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ほんの数日前まで見えるものすべてがまぶしかった。沙羅さんを見れば、年は同じなのに結婚していて子どもが二人もいるのがうらやましかった。女子高生の莉子ちゃんを見れば、比べると自分がおばあちゃんに思えるのが悔しかった。店長を見れば、性格悪いのに若手のホープと会社に期待されてるのが納得いかなかった。どうして私だけこんなに不幸なんだろうと、ときどき竜星や礼央を思い出しては恨みがましく思う夜もあった。
でも大智君という恋人を得た今は、周囲がまぶしく見えることもなくなった。別に私が誰かにまぶしく見える必要はない。今の生き方が間違ってないと私自身が思えればそれでいい。
かつて致命的な過ちを犯して大学を中退し見ず知らずのこの街に逃げてきたとき、私はきっとこれから死ぬまで一人ぼっちなんだろうなって覚悟した。
それから七年経って今私の隣には大智君がいる。私が望めばいつだって、いつまでだって私の隣にいてくれるという。思わずうれしくなって後ろからぎゅっと抱きしめる。
「詩音さん、人に見られますよ」
「別に誰に見られたっていい。沙羅さんや莉子ちゃんに見られたっていい。自慢の彼氏だって自慢していいよね?」
結局、大智君は二晩連続で私の部屋にお泊りした。翌朝、朝食を買いにコンビニに向かおうと、二人でアパートの階段をカンカンと降りていく。突然後ろから抱きしめられて、大智君は口では文句を言いながら、まったくの無抵抗のまま立ち止まってるから、嫌がってるわけではなさそうだ。
無抵抗なのをいいことにさらに強く抱きしめる。と、そのとき見知らぬ偏屈そうな老夫婦が階段の下から私たちを見上げて顔をしかめてるのが目に入った。朝っぱらからふしだらな、とでも思われてるんだろうか? でも別に裸を見せてるわけでもないし、ただハグしてるだけなんだから、それくらいそっとしといてほしいんですけど!
「詩音さん」
「なあに?」
「僕の両親です」
「ええっ!」
そのとき自分がどんな顔をしてたか思い出せないけど、最高に間抜けな顔をしてたに違いない。
「西木詩音です。私なんかが大智君の恋人になってしまって本当にすいません!」
言ったことに間違いはないけれど、もうちょっとクールでクレバーな挨拶の仕方ができなかったものかと、このときのことを振り返るたびにいつも思う。
大智君のご両親にうちに上がってもらった。昨夜から、というか朝起きてからも今からほんの三十分前まで大智君と私がセックスしていた空間に彼の両親がいる。なんかシュールだと思った。
私と大智君の前にご両親が座っている。お母さんがきょろきょろと部屋の中を見回している。見られてまずいものがまだ残ってないか心配になる。
彼が新たに買ってきた避妊具の箱など、隠さなければいけないものはすべて、私たちの汗と体液のしみ込んだ布団といっしょに押し入れの中に突っ込んだ。
アラサーでしかもその日暮らしのアルバイトの分際で、よくもうちの大切な息子をたぶらかしてくれたわね!
そんなふうに責められるのかと思ったら、逆に謝られて戸惑った。
「ごめんなさいね。大智が昨夜、友達に会いに行くと言って家を出て自転車でどこかに行ってしまったけど、昔のことを思い出して胸騒ぎがして、お父さんの車であとをつけてしまったの」
「昔のことって?」
「僕は中学の頃、同じ学校の不良たちによく夜に呼び出されて殴られたりお金を取られたりしてたんだ」
「ひどい!」
思わずそう反応してしまったけど、実は大智君が自殺未遂に追い込まれた頃のいじめは今言われた内容がまるでかわいく思えるほど悲惨なものだったことをやがて私は知ることになる。
そんなに酷いものではなく、みんなで無視したり意地悪したりする程度のいじめなら私の中学時代にもあった。でもそのとき私はそういう場面を見かけても、見て見ぬふりをしていただけだった。私が破滅したのは、神様が私のような偽善者が教師になることを許せなかったからかもしれないな――
「詩音さん、涙が……」
大智君が私の目元をぬぐってくれた。
「優しい人なのね」
お母さんに感心されたけど、私は全然人に感心されるような人間じゃない。そうだ。私は教師になってはいけない人間だったんだ。馬鹿だからすべてを失うまでそのことに気づけなかった。
「大丈夫?」
「大丈夫。でも君がそばにいてくれなかったら、大丈夫じゃなかったかもしれない」
結局ご両親は大智君の恋人が私であることをどう思ってるのだろう? 賛成か反対か、それとも無関心か? いや無関心はないな。大智君の恋愛に無関心なら、そもそもこのうちに足を踏み入れたりしないはずだ。
「詩音さん」
「は、はい……」
「あなたのことを少し教えてもらっていいかしら」
私は何者か? かつて十二人の男の共有物にされて、毎日誰かの性欲のはけ口にされて、しかもそれを愛だと勘違いしていた愚かな女です。口にはできないけれど、それがすべてだ。
「私は大智君より五歳も年上なのに、何の夢も取り柄もなくてその日暮らしのアルバイトでなんとか生活してる、そんなつまらない女です。清楚な女でもないです。かつて私は何人もの男たちに都合のいい女として扱われていました。大智君とおつきあいする前、私はこの世界のどこにも自分の居場所がないと思い込んでました。今は大智君が私の居場所です。私なんかが夢に向かって頑張ってる大智君と交際しようだなんて、ずうずうしいにもほどがあるって自分でも思います。でもお願いです。私の居場所を取らないでください。心の安らぎだとか明日への希望だとか、今は大智君から一方的に受け取るばかりの私ですけど、これから少しずつでも大智君に何かを返していければいいなって心から思ってます」
ご両親が何か言う前に大智君が反応した。優しい君のことだから、なんとか私を助けようと必死になってくれているのだろう。
「僕だって詩音さんからいろいろ大切なものを受け取ってる。居場所がなかったのも同じ。この世に居場所がないと思ったから、僕はあのとき死のうとしたんだ。僕はもう馬鹿なことはしないよ。詩音さんさえよければ、僕はずっと詩音さんの隣にいたい。どちらかが死ぬまでの何十年という長い時間を身を寄せ合って生きていけたらとても素敵なことだって最近ずっと考えているんだ」
プロポーズ? プロポーズの言葉にしか聞こえないよ。たぶんそのままの意味じゃなくて、〈離れていても心はそばにいるよ〉的なもっと抽象的な意味でそう言ってくれたんだろうけど、それでも私は泣いてしまった。
「ありがとう……」
「それだけ?」
「それだけって?」
「僕としてはプロポーズしたつもりだったのに」
本当にプロポーズだった! そんなこといきなり言われても……。しかもご両親が目の前にいるのに……! ご両親の顔を見ると、二人とも目を丸くして絶句していた。そりゃそうだ。それで私は……。私はどうすればいい?
「ダメですか?」
「ダメなわけないじゃん!」
少し冷静さを取り戻してきた。私より大智君の方が自分を見失ってるんじゃないだろうか?
「それがプロポーズなら、私がそれを受け入れた瞬間、私は君の婚約者になるということだよ! 君こそ本当にそれでいいの?」
「それでいいというか、詩音さんのいない未来なんて僕にはもう考えられないんです」
やっぱりというか、どうしようもなく好きだと思った。二人きりなら絶対に抱きしめている。そして、大智君のいない未来を想像して、背筋が寒くなった。
もう一度ご両親の方を見ると、二人は顔を見合わせて小さくうなずいて見せた。もう逃げ場はどこにもない。いや、私はもう七年間さんざん逃げ回ってきたじゃないか。もうこれ以上逃げ回るのはやめよう。
「あの……。よろしくお願いします」
おとといの夜、同じセリフで大智君との交際を承諾したばかりなのに、それから二日も経たないうちに私は大智君の両親公認の婚約者になった。
竜星が私に結婚を匂わせたのは最初に中に出したとき、その一回だけだった。八月以降、礼央と竜星は私の生理周期を徹底的に管理して、危険日でなければ必ず中に出した。でも彼らはもう二度と私の将来に責任を持つとは言ってくれなかった。
ファミリーといっても序列があるらしく、頂点は竜星と礼央。その下に一年後輩組の五人。さらにその下に二年後輩組の五人。ただし竜星は約束を守り、ファミリーの一員であっても、ラモスだけは私に近づくことを禁止したから、私にとって二年後輩組は実質四人。
十二人というまあまあ大所帯の社会人の集団にしては、メンバーの年齢幅が二十歳から二十二歳までと極めて狭い範囲に偏っているのが不思議だった。
八月、大学が夏休みなのをいいことに、私はほぼ毎日ラモスを除いた十一人の誰かとセックスしていた。体目的ではないと思わせるためか、彼らは必ず私をデートに連れ出し、遠出をしたり、おいしいものを食べさせてくれたりと、私の自尊心を十分満たした上で、私を抱いた。セックスもただ自分だけ気持ちよくなれればいいという自分勝手なものではなく、こんなに尽くされてるんだから愛されてないわけがないと私に思い込ませるような濃厚で充実した時間を、全員が提供してくれた。もちろん私が生理のときはデートだけ連れて行ってくれて、決してセックスを強要してくることもなかった。
ファミリーにはいくつかの不文律があり、たとえば私の呼び方。竜星と礼央は〈詩音〉と呼び捨て。一年後輩組は〈詩音さん〉。二年後輩組は〈姫〉。
序列による区別はけっこう厳格で、竜星と礼央以外の九人は私の中に出すことを許されていなかった。一年後輩組は安全日であっても外に出し、二年後輩組はいつであっても避妊具の使用を義務づけられていた。
セックスする場所も、竜星と礼央はそれぞれの部屋か私の部屋のいずれかで、一年後輩組は南場達彦の部屋で、二年後輩組は斉藤大輔の部屋で、と決まっていた。それ以外の者はみな家族と同居してるからそうするしかないそうだ。ホテルじゃダメなのかと思ったけど、お金を出してもらう立場では言いづらかった。
みんな私をちやほやしてくれた。みんな会うたびに私に魅力的なプレゼントを与えようとした。さらに竜星と礼央以外の九人は、結婚してほしいとデート中何度も私に懇願した。
でも私が結婚したかった相手は竜星か礼央だった。私はひたすら二人のどちらかのプロポーズを待ちながら、ファミリーの誰かに毎日毎日抱かれ続けた。