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『誰にも言うな。何も漏らすな。そうすればお前は許してやる』
振り払っても振り払っても、頭の中に多川の声が反芻している。
学校に来た方がマシかと思ってきては見たものの、朝からあんな紛らわしいものを見せられて、すっかり動転してしまった。
尾沢は8組の自分の席に座りながら頭を抱えた。
忘れようとしても、昨日見た光景が頭から離れない。
―――クソ……。なんでこんなことに……。
尾沢は顔を歪めながら、「英語小テスト ~10:15 」と書かれた黒板の文字を睨んだ。
◆◆◆◆
昨日、校門をくぐろうとしたところで、多川から電話が来た。
『今すぐ来い』
今まで自分からヘコヘコついて言ったことはあったが、呼び出されたのは数えるほどしかない。
だんだん自分も必要にされてきたのだと思うと嬉しかった。
多川の事務所に足を踏み入れた瞬間、いつもと雰囲気が違うことに気づいた。
「―――ああ、来たか」
玄関で待っていた金髪で肩に龍のタトゥーが入った通称タツが、だるそうに立ち上がった。
「こっち」
「うす!」
煙草の灰をそこらへんに払いながら、先導して歩き出すタツに続き、廊下を歩くと、奥のホールに到着した。
「……おお!」
幼稚園を改築しているので、ここも体育館だったはずなのだが、今や赤いじゅうたんが敷き詰められ、クロスを貼られたそこは、ちょっとした結婚式会場のようだった。
たくさんの花輪が飾られ、紅白幕が吊られている。
『祝 奈良崎さん、お勤めご苦労様でした』
そんなセンスのかけらもない横断幕が掛かっている舞台を見て、尾沢はもう一度「おお…」と呟いた。
「今日でしたっけ?奈良崎さんが帰ってくるのは」
タツに聞くと、
「明日」
彼は素っ気なく答えた。
そして脇にある用具倉庫の前に立つと、軽くノックをした。
「尾沢、来ました」
言うと中から、
『入れ』
多川の声が聞こえてきた。
タツが扉に手をかける。
「――――」
いくら普段、蜂谷に“お前って抜けてるよな”と笑われる自分でもわかる。
この先にあるものは―――。
おそらくイイモノではない。
ガラガラガラガラ。
低い音を立てて、扉が開いた。
薄暗い用具倉庫。
以前は子供たちが使ったのであろう古びたマットレスの上に、手足を拘束された男がうつ伏せに転がっていた。
「………会……長……?」
全身に鳥肌が立った。
誰の趣味なのかは知らないが、この暑いのに学ランを着せられた右京は、手足を縛られながらも必死で頭だけ上げてこちらを見上げた。
「なんで会長が……」
尾沢は頭皮にまで鳥肌を立てながら、縛られた右京と、寄り添うように横に座った多川を交互に見つめた。
「お前が教えてくれたんだろうが。来週、こいつが山形に帰るって」
「だってそれは多川さんが、こいつの祖母ちゃんに自分の祖母ちゃんが団地でお世話になったから、礼の一つでもしなきゃって言ってたから……」
「はあ?そんな話、本当に信じたのか?」
ゲラゲラと多川と周りが笑う。
「お前、本当に抜けてるよ」
「――――!」
多川は立ち上がりながら、携帯電話を取り出した。
「お前に面白いものを見せてやる……」
言いながら太い指をディスプレイに走らせると、その画面を尾沢に見せてきた。
「―――わかるか?」
そこには、右京が映っていた。
しかし、雰囲気が随分違う。
着崩した学ラン、睨みつける目つき、そして―――。
―――髪が……赤い……?
尾沢は目を見開いた。
「これは去年の写真。お前とは違って優秀な俺の後輩が、わざわざ山形まで行って、こいつの母校の奴を捕まえてゲットしてきた写真だ」
言いながら多川が右京の髪の毛を掴み上げる。
「うぐッ」
右京が苦痛に顔を引きつらせる。
多川はにやりと笑った。
「こいつが――”赤い悪魔”の正体だ」
「……そ、そんな。俺、し、知らなくて……」
尾沢の言葉に多川が眉を下げる。
「誰もお前が知っていたのに黙っていたとは思ってないさ」
言いながら右京をマットレスに沈めるように離し、今度は尾沢の肩に手を置く。
「もしお前で気づくなら、東京都民全員が気づくからな?」
また取り巻きが笑う。
「お前みたいなオツムの弱い奴、俺はいらない。ツラも好みじゃねーしな」
言いながら臭い息をかけてくる。
「でも今回、この右京君の動向を逐一報告してくれたのには感謝するよ」
多川は笑うと、また転がっている右京の脇に座った。
「だからご褒美をやろう」
言いながらうつ伏せだった右京をひっくり返す。
学ランを捲りベルトに手をかけると、それをカチャカチャと外していく。
「―――何を……」
尾沢が言うと、
「わかんねえか?やっぱり勘の悪いだよ、お前は」
多川はそのチャックを一気に下ろした。
「一発、ヤラせてやるって言ってんだよ」
◇◇◇◇◇
尾沢は頭を抱えた。
暗闇の中に浮かび上がった右京の白い肌を思い出す。
こちらを見上げる潤んだ大きな目を思い出す。
多川によってマットレスに突き飛ばされた尾沢に、右京は囁いた。
「……尾沢。お前の好きなようにしていい。お前が助かるために最善だと思うことを、俺にしていい」
「――え?」
「俺は、ちっとも痛くない」
その真っ直ぐな瞳を見た瞬間、尾沢は立ち上がった。
「できません……!できません、俺には!!」
「はは。やっぱり無理か」
ガタガタと震える尾沢を見上げて、多川は笑った。
「誰にも言うな。何も漏らすな。そうすればお前は許してやる」
頷くのがやっとだった。
「ほら。行け」
多川に胸を押され、尾沢は用具室から出た。
あとは無我夢中でホールを飛び出し、廊下を走り抜けて、事務所からスリッパのまま逃げ出した。
あの後―――。
右京はどうなったのだろう。
なぜ事件になっていないんだ。
祖母はなぜ右京が家に帰ってこないのに行動を起こさないんだろう。
でも―――。
自分には何もできない。
多川の怖さを知ってる。執着心の強さも知ってる。
そしてそのバックにいる奈良崎の恐ろしさも―――。
「…………!」
耳を塞ぎ、目を閉じる。
右京になんか、なんの義理もない。
ここで自分の身を危険に晒してまで、助ける理由がない。
あいつが赤い悪魔なら、自分が招いた結果だろ。
関係ない。俺には―――。
あいつが犯されようが、ボコられようが、
殺されようが――――。
「はい」
「―――」
「はいって!」
その声に目を開けると、前の席の響子がこちらを睨んでいた。
「早く受け取ってくれる?」
その手には生徒会の会報が握られていた。
―――このタイミングで……。
尾沢は受け取ってすぐにそれを裏返した。
「…………!」
とそこには右京の顔写真があった。
『ありがとう、宮丘学園』
「――――」
「尾沢?」
響子が眉間に皺を寄せる。
「―――ああ!!もうっ!!」
尾沢はそれを丸めて立ち上がると、ドアの脇にあるごみ箱に突っ込んでから、廊下に飛び出した。
7組を通過し、6組の扉を開けた。
あまりの勢いに跳ね返った扉の音に驚いた女子生徒が悲鳴を上げる。
窓際の席に座って頬杖をついている男の目の前まで行くと、尾沢は迷いを吹き飛ばすように言い放った。
「顔貸せ!―――蜂谷!」
◆◆◆◆◆
「静かだねー。右京君。昨日はよく眠れたー?」
タツが開け放った窓の外を見ながら言った。
「おい返事は」
言いながら振り返り、転がっている右京を踏みつける。
「やめろよ。大事な大事なプレゼントだ。傷もんにすんな」
多川が低い声で言う。
「でももう学ランの替えはないからな。トイレに行きたくなったら早めに教えてくれよ、右京くん?」
多川が言うと、他の取り巻きたちは笑った。
「にしても……。尾沢のやつ、逃がしてよかったんですか?」
「邪魔だからわざと逃がしたんだよ。まさかあいつに警察に駆け込むポテンシャルなんてねえしよ」
多川は笑った。
「警察には言わないでしょうけど。オトモダチには言うかもしれませんよ?」
「―――蜂谷か」
タツの言葉に多川は笑った。
「あいつだって家柄上、警察沙汰にできるわけねぇ。来るとしたら、一人でだろうな」
「来たらどうすんですか?」
多川は笑いながらマットレスに腰を下ろした。
「……そうだな。また咥えてもらおうかな?あいつの口の中は意外と具合良かったんだ」
「はははは」
取り巻きたちが笑う。
その言葉にやっと僅かに反応した右京の顔を見下ろしながら多川が笑う。
「………なんだよ、その目つきは。赤い悪魔くん?」
右京は瞬きもせずに多川を睨み上げたまま言った。
「昨日から誰の話をしてんだ、てめえらは。赤い悪魔なんて俺は知らねぇぞ」
「はは。しらを切ったって遅いんだよ。それより気になってたんだが……」
多川は右京の首に手を添えた。
「もしかしてお前、蜂谷とデキてるのか?」
「あいつは、関係ない」
睨み上げるその目に、多川はへへへと下卑た笑いを漏らした。
「なんだ、ハツモノじゃないならさっさとそう言えよ。納品前に傷物にしちゃ失礼だと我慢して損しただろ」
言いながら多川は自分のズボンのベルトを緩め始めた。
「ケツの経験がある奴に1回突っ込んだところで、商品価値に違いはねーよな。そうだろ?」
取り巻きたちが笑いながら窓を閉め、ホールの冷房を入れた。
「気が利くね、お前たち。ほらどうだ?生徒会長。うちの執行委員もなかなかなもんだろ?」
多川がおどける。
「―――喘いでも叫んでもいいけど、喉だけは枯らすなよ。奈良崎さんに聞かせる悲鳴が物足りなくなると困るからな」
多川は右京の学ランに手をかけると、
「味見してやるよ。右京君……?」
ニヤリと笑った。