『100回目のさよなら、ただいまを君に。』
第1話「君を知らない君へ」
春風がふわりと髪をなでた。
桜が舞ってる。新しい制服の襟がまだ馴染まなくて、少しだけ肩がこそばゆい。
「……はぁ。だる。」
校門前で、凛音(りんね)は小さくため息をついた。
新学期、3年生。周囲は浮き足立ってるのに、彼女の心はひんやりと冷めていた。
──今年も、湊はいない。
「……忘れたはず、だったのに。」
そう、3年前の春。
何も言わずに姿を消した、幼馴染の男の子。
どんなに探しても見つからなかった。連絡先も、突然繋がらなくなって、まるで最初からこの世に存在してなかったみたいに。
忘れるために、彼女は「湊」の名前を誰にも言わなかった。
けど、ふとした瞬間に思い出してしまう。
あの声。笑い方。泣きそうな時に無理して作った笑顔。
そんな時だった。
「おひさ。覚えてる?」
その声が、耳に届いたのは。
振り返った先にいたのは——制服姿の、あの男の子。
時が止まった。
「……え?」
「俺のこと、忘れた?凛音。」
目の前に立っていたのは、
名前も声も、何もかも忘れられなかった、湊だった。
「……湊?」
目の前の彼が笑った。
けど──
その笑顔が、どこかぎこちなく見えたのは気のせいだったんだろうか。
「久しぶり、だよな。3年ぶり……とか?」
言葉を選ぶような話し方。
目は笑ってるのに、どこか――怖がってるようにも見えた。
凛音は言葉を失ったまま、ただ立ち尽くしていた。
だって、湊は“何も言わずに消えた”人間だ。
それを今さら、何事もなかったみたいに「久しぶり」なんて……。
「なんで……」
喉が詰まる。
「なんで、今さらここにいるの?」
言葉が零れた瞬間、湊の目がすっと伏せられた。
「……ごめん。」
たった一言だった。
でもその“ごめん”は、まるで100回繰り返したかのように、重くて、悲しくて。
その一言に、理由も説明も、全部が詰まってる気がして。
「……っふざけんなよ。」
凛音は踵を返した。
もう顔を見たくなかった。感情が崩れそうだったから。
でもその時、湊の声が背中を追いかけてきた。
「凛音……!俺は……っ」
風が吹いた。桜が舞った。
──その声の続きを、彼女は聞かなかった。
いや、聞こえなかった。
*
教室。
席についた凛音の心臓は、まだドクドクと早鐘を打っていた。
……湊だった。間違いない。
声も、目も、手の大きさも、全部覚えてる。
けど──
(なんで……あんな顔してたんだろう)
何かを言いかけて、やめた顔。
あれは、「何か」を知ってる人の顔だった。
そして、その“何か”を凛音に伝えられないって、最初から諦めてる顔だった。
「……やっぱり、おかしい。」
勘違いじゃない。
彼はきっと、「ただの再会」じゃない。
何か、もっと大きなものを抱えて、ここに“戻ってきた”。
(……まさか。まさか、ね)
ふと、彼女の脳裏に浮かんだ言葉。
それは、彼女が何度も夢で見た、意味不明なフレーズ。
──『また春が来たら、君に“さよなら”を言うんだ』
第2話「100回目の再会」
放課後の教室。
湊は一人、窓の外を見つめていた。
そこには、何度も何度も見た風景が広がっている。
見慣れすぎて、愛おしくて、でも同時に――怖い。
「また、この春が来た。」
今回が、100回目。
湊は“時を繰り返している”。
あの日、凛音を庇って事故に遭った瞬間から。
彼だけが、何度も“同じ1年”をやり直している。
毎回、同じ春に戻ってくる。
凛音に出会い、また彼女を救えず、死に別れる。
けど今回が違う。
「今回は……君を死なせない。」
そう、99回目の結末。
凛音は“事故ではなく、自ら命を絶った”。
湊は知ってる。
彼女が心の奥でずっと自分を恨み、そして苦しみ続けていたことを。
それを見届けた湊は、絶望の中で願った。
「最後の1回でいい。俺にもう一度だけ時間をくれ」
その願いが、なぜか届いた。
今回が最後。100回目のやり直し。
これでうまくいかなければ、もう永遠に凛音には会えない。
「凛音……今度こそ、君に全部伝えるから。」
*
その夜、凛音は夢を見た。
──満開の桜の下で、誰かが泣いている。
誰かを庇って、血を流して。
その顔は、ぼやけてるのに、なぜか“懐かしい”。
(……湊?)
目覚めた時、胸の奥が苦しかった。
どうして、夢の中の彼が泣いていたのかもわからないのに、涙が止まらなかった。
(わたし……何か、大事なことを忘れてる?)
第3話「言えなかった“ただいま”」
学校の帰り道、湊が凛音に声をかけた。
「少しだけ……話、いい?」
「……今さら?」
凛音は睨むように言った。
でも、湊の真剣な目を見て、無視することはできなかった。
二人で歩いた小道。
3年前、最後に一緒にいた場所だった。
「……あの時、なにも言わずにいなくなって、ごめん」
「どうせ、また『家庭の事情』とか『転校』って話でしょ」
「違う」
湊は凛音をまっすぐ見た。
「俺は、事故で死んだんだ。君を庇って」
凛音の足が止まる。
「は……?なに言って……」
「俺は、君と同じ時間を繰り返してる。
100回目の“やり直し”なんだ。君を助けるために」
凛音は笑った。信じられるわけがない。
「……頭、大丈夫?」
でもその目に映る悲しさは、嘘じゃなかった。
凛音は胸の奥で震えるような感覚を覚えていた。
(……私も、夢で“何度も湊を失ってる”気がする)
現実が揺らぐ。記憶の奥底で、何かが目を覚ましかけている。
第4話「思い出してしまった未来」
夢が、どんどんリアルになっていく。
過去の湊、血を流す湊、そして――自分の手にあったカミソリ。
凛音は気づいてしまった。
(私……死のうとしてた?)
湊と再会した年、彼が何も言わずに消えたその年、
彼女は絶望の果てに、自分を終わらせようとしたのだ。
でも記憶は曖昧で、現実と交差していない。
まだ“確信”に変わらない。
湊は言う。
「今回が最後なんだ。だから、凛音。お願いだから、君の本当の気持ちを教えて」
「……湊がいない世界なんて、いらないよ」
その言葉に、湊は初めて涙をこぼした。
第5話「桜が散る前に」
季節は加速していく。
桜が散る前に、湊は“この世界”を終わらせなければならない。
でも、凛音の中にある「死にたい気持ち」は、完全に消えてはいなかった。
「君を救うって、簡単じゃないんだな……」
湊は、100回目にして初めて、凛音に“キス”をした。
「生きててくれて、ありがとう」
彼の言葉が、凛音の心を壊した。
「……湊、もういかないで。いなくならないで……」
「俺も、そうしたいよ。ずっと君といたい。だけど……」
そのとき、また桜が舞った。
湊の体が、ふわりと光を帯び始める。
「え……?」
「これが、タイムリミットなんだ」
湊は最後の最後に笑った。
「でも、今回は大丈夫。君はもう、ひとりじゃない」
凛音が泣きながら叫ぶ。
「湊、行かないで!!いやだ……!!」
そして――
世界は、光に包まれた。
最終話「ただいまを、君に。」
気づくと、凛音はベッドの上だった。
病院。
手首には包帯。外は、春の風。
「……また、生きてるんだ」
病室の扉が、そっと開いた。
「やあ。目、覚めた?」
そこに立っていたのは、白衣姿の青年。
どこかで見たことがあるような顔。
「あなた……誰?」
その人は、微笑んだ。
「俺は医者。……でも、君が覚えてなくてもいい。
ただ、これだけは言わせて」
凛音の胸が、なぜか痛くなる。涙が滲む。
「君が生きててくれて、本当に……良かった」
凛音の目が大きく見開かれる。
「……湊?」
その時、記憶の中で誰かが囁いた。
『100回目のさよならを終えて、ようやく言えるんだ。』
『ただいま、凛音』
桜が、窓の外で静かに舞っていた。
―END―
コメント
2件
なんでこんな短くきれいにまとめれるのよ...。泣きそうになったのうちだけ?