コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
目が覚めてから、驚くことが多すぎて、しばらくは何を聞いても、驚くことはないだろうと、高を括っていた。しかし、そんなものに上限はないらしい。
まず、最初に驚いたのは、やって来た医者から、五日間も目を覚まさなかったと聞かされたことだった。
五日間⁉
さらに、拉致されてから救出まで、二日あったこと。つまり、合計七日間、一週間もの間、店を休んでいたことになる。思わず、再び寝込みそうになる意識を、何とか保ちながら、しばらくの間は、様子を見に来てくれるという、医者の話を何とか聞くことが出来た。
いや、聞いていて良かった。その代金をポーラが支払ってくれるというのだ。何と有り難いことだ、と喜んでいると、今度はマーカスから、ポーラという名前が偽名で、さらにこの国の王女様とまで言われ、衝撃でしばらく固まってしまった。
お名前はジャネット様とのこと。確かに、何処かの国の王女っぽいなぁ、とは言ったけど、冒険者ギルドの皆は、誰も相手にしてくれなかった。なのに、実はそれが本当だったとは……。
私の勘は、まだまだ大丈夫だということだ。図書館でのことは、やっぱり浮かれていて、気がつかなかったってことだろう。
とりあえず、その日はそれまでにしてもらい、続きは翌日に聞くことにした。その翌朝、鏡の前でアンリエッタは驚いて、声が出せなかった。
髪が、髪が、髪が―――!
「何で?」
「原因は分からないが、伯爵の別邸を出た時には、すでに銀髪になっていたな」
いつの間にか、背後に立ったらしいマーカスに、気づかないでいると、そのまま鏡台の椅子に座らされていた。そして、まだ放心していたらしく、マーカスの言葉にようやく理解が追い付いたのは、髪を梳かされていた時だった。
「そんな前から?」
昨日の夜、お腹は空いていなかったが、軽く食事を取った方が良いと言われ、スープを口に入れた。その時に、私が眠っている間はどうしていたのか聞くと、食料や料理などを、見舞いついでに、エヴァンとロザリーが持ってきてくれたらしい。
つまり、二人には見られたということだ。ポーラさん……じゃなかった、ジャネット……様? さん? も、来てくれたらしい。
「今から茶色に染めたら、変かな」
「変、じゃないが、敢えて染める必要はないと思う。それに、このままの方が、俺としては良いんだが」
そう言って、鏡の前で後ろ髪を少し持ち上げ、横に広がるようにして、髪を下ろした。手入れをするほど、お洒落な方ではなかったが、銀色の髪が光に当たって、綺麗に映っていた。
しばらく見ていなかった銀髪の姿に、目線を下ろした。が、その理由だけではなかった。鏡を通して見えるマーカスが、眉を下げて懇願するような眼差しを、向けてきたからだ。
「で、でも、今更実は銀髪でしたって公表するのは恥ずかしいし、あまり周りにはいないから恥ずかしいよ」
「二回言うほど、恥ずかしがることはないと思うが……。まぁ今は、これで我慢してくれ」
マーカスはブラシを置くと、青いリボンを鏡台の引き出しから取り出して、アンリエッタの髪に結んだ。カチューシャのようにして、頭の上にリボン結びを付けた。
「何を言っているの?」
青いリボンに触れながら、アンリエッタは後ろを振り返った。今までチグハグなことを言うマーカスではなかっただけに、不審に感じた。また何かしてくるんじゃないかと。
「とりあえず、これはそれのカモフラージュだと思えばいい」
マーカスは、アンリエッタの頭をまず指し、次に手首に指を向けた。
「た、確かに、こっちも恥ずかしいけど、それとこれとは違うから」
意味を察したアンリエッタは、顔を赤くして抗議した。しかし、マーカスは聞く耳を持たないとでも言うように、キッチンへと歩いていった。
「分かっている。だけど、今日はその方が良いだろう。それとも敢えて、詮索されたいのか。恥ずかしがり屋のアンリエッタ」
「うっ」
そうまで言われた上に、笑顔まで向けられれば、アンリエッタに反論する言葉など出てくるはずはなかった。
キッチンの中で、マーカスは何かの準備をしていた。引き出しから茶葉を、ティーポットとカップは食器棚から取り出した。
「もうそろそろ来る頃だから、大人しく座って待っていてくれ」
「誰か来るの?」
「あぁ、だいたいこの時間だ」
言い終わるのを見計らったかのように、マーカスの言葉通り、呼び鈴が鳴った。
***
現れたのは、エヴァンだった。ポーラじゃなくて、ジャネットではなかったことに、残念な気持ちが表に出ていたのだろう。
「俺で悪かったな」
そんな第一声を、申し訳なさそうな声で、エヴァンに言わせてしまった。マーカスの話では、伯爵の別邸から救出される時に、エヴァンもまた、いたというのに。
「えっと、そういうわけじゃなくて」
「ポーラかと思ったんだろ? 顔に書いてある。あいつは昨日、魔塔に発ったばかりなんだ。しばらく向こうに居るそうだから、当分は会えないと思ってくれ」
「そうか、もう行ったのか。まぁ向こうでも、色々やることが多いだろうからな」
ジャネットの行動を把握していたらしいマーカスは、そう言った後、エヴァンをアンリエッタの向かいに座るよう促した。そして、本人はまたキッチンへと戻っていった。
「昨日、目を覚ましたんだってな。さっきマーカスから聞いた」
「はい。それから、エヴァンさんも、助けてくれありがとうございました」
「俺はほとんど何もしていないよ。連絡係をしていただけで」
「それで十分。場所が学術院だったから、伝手はない。ありそうなポーラには、どう連絡を取れば良いのか分からなかったからな」
カップが三つ置かれたお盆を手に、キッチンからマーカスがやって来た。それぞれに行き渡らせると、マーカスはアンリエッタの隣に座った。そこで、少し疑問に思ったことを口にした。
「ポーラさんのことなんですが、今まで通りに呼んでも良いんですか?」
エヴァンもマーカスも、ジャネットではなく、ポーラと呼んでいるため、アンリエッタもどうしたら良いのか分からなかったのだ。
「本人は、そう望んでいる。だから、アンリエッタはそのまま接してやってくれ。その方が、ポーラは喜ぶ」
「良かった。マーカスから聞いて、どうしたら良いのか分からなかったんです。あっ、それで何で魔塔に行ってしまったんですか?」
「それは今回加害者が魔塔の人間だったからだ。ポーラが魔塔の主だってことは、話したんだよな」
エヴァンの言葉に、マーカスは頷いた。そして、アンリエッタは今回の事件のあらましを聞いた。
すでにマーカスから聞いていた話と重複している部分もあった。違うのは、アズール・マスティーユと名乗っていた男は、実は大魔術師ユルーゲル・レニンだということだった。
「そんな人を罰して、大丈夫なんですか?」
マーカスとエヴァンは、何を言っているんだ、という顔でアンリエッタを見た。
「被害者が加害者を心配してどうするんだ」
「そこがアンリエッタらしいじゃないか」
ハハハ、とエヴァンがフォローしてくれたが、アンリエッタの内情は、マーカスが言うものとは違っていた。
「えっと、そう言う意味で言ったんじゃなくて、確かに私は被害者だけど、加害者のユルーゲルって人は貴族なんでしょ。レニンってギラーテを納めている伯爵様なわけだし」
前世では明確な身分制度はなかった。しかし、力を持つ者は、いつだって弱者をねじ伏せる。それは変わらなかった。
貴族が平民、しかも孤児である自分に対して、罰など認めるだろうか。しかも相手は、大魔術師だという。
ユルーゲルからしたら、あれは実験の類の一種。殺すつもりはない、ということも言っていたから、ただの貴族の戯れ、で済ませられても可笑しくはなかった。それが普通のことなのだ。だから、たとえ罰することができたとしても、その後何かしら報復が来たら……。
同じ貴族であるマーカスを前にして言うのは、気まずかったため、言葉を濁した。
「様を付ける必要はない。それに、先導しているのは、ポーラだ。何を心配しているのかは、だいたい予想できるが、気にすることはない」
「心配?」
「貴族にはよくあることだ。家名に傷をつけられたとか、泥を塗られた、とか言って、荒くれ者を差し向けたりする」
あまりそういったこととは無縁だったのか、エヴァンはそんなことがあるのか、とでもいうように驚いていた。そんな場面に出くわさない、なんてことはないだろうから、すべてジェイクが対応していたのかもしれない。
「ポーラさんがいくら王女様でも、そこまで把握することは出来ないよ」
「まぁ、普通はそう思うが、ポーラはユルーゲルを護衛魔術師にして、監視している。伯爵家ご自慢の大魔術師様が、大人しく従っているんだ。伯爵家も、下手に手を出してくることはしないだろう」
あぁ、だからポーラさん、ね。すると、もう一つ懸念するものができた。
「どうした? まだ何か心配か?」
「……ユルーゲル……さんって、ポーラさんの護衛になったんだよね。ってことは、つまりポーラさんに会うことは、その人にも……」
会うことになる。正直、今はまだ会いたくない。
「分かった。そこは俺がポーラに連絡しておこう。そうだよな。そんな男とは会いたくなくて、当然だ。気が回らなくて、ごめんな」
「いえ、ありがとうございます。エヴァンさん」
エヴァンは、慣れた調子で片手を上げて、アンリエッタの頭に触れようとしたが、マーカスの視線を感じ、腕を下した。けれど、その視線に気がつかなかったアンリエッタは、エヴァンの態度を、別の意味で捉えた。
「やっぱり、エヴァンさんも可笑しいって思いますか?」
「何を?」
「この、髪の色……」
髪を弄りながら、どうしても言葉を濁してしまう。マーカスとは違い、察しの悪いエヴァンに、これで通じるかなんて、考えられるほどの余裕はなかった。
「元の髪の色に戻っただけなのに、恥ずかしいんだそうだ」
やはり、アンリエッタの言葉では理解できなかったエヴァンに、マーカスが助け舟を出した。しかし、もう少し言葉を選んでほしかった。
「マーカスから、茶色に染めていた理由は聞いている。だから、全然可笑しくはないよ」
「じゃ、染めていた理由を知らない人から見たら、可笑しいって思いますか?」
「あぁ、どうだろうな。そう思う者もいないとは言い切れないが……」
隣から咳き込む音が聞こえ、アンリエッタはマーカスを睨んだ。余計なことはしないで、率直な意見が聞きたいんだからと、目で訴えた。そして、邪魔もしないでと。
「茶色も似合っていなかったわけじゃないが、今の方がしっくりしていて、むしろ良いと思う者の方が多いんじゃないかな」
「銀色に染めてみたんですって言い訳しても、違和感ないですか?」
一応、お客さんとかに聞かれた際の言い訳を、考えてはみていた。気分転換でとか、思い切って染めてみたんですとか、色々。
けれど、まずその前提に、受け入れてもらえるのかどうかだったが、それは大丈夫そうだった。
「ないない。むしろ似合っているんだから、恥ずかしがることはないよ」
「本当ですか?」
「うん」
エヴァンの言葉に胸を撫で下ろすと、アンリエッタはマーカスの方を向いた。
「ん?」
「何でもない」
マーカスも、“似合う”の一言くらい言ってくれても良かったのに。
***
「さっきのは、どういう意味だ?」
エヴァンを見送った後、すぐさまマーカスが聞いてきた。
「言わないとダメ?」
「あぁ」
「言いたくなくても?」
「ダメだ」
「大した意味じゃなくても?」
「それを判断するは、俺だ」
何て言う言い分……。アンリエッタは、観念したように溜め息を付いた。
「似合うって、言われなかったから」
改めて口に出した途端、恥ずかしくなって、目線を横に逸らした。さっき思った時は、そうでもなかったのに。
「言わなかったか?」
「うん。聞いてない」
「ふ~ん」
急に顔を掴まれ、強制的にマーカスの目と合った。
「それで、拗ねたのか?」
「⁉」
いつもなら、ここで違うと反論していたところだったが、その前に理由を話してしまったことで、言えなかった。だから、せめてもの反撃として、マーカスの両手首を掴み、顔から引き離そうとした。
「想像していたのよりも、似合っている。だから、染めるなんて言わないでくれ」
そう言って、顔を引き寄せられた。マーカスの顔も近づき、何をされるのか理解した。けれど、アンリエッタは敢えて、それを振り払い、裏口へと走っていった。
走っている間も、顔が火照ってくるのが分かる。想像していたよりもなんて、それはこっちのセリフだった。
あぁ、何でこんな意地の悪い人を、好きなっちゃったんだろう。エヴァンさんみたいな、優しい人じゃなくて。
いや、ただの優しいだけの人だったら、前世で体験した人生を理解してくれただろうか。理解されずに、ただ傷ついただけだ。
人の醜く汚い部分を知っていて、それでいて平然と立ち向かえたり、流せたりできる人だから、私は好きになったんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ちょっと走っただけなのに、息が苦しい。裏口の戸を開けて、外に出た。久しぶりの外に、目一杯空気を吸いたかったが、息を整えるだけで精一杯だった。すぐそばにある、薬草が植えてある畑を見ている余裕もなかった。
すると、急に後ろから抱き抱えられた。そしてゆっくりと、近くにある小さなベンチに、座らされた。
「まだ病み上がりなのに、走るな」
「はぁ、はぁ、だって、マーカスが……」
「俺が?」
恥ずかしいことを言うから、と言えば、またからかってくる。マーカスは返答を待っているかのように、黙ってアンリエッタを見ていた。
そういえば、私もマーカスに言っていなかったことがあった。
アンリエッタは、立っているマーカスの服を掴んだ。二回引っ張ってみせると、マーカスはそれ汲み取って身を寄せた。今度はアンリエッタが、マーカスの顔を掴んで、小さな声で答えた。
「……好き……です」
「え?」
「言っていなかった気がしたから……」
「そう、だったな」
とにかく中に入ろう、とマーカスに横抱きにされ、すぐさま家の中へと戻された。抱えられながらマーカスの顔を窺うと、耳を赤くした珍しい姿を見た。
少しは、意表を突けられて、満足したアンリエッタだった。