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母娘が訪ねてきたのは、展示場の掃除が終わり、昨日の夜中までかかって新谷と共に作った土地情報のファイルを、鞄に入れた時だった。
モニターに映ったその姿に篠崎がスーツの上着を身につけて展示場に出ると、二人は揃って頭を下げた。
周りを見回したが、祖母はいない。
二人の深刻そうな顔から、すぐに何かがあったことは分かった。
和室に通すと、彼女たちは昨日とは一転、膝をぴたりとつけて座ると、並んで頭を下げた。
「……すみません、私たち、セゾンさんで家を建てるのは無理そうです」
篠崎は二人の顔を交互に見ると、思わずふっと笑った。
「何か変なこと言いました?」
途端に母親の方が怪訝な表情になる。
「お気を悪くしたなら申し訳ありません。いや、お二人には悪いのですが、私どもはその展開には慣れっこでして」
篠崎はかしこまる二人に気を使わせないように、わざと肩の力を抜いて話した。
「そもそも家なんて、一日二日で決められるものではありません。他のメーカーもあれば、地元業者もある。親戚のツテもあれば、仕事上の付き合いもある。
他社が介入してきたときに、やんごとなき理由で、そちらにせざるを得ないことは往々にしてあります。だから断られるのには慣れているので」
ただ、と前置きして篠崎は微笑んだ。
「昨日は一緒だったお母様がいらっしゃらないし、お二人がとても悲しそうな顔をなさっていたので、お母さんに何かあったのかと、変に勘ぐってしまったもので……」
言うと、二人は顔を見合わせながら、口を結んだ。
そのタイミングで新谷が緑茶を持ってきた。
さすがに空気を読んだらしく、小さく会釈しながら俯き加減で置いていく。
「せっかくなので、よければどうぞ」
軽く手を開き、篠崎は座り直すと、自分の湯飲みの蓋を開けた。二人も促されるように、それぞれ蓋を開けている。
「理由は無理には聞きませんが……」
篠崎は二人を見上げた。
「もし話していただけるなら、当社を選ぶ選ばないに関わらず、何かアドバイスできることがあるかもしれませんよ」
二人は鏡で映したように同じポーズで同じタイミングで湯飲みを持ちあげると、また顔を見合わせた。
無言で一口すすると、娘の方が口を開いた。
「……実は、その、祖母のことなんです…」
「出てきましたか、兄嫁夫婦~」
渡辺は椅子にもたれながら、上司の顔を見上げてため息をついた。
「どっかで出てくるとは思ったけどな」
篠崎は目を細めた。
「まさか2000万の出所があの祖母さんだとは思わなかったな」
腕組みをしてシンクに凭れながら篠崎は顎を上げてため息をついた。
ことの経緯はこうだった。
シングルマザーの母は、一人娘を手塩にかけて育て上げた。
しかし無論家を建てる金などなく、ずっと公営住宅の古くて寒い住まいだったらしい。
今回、娘が結婚するタイミングで、夫を迎えた3人で住む家を検討していたところ、老いた母親から「お前のためにとっておいた」と2000万円出資してもらうことになった。
娘とその夫は、それぞれ借りた奨学金を返さなければいけないということもあり、住宅ローンは3000万円が限度だった。
もともと土地含みで3000万円で考えていたのだが、土地代の2000万円を祖母がだしてくれるというので、大喜びで憧れのセゾンエスペースの展示場に来たというわけだった。
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「本来なら手が出ないメーカーなので、私たち、浮かれちゃって」
娘が肩をすくめて言った。
「お祖母ちゃんを家に送るときに、ちらっと言っちゃったんですよね。その時は叔父さんも笑ってたんですけど。あとから叔母さんから怒りの電話がかかってきて……」
要は、自分たちが祖母の面倒を見ているのに、何もしていない妹たちだけが金銭をもらうのはおかしい、ということらしかった。
「でもうちの母は、兄嫁に何を言われてもお金を出す気でいるので」
母の方は昨日より5歳は老けて見える暗い顔で言った。
「これで兄嫁と母の関係が悪くなっても困るんです。私は働かないといけないし、母の面倒をとても見れないので」
二人はそこで再度視線を合わせた。
「だから、母にはお金をもらったふりをして、私たちの資金で建てられる家を建てて、それを、母からもらったお金を当てて建てたってことにしようって」
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「まあ、それしかないっちゃないでしょうね」
篠崎の話を、ペットボトルのコーラを傾けながら聞いていた渡辺が神妙そうに頷く。
「マネージャーには貧乏くじでしたけど、どうしようもないすね」
「ま、しゃあねぇな。これが契約直前とかじゃなくてよかったよ。まだ土地探ししか……」
自分の席で黙って聞いていた新谷が、篠崎の言葉を遮って振り返った。
「……ああ?」
「あのお祖母さんを誤魔化すことは、できないと思います」
妙に確信めいた顔で、新谷は言った。
「なんで」
聞き返すと、彼はそのまま篠崎を見上げて答えた。
「昔、建築事務所の事務をなさっていたそうで。家を見るとわかるんだそうです。主柱が入っている場所からその本数まで」
篠崎は事務所を眺めた。確かにプロなら窓の大きさや壁からの間隔で、柱の位置や間隔、本数は推理できる。
「セゾンの柱は多い。そこにお祖母さんは感心されていました。それと同じレベルで家の柱を増やすとなれば、他のメーカーではセゾンより高くなりますよ」
新谷はなぜか挑戦的な目で篠崎を見つめた。
「………じゃあ、どうすんだよ」
言うと新谷は、立ち上がった。
「行きましょう!」
「……まさか、兄夫婦を説得しに行くなんて、お花畑満載なこと言い出すんじゃねぇだろうな」
呆れて眉をひそめた篠崎に、新谷は口の端を上げて微笑んだ。
「決まってるじゃないですか。デートですよ!」