コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「お待たせ~」
和室に入ってきた秋山に、県内の各展示場のマネージャー、そして次期マネージャーであるリーダー、総勢12人は顔を上げた。
二間続きの和室にテーブルをつなげ、スーツ姿の男たちが並んだそれは、まるで田舎の葬式のようだと篠崎は胸の内で笑った。
秋山から資料が配られる。
『八尾首展示場 来春OPEN』
その字に40、50代が中心のマネージャー勢が互いに顔を見合わせる。
「ヤオクビ?」
「ヤオシュ?」
聞いたことのない地名に皆が首を傾げる。
「ヤオザキと読みます」
秋山が資料に目を落としながら言った。
「県北にできる新しい展示場です。地元コミュニティ誌が運営するハウジングプラザで、すでに六条工務店、アカスイハウス、東日本ホームなど、大手ハウスメーカーの他、ヤマキホーム、愛泉建設などの地元メーカーなど、13社が展開しており、来春までには、セゾンを含めた7社が加わって、県内では天賀谷展示場に次ぐ規模の総合住宅展示場になる予定です」
淡々と話す秋山の顔を皆が見つめる。
ちらりとその天賀谷展示場の次期マネージャーを見る。
資料を見ていた視線をこちらにあげ、表紙の八尾首という字と篠崎とを見比べている。
「…………」
単なる勘か、それとも秋山から何か聞いているのか。
紫雨が何を思っていても興味はない。
篠崎の脳裏にチラつくのは、“アイツがこのことを知っているのか”、それだけだった。
「……この展示場には、篠崎くんにマネージャーとして行ってもらいます」
秋山は何でもないことのように言ったが、他の10人のマネージャーは目を見開き、篠崎を見つめた。
「新規店舗なのに……」
誰かが呟いた。
その意見は当然、誰もが思うところだった。
マネージャーと言うだけでも責任は重大なのに、新規店舗、しかも天賀谷に次ぐ大きなハウジングプラザで、天賀谷に常在している秋山も簡単には立ち寄れないほど遠方の展示場を、若く経験も浅い篠崎に任せるのは、ある意味、秋山の賭けだった。
しかも県北と言えば、時庭や天賀谷で手に入れた業者の人脈もなく、既存客の紹介受注も期待できない。
完全にゼロからのスタートだ。
「時庭はどうなるんですか?」
室井マネージャーが、篠崎を見ながら秋山に聞いた。
「時庭は……」
秋山は篠崎の顔を見つめながら言った。
「来春、取り壊しが決定しました」
「…………」
紫雨が改めてこちらを見上げる。
篠崎はその視線を受けながら立ち上がった。
「力を尽くしましたが及ばず、申し訳ありませんでした」
上半期、県内ナンバーワンの成績を叩きだした篠崎は、秋山と10人のマネージャー、そして1人のリーダーに向けて、深々と頭を下げた。
◇◇◇◇◇
報告会が終わった和室から、各店舗のマネージャーたちは腕時計を見ながら立ち上がった。
「……秋山さん、ちょっといいですか」
どこかのマネージャーに呼ばれ、秋山も席を立ち事務所の方へ消えていった。
「八尾首展示場、ね。なんか殺人事件でも起こりそうな名前ですね」
資料をまとめていた篠崎を、立ち上がった紫雨が見下ろす。
「あっちの方って雪凄いんでしょう。雪かきとかできるんですか、あなた」
相変わらず癇に障る目つきで笑う紫雨を睨みながら篠崎も立ち上がる。
「さあな。全ては、これからだ」
その脇を通り抜ける。
「……あいつは?置いていくんですか?」
瞬間、紫雨から囁くような声が響いた。
思わず足を止めて振り返る。
「天賀谷展示場は人足りてるんで、一人くらい持ってってもいいですよ」
言いながら紫雨がこちらを試すような視線を投げてくる。
「ナベは連れて行くよ」
動じずに見下ろすと、紫雨はフッと鼻で笑った。
「当然です。ここには豚小屋はないんでね」
「……お前は相変わらずだな」
呆れながら篠崎は歩き出した。
「そりゃあ新人教育どころじゃないですよね」
その後頭部に尚も紫雨の声が聞こえてくる。
「新店舗だし。業者の開拓もこれからだし、それに……」
そこで意味深に言葉を切る紫雨に、仕方なく振り返る。
「ご結婚も、控えてますしね?」
篠崎は紫雨を睨んだ。
「式は何月でしたっけ?4月?5月?どうでもいいんで、忘れちゃいましたよ」
篠崎はその問いには答えず、ただ紫雨を見下ろした。
「間違っても、僕やうちの部下に招待状なんて寄こさないでくださいね」
「……お前」
篠崎は何を考えているのかよくわからない紫雨を見下ろした。
「あっちの約束はどうなっている」
「あっちの、ね」
紫雨は鼻で笑った。
「俺にはどうしようもないところなんで、何とも。まあ、変化なしってとこですよ」
まあでも、と言って紫雨は少しだけ目を伏せた。
「あなたが転勤とわかれば、動きは変わると思いますけど」
「…………」
紫雨はゆっくりと篠崎に近づいた。
「……これで、本当にいいんですね?」
篠崎は自分よりも10㎝も背が低いくせに妙に威圧的な男を睨んだ。
「ああ」
言うと、紫雨は少し赤い涙袋を一瞬震わせ、そしてそれをごまかすようにすぐに笑った。
「奥様とお幸せに。篠崎マネージャー」
そして踵を返すと、彼はもう振り返らなかった。
十分に呼吸を整えてから事務所に入ると、紫雨が新谷のデスクを覗き込んでいた。
「外観、センスなさすぎ。こんなんじゃ決まるもんも落とすわ」
吐き捨てるように言っている。
「だから設計を頼れってば。外観くらいかっこよく作ってくれるんだからさー」
「……でも」
新谷が自信なさそうに紫雨の顔を見上げる。
「決まるかもわかんないのに、CG作ってもらうの、申し訳なくて」
スパンと紫雨の平手打ちが新谷の頭を襲う。
「決めるために作ってもらうんだろうが!お前、この1棟決めないと、ペナルティだよ!?わかってんの?」
「……すみません……」
叩かれた頭をさすりながら、新谷がこちらに気づいて振り返る。
篠崎は我に返ると、事務所を突っ切り、下足箱から靴を取り出した。
「篠崎さん」
紫雨も気がついて、呼び止める。
「長靴も買わなきゃですね。レインブーツじゃなくて、スノーブーツって言うんですか?」
「…………!」
その言葉に新谷が紫雨と篠崎を交互に見つめる。
「時庭解体の時は呼んでくださいね。中の断熱材が経年劣化していないところの写真撮りたいんで」
その言葉に新谷が凍り付く。
「お前……!」
篠崎が睨むと、
「あっ!!」
同時に林が立ち上がった。
「すみません、マネージャーの車、地盤調査のバンで閉じ込めてしまったかもしれません。今、動かしますので」
「あ、ああ」
「そーだ。地盤調査だ、今日」
紫雨がわざとらしく手を叩く。
「ほら、新谷、着替えるよ」
「え、午後からでは?」
「飯食ってから行くだろ!」
紫雨に引きずられながら、新谷が慌ててバッグを手に立ち上がる。
その顔と一瞬、目があった。
「…………」
彼は何か言いたげに篠崎を見つめたが、そのまま展示場に引きずり込まれていった。
地盤調査車両は、確かにアウディの後ろに停めてあったが、“閉じ込めている”ほどではなかった。
それでも林は慌ててバンに乗り込むと、大げさなほど離れた場所に駐車し直した。
「……紫雨も愛されてんなぁ」
大きな車両から降りてパタパタと走っていく華奢な後ろ姿を見ながら篠崎は笑い、エンジンを掛けた。
「…………」
……今頃、新谷は何を思っているのだろう。
時庭展示場が壊されること、自分が遠くに異動することを、少しは悲しんでくれているだろうか。
でも全ては……。
「終わったことだ」
篠崎は始まることなく終わりを遂げようとしている自分の気持ちを振り切るように、ハンドルを回した。
時庭展示場でいくら待っていても、新谷はもう帰って来ない。
そして、あの女性も………。