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紫雨は、ロビーで林と遭遇しないように早めに起きると、篠崎のマンションからキャデラックを回収しながら、八尾首展示場に向かった。
駐車場に停めると、事務所の前で新谷が段ボールの前に座り込んで、人数分のお菓子と飲み物を数えているところだった。
「よお、昨日はどうも」
「あ、紫雨さん!おはようございます」
新谷は振り返ると、微笑みながら立ち上がった。
「今日って何人参加するんだっけ」
「20組、48人です」
「へえ。結構多いな」
「八尾首で7組20人で、あとは円城寺展示場、と吹越展示場から合わせて13組来るので」
ちょうどそのとき、駐車場に大型バスが2台入ってきた。
「俺たち八尾首と紫雨さんと林さんは1号車です」
それに向けて新谷が両手を振りながら紫雨を見上げた。
「改めて、ご協力いただき、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
「ああ」
つられてうっかり微笑んだところで、
「紫雨」
その声にぐっと胸が詰まる。
「お前、昨日、ちゃんと林に会えたか?」
振り返ると、篠崎がこちらを見下ろしていた。
「ホテルのロビーで待ち伏せしてましたよ。ストーカーのように」
言うと篠崎は呆れたように軽く息をついた。
「あんまり心配かけんなよ。部下が上司を探し回るなんて聞いたことないぞ」
「探し回る?」
「ああ。あいつ、八尾首の警察とか、飲み屋街とか、血眼になって探してたらしいぞ」
「……はは。キモ」
「お前なあ……」
「それで今日はアイツ寝坊ですか?しょうがないやつですね」
言うと新谷が少し悲しそうな顔をしながら言った。
「林さんは、俺が来るよりも前に来てくれてます。今は事務所でお客様に渡すネームホルダーと、床暖房ブースで使う体温計の点検をしてくれています」
駐車場を見回すと、確かに新谷のコンパクトカーの横に見慣れたハイブリッドカーも停まっていた。
「お前がひねくれてんのは今に始まったことじゃねえが、最低限、自分のことを思ってくれる奴のことは、大切にした方がいいぞ」
「え、そんなのいます?どこに?」
わざとらしいくらいに目を丸くして見せる。
「林が俺を探していた理由は、きっとあなた方二人が思うような愛のある理由じゃないですよ。
俺はご存知の通り問題児なんでね。でも俺がいなかったら、あの展示場で他にマネージャーをできる人間がいないので、ある意味貴重なんですよ。
だから、マネージャーとして変なことをしないように、見張ってるんです。あいつ」
適当に浮かんだ理由だったが、自分で言いながらものすごく腑に落ちた。
そうだ。
この間の飲み会の時だって、昨日だって、アイツが自分を気にしたり、探し回ったりするにはその理由しか思いつかない。
展示場のため、さらに言えば自分のためだ。
「お前………」
「クソする時間あります?まだありますよね?行ってきますね。自分結構時間がかかるほうなので」
「おい―――」
篠崎が何か言おうとしたのを振り切って紫雨は管理棟のトイレに歩き出した。
昨日この展示場に訪れた時よりも明らかにダメージを負った体を、引きずるようにトイレに滑り込ませたところで、電話が鳴った。
飯川だ。
こんなことなら、何かしらの理由をつけて、暮らしの体験会自体、飯川に押し付けておけばよかった。
「あ、おはようございます」
「うん。何?」
「あの、紫雨さんにお客様が来ていて」
個室に入りながら腕時計を見る。
7時半。
(こんなに早くから?)
「名前は?」
聞きながらベルトに手を掛ける。
「岩瀬様という男性のお客様です」
「岩瀬?」
知らない。
顧客名簿にはない。
アプローチ中に名乗らずに帰った客の一人だろうか。
「男?」
「はい。若くて結構恰幅の良いお客様で。なんかチャラチャラして、セゾンの客って感じじゃなったですねー」
「ふーん」
ここ1ヶ月くらい、若い男性に接客はしていない。
「……なんか変な匂いがしたんですよね」
「匂い?」
「ん―――。古着屋みたいな、雑貨屋みたいな?アジアンテイストな感じ?」
チャックを下ろす手が止まる。
「………」
「紫雨さん?」
「そいつ、何だって?」
こめかみを冷たい汗が垂れ落ちる。
「えっと。紫雨マネージャーはいるかって。今日は出張でいませんって言ったら、また来るって」
「わかった。サンキュ」
紫雨は言うと電話を切った。
「……っ」
忘れていた呼吸を慌てて再開する。
トイレのドアに頭を凭れると、目を瞑った。
「これ、けっこうヤバイかも……」