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篠崎の車に乗り込んだ時には、西の空がオレンジ色に染まり始めていた。
「よし。急ぐぞ」
言われるがままにシートベルトを締める。
篠崎のアウディの低いエンジン音が響き、車は時庭展示場を出発した。
「どこに行くんですか?」
由樹は運転席を見上げた。
「……お前、少しは脳みそを働かせろよ」
篠崎がため息交じりに言う。
「その膝の上に置いてある2つを見て、推理しろ」
由樹は渡されるがまま持ってきたものを見下ろした。
100メートルまで測れる巨大な巻尺と、デジカメ……。
「……運動会ですか?」
見上げると篠崎は驚いたように少し目を開いたあと、ニヤッと笑った。
「正解。お前にしては冴えてんな」
意外な回答に、由樹は狐に摘ままれたような気持ちで国道を眺めた。
南の空は少しずつ夕闇が迫っていた。
「分譲地なら分譲地って言ってくださいよ!」
由樹は、開けたその土地を見て、ため息をついた。
「C-2-3。あ、ここだ」
言いながら篠崎が巻尺の端を由樹に渡す。
「よし。北の端まで走れ!新谷!」
「え!?」
「ほら、早く!」
言われるがままに走る。
「赤いブロックがあるだろ?」
確かに掌サイズほどの上下に線が入っているブロックが土に埋まっている。
「それが境界線だから。その十字の真ん中に先を合わせろ」
言われるがままにそこに押し付けると、篠崎は、「14.55メートル」と呟いた。
「新谷、今度は西に走れ」
言いながら立ち上がる。
「……西」
きょろきょろと見回していると、「太陽が沈む方だ、馬鹿!」
と野次が飛んでくる。
(そうだ、確かに!)
由樹は慌てて夕陽の方に駆けだした。
同じ過程を3箇所の土地で行った。
始めこそ分譲地だったが、2件目は住宅地に囲まれた更地、3件目に関してはまだ家屋が残る空き家だった。
「ここ、まだ建物が建ってますよ?」
由樹は築50年は超えると思われる古い建物を見上げた。
「ああ。この土地を買う場合は、まずは解体からだな」
篠崎は何でもないように言った。
「土地を買う上で珍しくないから覚えておけ。土地の持ち主は、みんながみんな、解体して整地して綺麗にしてから売るわけではない。何らかの理由で継いでしまったものの、そんな金を捻出することが出来ず、全て不動産屋に任せて、安値で売っ払う場合も多いんだよ。持っていても土地に関しての固定資産税を毎年取られるだけだからな」
「はぁ、なるほど」
「まあその建物を解体するかどうかは、不動産屋の判断だわな。そんなに古くなければ、中古物件として買う人間もいるかもしれないから、そのまま残して売るか。古すぎて印象が悪いから、不動産屋の金で解体・整地して、その分売値に組み込むか」
由樹は見上げながら頷いた。
「土地探しも大変なんですね」
「当たり前だ」
篠崎は由樹を見下ろした。
「土地がなきゃ、家は建たないからな」
「………」
土地がなきゃ、家は建たない。
その“当たり前“であるはずの言葉が、由樹の心に響いた。
「……すごいですね」
測り終わった巻尺をくるくると巻きながら篠崎が新谷を見下ろす。
「本当に、土台から作ってあげるんですね、家を」
言ってから由樹は微笑んで篠崎を見上げた。
「そりゃあ、お客様も選ぶわけですね。自分たちの足元からちゃんと支えてくれる営業を」
篠崎はその顔を見て、一度ゆっくり瞬きをすると、ふうっと息をついた。
(……ん?なんだ?この顔)
「よし。下見終わり。帰って土地の資料作りするぞ」
取り直すように言うと、篠崎は車に向けて歩き出した。
「資料、ですか?」
「土地の広さ測って写真撮って終わりじゃねえよ。最寄りのスーパー、小学校、公園、コンビニ、利便性を調べて資料にするんだよ」
篠崎は言いながら車に乗り込んだ。
由樹も慌てて助手席のドアを開く。
「そっか。建てて終わりじゃないですもんね。そこからお客様の人生が始まるんですもんね!」
言いながらシートベルトを締めると、また篠崎が静止して、こちらを見つめている。
(また、この顔……)
「俺、何か変なこと、言ってます?」
覗き込むと篠崎は小さく首を振り、
「いや、何でもねえ」
ハンドルに手をかけ、右手でキーを回した。
(……なんなんだ?)
助手席に座りながら、由樹は黙りこくってしまった篠崎の顔と、暗闇を交互に眺めた。
車は郊外を抜け、山道に入っていく。
「後ろの席に置いていいぞ」
「え?」
「巻尺。結構重いだろ」
篠崎が続くカーブから目を逸らさないまま言う。
「あ、すみません」
そんなに重くはなかったが、せっかく言ってもらったので由樹はそれを後部座席に置くべく振り返った。
と、そこには弁当袋が無造作に置いてある。
「…………」
由樹はその脇に巻尺を置くと、篠崎を見上げた。
「今夜、遅くなって大丈夫ですか?」
「……は?」
何かを考えていた様子の篠崎は、ちらりと由樹を見下ろした。
「弁当箱、返しに行かなきゃいけないんじゃないんですか」
少しだけ探りを入れてみようと思っただけなのに、自分の心臓が胸ごと暴れ出した。
(………う。自爆……)
荒ぶる心臓に息さえ苦しい。
何でもないような顔で見上げるのも辛くなり、由樹は前方に視線を移した。
「……あー」
篠崎が低い声を発する。
「そのうち向こうから取りにくんだろ」
(……はい爆死)
篠崎の家を出入りしているであろうその女性の存在に、由樹は胸を押さえながら軽く前かがみになった。
「……おい」
その様子を横目で見ながら、篠崎が言う。
「近道なんだよ。山抜けたほうが。でもカーブが多くて酔ったか?」
「……いえ」
胸の痛みをこらえながらシートに背中をつける。
「大丈夫です」
篠崎は睨むように見下ろした。
「吐くなよ」
「……はい」
車は暗い山道を進んでいく。
由樹はそのまばらに立っている街灯に時折照らされる弁当袋を振り返り、またため息をついた。
展示場に戻ると、今日撮った写真データと、ソフトで作った地図と平面図を組み合わせ、土地ごとの資料を作っていった。
「お前、本当に平成生まれか?」
篠崎が由樹を呆れて見下ろす。
「なんでエクセルも使いこなせねぇんだよ」
大学は工学部でエクセルなんてフォーマットに数字を載せていくだけだったし、前職では専用ソフトを使っていたため、エクセルを開く機会さえなかった。
「いいか。ハウスメーカーは資料作りから、展示場内のポップ、イベントのチラシ作りまで、全てエクセルだ。年寄りパソコン教室にでも通って覚えてこい!」
「は、はい!」
焦りながらマウスをカチカチ動かしていると、
「……このままじゃ夜が明けるって」
篠崎が右隣からマウスに手を伸ばした。
左手が由樹の椅子に無造作に置かれ、開いた足が由樹の背もたれのすぐ後ろにある。
(………へ、平常心だ。平常心…!)
画面上では土地情報が、篠崎の手でわかりやすくかつ魅力的に出来上がっていく。
「そ、そういえば、聞きたかったんですけど…」
由樹は照れ隠しに篠崎に話しかけた。
「あの土地情報ってどこから持ってきたんですか?」
言いながら振り返ると、想像していたよりも篠崎の顔が至近距離にあり、由樹は慌てて画面に目を戻した。
「土地情報~?」
言いながら篠崎はマウスを一旦離すと、自分のデスクに戻り、引き出しから名刺ファイルを出した。
「これ、うちと取引のある不動産屋。ここに電話して片っ端から情報をファックスしてもらう方法と……」
言いながらまた横からマウスを手で包む。
(う……。さっきより近い……!)
由樹の戸惑いに気づかないまま、篠崎は検索エンジンに「時庭」「土地」と入力してエンターキーを押した。
「これで土地が出てくるだろ?」
篠崎が言う通り、画面には土地の写真と金額が並んでいた。
「それでめぼしいのを見つけたら、ほら、ここに不動産屋の電話番号が載ってるから問い合わせる。
ネットの情報は古いからな。電話を掛けた時点でもう成約済みである場合はざらにある。成約まで行かなくても、誰かが商談中だったりすると、8割型決まっちゃうから、まあアウトだわな」
とマウスから離した篠崎の手が、新谷の手を握った。
「……え?」
それをマウスの上に握らせられる。
「慣れだ慣れ。自分で見てみろ」
言うと篠崎は、フウと息を吐きながら立ち上がると、コーヒーを淹れるべくコンロの前に立った。
(……び、びっくりした)
まだ手の甲に残る篠崎の手の熱の余韻を感じながら、由樹は画面を覗き込んだ。
「知ってる場所も出てきたりして、案外楽しいだろ」
言われるがままに画面をスクロールしていく。
「ホントだ。これ、俺の同級生の家の近くですよ。あ、こっちは小さいときに遊んだことのある空き地だ!」
「そーかそーか」
棒読みで答えながら篠崎はカップにインスタントコーヒーの粉を入れた。
「……あれ?」
その画面の一つを見て、由樹は手を止めた。
「どうした」
「あ、いや、俺の実家も南部にあるんですけど、近くに空き家が結構あって。それもここに載ってるかと思ったんですけど、全然ないなって」
「ああ」
篠崎は一口コーヒーを飲むと、再び隣に座った。
「まあ、担当の不動産屋が、隠し玉として公表してない場合もあるけど、空き家は意外と売りに出されてないことも多いぞ」
「え、どうしてですか?」
「誰か親戚が将来的に住む可能性があったり、先祖代々の土地だからと手放すことに抵抗があったり、あとは……」
篠崎はもう一口コーヒーを口に含ませ、喉を上下させてから言った。
「遠方に住んでいて、売買手続きに時間が取れない場合、とかな。そういう土地は、先方が早く手放したがっているため、場合によっては安く買うこともできる。土地の登記簿を見れば、今の所有者がわかるから、文書を送ってコンタクトをとることもできる」
言いながら篠崎は笑った。
「まあ、その文書に何の反応も示さなかったらそれまでだけどな」
由樹は再度パソコンの画面を見つめた。
(土地は土地で、奥が深いんだな……)
「よし。遊びはここまで。お前、さっさと土地情報作れ!」
篠崎に促されて、由樹は慌てて姿勢を正すと、画面をエクセルに戻した。