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第二章 覚醒〜2
キョウコは僕にとって不思議な存在だった。同じクラスになって、まだ1年未満。それもオンラインゲーム繋がりなのだが、ずっと、昔から知り合いのような、なんというか、それ以上の懐かしさを感じている。
キョウコの前では、僕は下僕になる❣️
身勝手な言動であっても、不思議なことに怒りが湧いてこない。逆に癒してあげたいような、、、不思議な感覚に襲われる。前に何かで読んだ、前世の記憶をたどると、昔2人は恋人か❓または夫婦だったとか?…そのような話だったと思う。
(キョウコが恋人?、、猫目が嫁?、イヤイヤナイナイ、馬鹿か?自分!!)
僕は、女友達らと話し込むキョウコの横顔を見ながら、有らぬ想像し、赤らむ自分が、急に恥ずかしくなった。
しかし、この懐かしさにはそれなりの理由があることを後に知る。
キョウコとの屈託のない会話や、マスクをしての窮屈な感染対策をしながらの授業であっても、仲間と意思の疎通が出来るなら、この日、この瞬間が僕には奇跡に思う。
高二も残り少なくなり、仲間との心震わす行事一つないまま進学の年を迎えようとしていた。 そんな折、担任の前橋に呼ばれた。「宮原シズキ」キタ~!!面談の時の自分へのリスペクトの見返りとして、否応なしのとんでもない指令が、担任教師から返って来た。
「クラスでやりたいこと、思い出作りのための企画を各自で考え、希望を集計し、3つぐらいまでに絞り持って来い!最終的に実行可能なものを選び、それから学校と調整をし決めるから。これは、卒業するまでにこのクラスで実現させる。お前が中心になり、やり遂げろ!学級委員の二人にも、集計など手伝わせるから」
自薦(受験の内申書作為)でクラス委員になった二人は,当然時間に追われるガリ勉なのだから、自分の時間を他に使うなど、あり得無い!
おおいに揉める面倒な題材になることを予想し、百害あって、一理なしと委員の2人が、色々な理由をつけて断る事は、容易に理解できる。よって,メインで実行を進めるのが,僕になり、クラス委員が手伝いに回されたのだ。
(ダケドダ❗️わかってるのか❓俺様も、受験生なんすよ、何が統率力、信頼されてる?よく言うよ!!)
現在の僕たちの学校生活の状況から、担任の前橋は、僕たちの余りにも悲惨な状況を憂い、せめてもの思い出作りに、何か出来ないかと悩み考えてくれたのだろう。
前橋先生は、40代後半の少しだけ下っ腹が太いごく普通の中年のオジサンだ。最初聞いた時は、信じられなかったが、実は卓球の国体選手だったらしい。まだ1年の付き合いだが、偏りのない思考と正義感、ちょい悪オヤジだが、どこか優しく憎めない。すっきりとした言動を僕は良いと思う。多分、担任を嫌いな奴はいないのではないかと思っている。
それから暫く、僕は忙しい日々を送る。(もう流行病のウィルスも弱毒化してきたし、マスクなしの生活も目の前、早く、普通に暮らせる社会になれ!)
何処からか、新種のウィルスが見つかったと言うマスコミの報道が、あっという間に国中に浸透すると、煽り報道は熱を帯びる。弱毒化故に、感染率が高いとされる流行病は、この国では、第一級の感染症に変身する。いつまでたっても終わらない、この社会で生きる以上。
僕は、担任の前橋の指令をクリアするため、授業の合間を縫って職員室を行き来した。思っていた通り、学校全体で行事を中止している中、クラスの授業としての催しにするのは反対や制約もあり大きな壁だった。保護者からの異議もある事は予想の範囲内だったが、賛同を得るために、説明会も開くなど前橋は僕たちのために日々悪戦苦闘していた。
粘った甲斐が有り、取り決めや制約を守ることが条件で渋々承認された。感染者が出たら、即刻中止はもちろん成績のランク落ちがあった場合も中止になる。
何やかんやと、ほぼ日程まで決まった。
僕たちのクラスで、ドキュメンタリーの映画を作ることになった。学校側や保護者から,撮影の際のマスク無しは反対で、できるだけ全員が集まっての制作は、マスクとパントマイムですることになった。 題名
〜 僕らの マスク、戦争 〜
僕たちのクラスは、このまま3年に進級し、いよいよ受験を迎える。同じ担任の続投では無く、新しい教員に変わるのでは?と密かに囁かれていた為、みんなは戦々恐々としていた。➖問題教師➖と言うレッテルを貼られていることを、僕たちは承知していたのでとても不安で心配だった。前橋が教室に現れたときは、みんなマスクを外し、指笛(小さく鳴らす)をふき鼓舞した。
(もしもこの先、望まぬ未来が、僕たちを待ち受けていたとしても,前橋先生のBクラスになれたことを、一生誇りに思い生きていけるだろう!)
僕達は、流行病の合間に授業を受け、映画の撮影は、校舎の屋上だったり、許可を取ってほぼ体育館等で撮影した。着々と準備は整い仕上げを残すのみだ。どうか上映会を無事に開催できることを願う!開催日は7月中旬、夏休みの初め、保護者(人数制限のため、1名ずつの参加)招待し、上映会を開催する予定。
映画作りに辺り、当初は、ゼロからの出発で悩ましい問題も多く、頭を抱えた。勿論、受験生の僕らは,時間も、金銭的なものも制限があり、余裕がないため、できるだけ協力し合い自前で揃えた。簡単な映像なら、携帯でもできるのだが、やはりどうせなら映画作りの醍醐味として、映写機で取れたらなぁと、みんなは内心不可能な夢を描いた。
しかし、なんと暫くして前橋が、古い映写機と撮影用備品(ライトアップ用機材)も一緒に、揃えてくれたのだ。前橋の知り合いで、広告代理店を手がける撮影スタッフだった友人に、頭を下げ借りたのだと言った。
「いくら使用済みの映写機でも、返すのだから壊すなよ!取り扱いの説明通りに大切に使えよ!!」 (これ古くても使用可能じゃん?タダで借りられたのか?嘘だろ、イヤそんなわけが無いヨ,オーイ前橋!大丈夫なのか?)
撮影時間に限りがあるため,クラス28名分を小分けに撮影する。pandemicが起こって以来、3年にも及ぶ長いマスク生活に対して、又、社会に訴えたいこと等、あらかじめ自分流に考えてからの編集と撮影に臨んだ。マスクを外してのパントマイムや、説明と繋ぎにテロップや字幕を使いながら撮影は進行する。
監督は全員1の推薦で僕になった。
撮影隊は7人。道具や装置はその場にいる者,全員で用意し、撮影は2人で交代で撮る。そしてキョウコも、自分から実行委員を希望し、僕と一緒に日々撮影に参加し、主に照明と音響を担当した。
2人のクラス委員も、当初の渋々感は消え、撮影後のカット割りや生徒の日程調整など、どうしたことか、いつの間にか、積極的に前に出てまとめていた。それも生き生きとこなしている。
何度目かのpandemicにも慣れ、自宅待機中に各自出来る事を試みる。そして通学可能になれば、我先にと映画作りに参加した。混沌としたこの世の中にあって、僕もキョウコもクラスの皆んなも、共に活動する事は救いだったし、実際に、心、沸き立つ楽しいものだった。
7月に入り、テスト明けの午後、梅雨の合間の青空が覗いていた。数人で大道具に使う樹木と空の色を、少しふざけたりしながらも、青い絵の具を使用し、子供の様に衣服や手を汚し塗っていた。だが終わってみれば、なんと完成度高い出来栄えと言っておこう。流石である。
僕は、と言えば、キョウコの代わりに、効果音の編曲の微調整に苦労していた。キョウコは、急な家族の用事で岡山に出かける為、ソンデ、監督自ら音色の調整をしている。キョウコ自身は、何とか今日中に帰ってきて,明日までに間に合うよう自宅で編集するからと言ってたが、
「そんな大変だよ!大丈夫だから、僕は監督だよ、チョチョッテヤッツケとくから、安心して行ってきなよ!まかせなさい!!」と、キョウコに向かい言い放った。キョンは、何だかんだとゴタクを並べ、唇を尖らしアカンベエして、チャリに飛び乗り走り去った。と、行ったものの、やはりキョウコにしか分からない微妙な音のニュアンスが、すこぶる難い。(ワルイ、キョウコ!!明日には,合わせがあるから、やっぱムズイ、戻ってきてくれ〜)、心の声。
突然、携帯が鳴る、、、、(もしかしてキョン❓)
急いで携帯を取る。「シズキ❗️弟が、ハクト君が大変だよ!!一本道の自転車道の銀杏並木の所、怪我してるのよ、それより苦しそう早く来て!」 「エッ?ハクト!!が?」
【 大三章 開戦〜1へ 】へ、続く