめていた。
そしてしばらくしたのち、うなずいた。
『…そうですか…』
ただそう一言、言っただけ。
僕はこれ以上、彼に声をかけることが出来なかった。
『オランダ』
僕の後ろから声がかけられた。
振り返ると、そこに居たのは━━━…
『…アメリカか』
『日帝の様子見てくれてたのか』
スーツを着て、サングラスをかけたアメリカの姿。
いつもは笑ってばかりいるアメリカだが、流石にこの場で笑っているわけにもいかないらしい。
『裁判。結局、どうなったの』
『極東国際軍事裁判か。…人間の方は7人がA級戦犯として死刑。日帝は…旧国として戦争の記憶を持つ者として生きることになった』
『そっか…陸は、生きるんだね』
『本人は死刑にしてくれって言ったがな…』
アメリカが陸へと視線を向けた。
陸はもう顔を上げる気力すらないのか、ずっとうつむいたまま微動だにしなかった。
『でも、俺はこれから先の未来陸が必要だと思っている。
戦争の悲惨さを最前線で知り、原子爆弾の威力もその身で思い知った。
戦争は何も遺さないことを誰よりも知った日帝の存在は、きっとこの先役に立つだろうから』
んじゃ、日帝のこと頼む、と言ってアメリカは席を外した。
僕は近くから椅子を引き寄せ、日帝の隣に座った。
『…陸。君、死にたいって言ったの?』
陸は頷いた。
『…どうして?』
そう問うと、陸はゆっくりと口を開いた。
『……海も、空も死んだんです。
家族が全員死んで…先輩も、イタ王も居なくなった…。
……もう、私が生きていても…仕方がないし…
こんな大罪を犯した国が居ても、誰も必要としてくれないから…』
『…』
僕は陸の話に口を挟まず、最後まで聞いた。
話し終わったタイミングで、手すりの上に置かれた日帝の手に手を重ねた。
『…僕はね、陸。さっきも言った通り、間違えるのは生物の宿命だと思ってる。
家族を失うことは、とても辛い事。…その辛さは、僕もわかってるつもり』
陸は反応を示さなかった。
まるで、アメリカが来航した後の閉じこもる江戸と話しているような感覚に陥った。
『でもね、陸。間違いを犯した程度で誰も君を必要としなくなるなんてことはない。
裁判で言われたんでしょ、『死刑には処さない』って。
つまり、君は世界から必要とされてる。戦争を知った者として。戦前の世界をずっと見てきた者として。
そして、世界の大切な一員として。君は世界中から必要とされてる』
『…そんなの、どうして言い切れるんですか。根拠もないくせに…』
陸が顔を上げた。
その表情からは想像できないほどに鋭い眼光が向けられる。
けれど、僕は決して目をそらさなかった。
『…それはね、陸』
『今はこうしてボロボロでも、君は絶対に立ち直れると世界中が信じているから』
『…だから、一度信じてみてはくれないかな。
君を取り巻く、国たちのことを』
陸は、肯定も否定もしなかった。
今はこれで良い、と僕は思った。
今は陸は自分のことで手一杯。
けれど、絶対にいつか彼は家族を失った悲しみや戦後の苦しみから立ち直れる。
それを僕たちは、ずっと待つつもりだから。
━━━…それから数十年後。
歩いていると、見慣れた後ろ姿が目についた。
「…あ、陸…いや、」
手を振ってそう呼べば、その人物は振り返った。
懐かしい旭日旗は日の丸だけの日章旗へと変わり、戦後は酷かった傷跡も綺麗に消えている。
最早『戦後』ではない国が、そこに立っていた。
日本は笑顔を浮かべた。
「オランダさん!こんにちは!」
「Hallo!今日はありがとうね、僕の説明会来てくれて…!」
「いえ、重要な事柄だと聞きましたし…オランダさんの説明会ならたとえ国外だろうと行きますよ!」
拳を力いっぱいに握り、力いっぱいにそう言う日本の姿は生き生きとしていた。
大日本帝国時代は無口で無表情だった陸だけども、他の国と関わるうちに段々と明るく、口数も多くなっていった。
おそらく、こちらが陸の本当の姿。
安心して自分を出せるようになって本当に良かったと心の底から安心した。
「んじゃ、会場まで一緒に行こっか」
「はい!」
笑顔で日本は頷いた。
その後、会場に着いた僕らは別れた。
僕はステージ上へ、日本は用意された座席へ。
そのあとも続々と他の国が集まり、壇上から世界中の国々を見下ろす感覚は新鮮だった。
僕はマイクを手に取り、パソコンをスクリーンへと投影させる。
今回の議題は、僕の名前についてだ。
『…皆さん、今回は私の発表へと来てくださってありがとうございます。
今回の発表の内容は、以前から改正を求められていた二通りの私の名前についてです』
エンターキーを押し、スライドを動かす。
『私には昔より、『Holland』と『The Netherlands』の二通りの名前がありました。
しかし、書類を作る上などに不便となったためどちらか片方への改正が求められたのです。
それについての協議が先日終わったため、この場で発表させていただきます』
エンターキーを、再び押した。
『これからは私の名前を、『The Netherlands』と統一します!!』
会場にざわめきが起こった。
まぁ仕方ないか。Hollandの方を使っていた国も結構あるわけだし…
(…ん?)
その中でもとりわけ慌てていた国を見つけた。
(…日本か)
それは、日本だった。
日本が僕を呼ぶときの『オランダ』というのは、『Holland』が呼びやすいように日本語に直ったもの。
『Holland』が廃止されるとなれば、それを元としてできた『オランダ』も変更しなければならないのが普通。
でも、僕はしっかり考えていた。
『━━━…ですが、皆さん!』
そう声を上げると、皆のざわめきがぴたりと止んだ。
静まり返ったのを確認してから、僕は会場を見渡しながらゆっくりと言った。
『日本で使われている『オランダ』という言葉は、『Holland』を語源としたものです。
ですが、日本では『オランダ』という名称が定着しているため、日本に限っては国名表記を変更する必要はありません!』
日本の方を最後に見て、僕はウィンクをした。
日本の表情に笑顔が広がった。
発表会終わり。
僕はまた日本と帰路を共にしていた。
日本がしみじみとするように言葉を発した。
「いやー…まさか私の所だけ国名変更しなくていいなんてびっくりしましたよ…」
「だっていきなりオランダ以外に変更ってなっちゃったら、日本だったら相当の数の書類とか教科書とか変更しなきゃでしょ?それにオランダって呼びやすいし短いし!」
「ふふ、本当に助かります…ありがとうございます、オランダさん」
日本が笑顔で軽く頭を下げた。
僕はふと、歩みを止めた。
「…それに………」
『引きこもって200年、外の世界をちゃんと見てないから…オランダの持ってくる世界情勢の本はすごく、すっごく楽しみなんだよ!』
そう言って満面の笑みを浮かべていた、彼の姿が脳裏をよぎる。
「…オランダさん?」
「…ぁ」
いきなり止まった僕に、日本が不思議そうな表情で振り返っていた。
「どうしたんですか?いきなり止まって…」
「…ううん、なんでもないよ。行こう!」
日本に呼びかけられて、慌てて僕は歩き出す。
…ねぇ、江戸。僕の最愛の友人。
君と過ごした数百年、僕はとても楽しかった。
目をキラキラさせて僕の話を聞いてくれる優しい君が、本当に大好きだった。
君の後継の国は、戦争したりで大変だった。
でもそれ以上に、海も、陸も、空も…愛おしかった。
江戸。
僕はね、君のことを決して忘れたりはしない。
だけど、君はもう居ない。
僕は決めたんだ。
これから先、ずっとずっと日本と仲良くしていこうって。
君と過ごせないこれから先の未来を、日本とずっと。
「…ずっと見ていてね、江戸」
沢山沢山、君に話したいことがあるから。
だから、いつか僕がそちらへと行く、その時まで。
Fin.
総文字数、約1万8千文字。
この小説、実はアイディアを思いついたのが11月のはじめなんですよね…すっごい温めまくってた作品です。
初めだけ書いて没!!ってしてたんですけど、今まで書いた没作品を眺めている内に『…これ没だけど、やっぱり良いんじゃね?』と思ったのがこの作品でした。
江戸さんとオランダさんは絶対親友だろうと思ったので、仲のいいところを。
そして、それを引き裂くように現れるアメリカさん。
江戸さんの跡を継ぐ、日帝さんが生まれ━━━…
そして、生き残った陸さんが現日本国として生きていく姿。
それを見守るオランダさんという構図を書きたかったので、最後まで書き上げられて良かったです…!
誤字等あればお知らせいただけるとありがたいです。
ではまた皆さん、いつかお会いしましょう。
天原でした。
コメント
8件
マジで書いて下さりありがとうございます...!!(←オランダ推し) なんか...もう人物の心情表現が細かくて、儚くて素晴らしいですね!! 泣かせていただきました...、、
え…もう本当に好きです… オランダ君と江戸の関わり合い本当に好きや…いいね… 天才か? 書籍化してくれたらもうすぐに本屋に行って買いに行きます あ、なんかハガキとかも入れててくれてるとうれしいでs(((
一万文字以上まで続く天原さんの小説、、、 ストーリー性があってめちゃくちゃ好きです。