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見慣れたギラーテの大通り。いつもなら、ショーウィンドウを眺めたり、カフェを覗いてみたりしていたが、今はそれが出来なかった。
いつもより高い位置で、しかも四角い窓から、流れるようにして、それらを見ていた。転生してから、いや前世も含めて、初の馬車である。マーシェルからギラーテまでの間は、荷馬車や辻馬車を使っていたため、こんなドア付きの馬車は初めてだった。
何故、そんな馬車に乗ることになったのかというと、医者からようやく、外出許可を得られたところから、話は始まる。
実はアンリエッタは、目を覚ました翌々日から、店を出す気満々だった。休んでしまっていた、一週間分を早く取り戻したかったからだ。
エプロンを付け、髪も上げて、さぁやるぞ! と気合いを入れて、仕事場に入った途端、腕を掴まれ、部屋に連れて行かれ、説教された、マーカスに。何で大人しくしていられないんだ、と。
その後やってきた医者に、仕事再開の許可を貰えば、マーカスも文句はないだろうと思い尋ねたところ、予想外の返事が返ってきた。
「ダメです」
「もう平気です。大丈夫です。この通り、働けます」
「それは精神がそうさせているのであって、体は全快ではありません」
「全快である必要はないと思うんですが。先生だって、そこまで見ることはないんじゃないですか?」
医者は本来、そんなに暇じゃないはずだ。ある程度回復すれば、良いというのが普通である。しかし、医者は容易に首を縦に振らなかった。
「ジャネット様より、全快になるまでは、許可を出すなと言われていますので」
まさかの伏兵に、衝撃を受けた。マーカスと言い、ポーラと言い、前世同様、過保護を引きつけ易いようだと、思えてならなかった。前世では、さらにお節介な人たちも多かった。彼らが好むようなものが、何なのか分かれば対処できるのに……。
そんな訳で、仕事再開の許可は、まだ得られてはいないが、とりあえず外出許可は、もぎ取ることが出来た。その時、マーカスに言われたことがあった。
「会ってほしい人がいるんだ」
改まって言われると、緊張する言葉だった。けれど、アンリエッタには思い当たる節があった。思い違いではないと思うが、一応聞いてみた。
「誰に?」
「今、学術院にいる俺の姉、パトリシアに、だ」
やっぱり。意識を失う寸前に聞いた言葉は、聞き間違いじゃなかったんだ。とは言え、切り出すきっかけがなかった。彼女を見たような、見ていないような、確信のない状態だったからだ。
そもそも、何故あの魔法陣から彼女は現れたのだろうか。その直前の銀色の光も、何だったのか分かっていない。
私の神聖力も絡んでいることから、やっぱり関係があるのかな……。銀竜が私を呼ぶことの理由もまた……。
「無理にとは言わない。ただ銀竜に関しては、パトリシアが一番知っているだろうから」
「うん、大丈夫。でも会う前に、マーカスの知り得た情報を、教えてほしい」
「銀竜のことは前に話したし、拉致事件のことは全部話したと思うが……」
マーカスの言葉に、アンリエッタは首を横に振った。
「ううん。パトリシアさんが召喚された要因とか、あの銀色の光の発生源はなんだったのか、とかだよ」
そう、ずっと魔法陣に捕らわれていた時は、銀色の光なんて発生したことはなかった。あれは、マーカスが魔法陣に入った時に起きた事象だった。
「それについては、何一つ分かっていないから、言えなかった」
「そんなことはないよ。銀色の光だけは、マーカスにしか答えらないと思う。それを引き起こす、何かを持っていたはずだから」
「物? 銀色の……何か……!」
アンリエッタは、マーカスの前に手を出した。マーカスもその“何か”に気づいたからだ。懐から巾着を取り出した。
「まさか、これが原因か?」
「多分。それしかないし、パトリシアさんが召喚されたのも、その鱗が引き金になったとしたら、辻褄が合うと思わない?」
「っ!」
マーカスから巾着を受け取り、中を開けた。鱗を取り出し、確かめてみたが、変色している様子もなく、また神聖力も感じることはなかった。なら、どうして……。
「これが、魔法陣に反応したのかな」
「魔法陣を作った奴に、聞いておけば良かったな」
マーカスは溜め息を付いた。
「あ、そっか。ポーラさんと一緒に、魔塔に行っちゃったんだよね」
「しばらくは無理だから、エヴァンに頼んで、ポーラ経由で聞いてみる」
「お願い。……私と関係している何かが、分かるかもしれないから」
「とりあえず、それも含めて、パトリシアに会いに行こう」
声だけでなく表情からも、不安な気持ちが伝わってくる。当事者の私は、マーカスが代弁してくれているからなのか、ケロッとしていた。
「大丈夫だよ、どんな答えが出てきても、私は平気だから」
あぁ、これはもう癖だな、とマーカスを抱き寄せてから、そう思った。孤児院で、よくそうやって宥めたり、励まし合ったりしていたからだ。そういう表情をされると、手を伸ばしたくなる。
今思えば、無意識に私から発していた神聖力で、あの子たちの心身を癒していたのかもしれない。だから、私に寄って来たんだろう。けれど、私もまた、そういう子たちを放ってはおけなかった。
「それに、私の知らない所で、物事が動いているのより、出来るだけ把握しておきたいの」
「聞きたくもない、辛い出来事になったとしても、か」
「まだ、そうとは決まっていないよ」
マーカスが、アンリエッタの体に腕を回した。
「最悪のパターンは、想定しておくもんだよ」
「珍しく弱気なのは、そのせいなの?」
「うん、だから慰めて」
アンリエッタの首元に、マーカスが顔を埋めた。一瞬、ちょっとこれはマズい、と思い躊躇ったが、アンリエッタはマーカスの髪を撫でた。
私の代わりに、不安に思ってくれているのだから。
***
それですぐに、パトリシアに会いに行く、とまではいかなかった。理由は、パトリシア側ではなく、アンリエッタの方にあった。
「どうしよう。着ていく服がない」
明らかに呆れた顔をされた。けれど、これはアンリエッタにとっては、大問題だった。
「だって、パトリシアさんって、貴族様でしょ。普段通りの服装で行ったら、失礼になるんじゃないかな」
俺だって貴族だが、と顔で語っていたが、アンリエッタは気づいていない。
「ポーラも、ずっと魔術師の姿のままでいたんだ。普段通りの服装で、大丈夫だろう」
「そうなの?」
「まぁ、そんなに気になるなら、用意出来ないことはないが……」
歯切れが悪そうに言いながらも、マーカスは部屋から箱を持ってきて、アンリエッタの前に置いた。
「これは?」
「前に服を注文している、と言っていただろ。それだ」
色々あり過ぎて忘れていたが、確かそんなことがあったのを思い出した。そして、箱を開けた瞬間、驚いた。
「私の記憶違いもあると思うけど、普段使いの服って言っていなかったっけ?」
「そう、だったか? それよりも、これじゃダメだったか?」
「そ、そんなことはないよ!」
全然、ダメなんかじゃない。しかし、これは普段使いというよりも、少し特別な日に着ていくような、そんな服だった。
デートに着ていくお洒落な服とか、正装のような品のある服とか、ではなく。普段よりも少し上等な服だった。
もしかして、マーカスの基準だと、これが普段着扱いなのかな……。一応、貴族だし。
「ありがとう。でも、このお金はどうしたの? この短期間で支払われる金額じゃ、無理でしょ」
「出世払いで」
あからさまな嘘に、マーカスを睨んだ。
「侯爵家から送ってもらった金を使った」
「え? 侯爵家?」
「俺の実家だ」
うん、それは知っている。そうじゃなくて、送ってもらった?
「連絡、取っていたの?」
「しばらく前からな。ついでに言うと、金以外に、人を寄こしてもらった」
「人? 何の為に?」
「護衛だ」
あぁ、パトリシアさんのか。急に、知らない所に連れてこられて、心配になるよね。そう、思っていたが、マーカスから発せられた次の言葉に、衝撃を受けた。
「アンリエッタの」
「……何で?」
「勿論、パトリシアの分も含めて、二人来てもらった」
「うん、パトリシアさんは分かる。でも、私には必要ないでしょ」
なんで、いきなり護衛? 拉致事件があったから? 相談もなしに決めるなんて、横暴なんじゃない?
「必要だ。厳密に言うと、必要な状況になったんだ」
「どういうこと?」
「こないだの事件で、ポーラ相手にアンリエッタが有効だと知った連中と、神聖力の多さを知った連中が、狙っているという情報を掴んだからだ。前者は恐らく、ソマイアの貴族だろう。後者は教会関係か。まぁ、どちらにしても、来るのは雇われた連中だろう。緊迫した状況じゃないから、腕利きが良い奴らが来るとは思えないが、念のためだ」
教会関係……。結局、逃げられない、ということなのかな。
「その情報は確かなの?」
「あぁ、俺の信頼できる伝手で、調べてもらった結果だ」
「侯爵家の?」
「それもあるが、アンリエッタを探していた時に出来た伝手だ。少し前に、ゴールク孤児院のことを、調べさせたからなのか、孤児院と繋がっている教会の動きも、ついで調べてくれていたらしい」
私が、追手が来るかもしれない、と言ったから、調べてくれていたんだね。本当なら、私自身が調べなきゃいけないことなんだろうけど、そうすれば、逆に足が付きそうで、怖くてできなかった。
「ごめんなさい」
「俺が心配だったから、勝手に調べたんだ。逆に、こそこそと嗅ぎ回るようで、済まなかった」
「ううん、それはいいの。教会関係は分かったけど、ポーラさんのことは? どうして、私が狙われるなんてことになったの?」
アンリエッタの質問に、マーカスは目を横に逸らした後、言い辛そうに重い口を開いた。
「こないだの事件で、伯爵邸に押し寄せたのが、思った以上に大規模だったのが、原因だ。表向きは、魔塔による、抜き打ちの調査ということにしていたが、やはりネズミが潜んでいたんだろう。そこから、あれはアンリエッタ一人のために行われたことが発覚して、ポーラを邪魔だと思う連中に、嗅ぎつけられた、というわけだ」
あぁ、平民一人のために、王女様が動いたら、そう考える連中もいるというわけか。知らない内に、ポーラさんの弱点にされていたなんて……。
「その情報の出所を聞いてもいい?」
「ポーラ自身からだ。魔塔の、側近の魔術師からの情報だそうだ」
「じゃ、これも本当なんだね」
一難去ってまた一難。まさか、一つ事件が発生しただけで、厄介なことが二つ……いや、パトリシアさんのことも含めると、三つやってくるなんて……。
それで突然、護衛なんて言い出したんだね。思わず溜め息を付くと、マーカスがアンリエッタの手の上に、自身の手を乗せた。
「俺もこの先、ずっと傍についていることは出来ないだろうし。こないだみたいなことが、またあるとも限らないから」
「それは……」
反論も出来なかった。今回は情報を掴めたから、対処できるけど、こないだのようなことは、何度でも起きるだろうから。私の勘も万能じゃないことが、今回のことで示してしまったわけだし。
「終始傍にいるわけじゃない、遠くから気づかれない程度に、護衛させている。だから、負担に感じることはないはずだ」
だから、分かってくれと懇願するように、手に力を籠められる。
「今回だけなら、我慢する」
そう答えると、ようやくマーカスの顔に笑顔が見えた。
「で、でも、その後はやめてよ。絶対に!」
「分かった、分かった」
色々な内情はあったが、準備を整えた二人は、パトリシアに会いに、学術院に向かうことになった。馬車になったのは、マーカスが徒歩を許可しなかったからだった。