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ちょっと待って! いきなり距離を詰めないで! 慣れた仕草で腰へ腕を回さないで! って、焦れば焦るほどに頭の中はパニックになり冷静な受け答えが出来なくなる。
これは仕事のはずなのに、そこにハグやキスが必要ですか? それだけでなく、神楽 朝陽は私の肌に触れていいかとまで聞いてきたのだ。
「いっ、いいわけないでしょーが! この……ドS御曹司!」
「いって! 鈴凪、おまえな……」
腕を回され引き寄せられたことで慌てた私、気付いたら朝陽さんのお腹に思い切り肘打ちしてしまっていた。かなり痛かったのか、彼がギロリと睨んでくるけれどそれどころじゃない。
至近距離で嗅いだ朝陽さんの香水の香りのせいか、何だか身体が火照ってる気がして。
……うう、全部朝陽さんが悪い! 変な事を聞いてきて、その上許可なく触れてきた朝陽さんがいけないんです!
「わ、私の所為じゃないですよね!? フリなんだから相手に触る必要なんてないし、愛情だって言葉で伝えることが出来ますから」
「……へえ? じゃあ鈴凪は言葉だけで、相手に愛されてるって満足出来てたって事?」
え、それを聞いてくるんですか? いくら何でも数回会っただけの朝陽さんに、そこまでぶっちゃけて話す勇気はない。
もし話したところで、この人が真剣に聞いてくれるかも分からないのに。なんて考えていると……
「俺は、誰かを愛したら触れたいし触れられたい。言葉だけじゃなく、相手の態度や行動で想われてるって実感したい……と思う」
「意外と、ロマンチストなんですね」
揶揄ってるわけじゃない、本当に朝陽さんがそんな風に考えていることに驚いただけ。普段の発言や行動から、この人の恋愛観はもっと冷めていると思っていたし。
見かけによらず朝陽さんは、恋人にしたら愛が重いタイプだったりするのかもしれない。それはそれで、面白そうだけど……
「意外と、は余計だ。鈴凪はそう言う気持ちにはならなかったのか、守里 流と恋人同士だった時に」
「流……」
流の事はもちろん好きだった。何年も付き合い、愛情だけじゃない深さが私達にはあると信じてもいた。
だけど……一つだけ彼との間に悩みがあったのも事実で。
「どうしたら、触れられたくなるんですかね? 私は流に性的な意味で触れられて、気持ち良いと思えたことが無くて」
「……それは、どういうことだ?」
もちろん抱きしめられたり、くっついた時の彼の温もりは好きだった。自分の居場所はここだって安心出来たし、なにより落ち着けた。
けれど、どうしても身体を重ねるという行為が好きになれなくて。それが原因で流とは何度か喧嘩になったこともある。
「相手を好きだから触れたいって、朝陽さんはさっき言いましたよね? それなら……好きなのに触れ合うことを喜べない私に、何かしらの問題があったのかなって」
「は? そうとは限らないだろ、守里以外の男でも同じだったのか?」
何でこんな事まで朝陽さんに話してしまってるんだろうとは思ったが、変に隠す方が後々面倒なことになりそうなのでこれで良かったかもしれない。
意外にも彼は、私を揶揄うでもなく真面目に話を聞いてくれているようで。
「流が初めての彼氏だったので、それはちょっと分からないですね」
「……そうか。それは、何と言うか」
流と出会って、彼しか見えてなかった。他の男性に目を向けれるような器用さもなかったし。そんな私に朝陽さんは何と声をかければいいのか迷っているようだったから……
「いいんですよ、気を使わなくても。だけどまあ、そういう事なんで『婚約者として触れ合う』ってのはちょっと難しいかもしれないですけど」
「……分かった。演技に必要な時以外、鈴凪が良いと言わなければ俺からは触れない」
まさかそんな事を朝陽さんが言い出すとは思わなくて、一瞬口をポカンと開けてしまった。ドSの彼なら、それも契約だから克服しろとか言い出すかと思ったのに。
「え? それでいいんですか?」
「当たり前だろ。鈴凪をいじめるのは確かに楽しいが、必要以上にアンタを苦しめたり追い詰めたりしたい訳じゃない」
ううーん。違いがよく分からないけれど、彼なりに私に気遣ってくれてるのだろうか。
「いじめるのが楽しい、って部分が無ければキュン! とくる台詞だったかもしれませんね」
「……そんな風には見えないがな。それに触れないってのは性的でって意味であって、それ以外では今までと変える気はない」
逆に難しいような気もするけれど、朝陽さんがそうするっていうのなら私はそれで構わない。むしろ……彼は私の事を異性として見てないと思ってたから、ビックリしたくらいで。
本当によく分からない人だな、朝陽さんって。結局なんだかんだで、私の方が助けられてる気がするし。
「朝陽さんって面倒見が良いって言われません?」
「はあっ⁉ 鈴凪の目は腐っているのか? 俺のどこをどう見たら、そう思えるのかが全く理解出来ない」
おかしいな。今までで一番驚いた顔をされた気がする、思ったままを言葉にしただけだったのだけれど。意地悪な性格が前面に出過ぎていて分り難いが、朝陽さんは意外と良い人だと思う。
……まあ、本人は納得いかないようなので二度は言わないでおこうと決めた。
「……それで、こうして朝陽さんのお父さんにも会いましたし? これから私は、幸せな花嫁とやらのために何をしていけばいいんですか?」
「そうだな、とりあえず俺のマンションに引っ越してきてもらおうか。どうせ父に見張られるくらいなら、近くに置いておいた方が良いだろうし」
置いておくって、私を物みたいに言わないでほしいのだけど。それでも安アパートで周りにビクビクしながら生活するよりは、セキュリティーのしっかりしたマンションの方が安全だろうけれど。
「どこなんです、朝陽さんのマンションって」
「本社ビルの近くに最近建ったマンションの最上階だが、何か不満でも?」
ああ、朝陽さん高いところ好きそうですもんねえ。と言いたいが、とりあえず今は我慢しておこう。余計な事を言うと、私の状況が悪くなっていくことは流石に学習したから。
だけど……
「そのですね、実は私は高いところが苦手なんですけど」
「さっきは俺が譲歩したんだ、今回は鈴凪が努力するべきじゃないか? まあ、窓の少ない部屋を空けてやるから頑張れ」
「頑張れって……そんな無茶苦茶な」
そう返しても朝陽さんは全く聞いてないフリをして、スマホを取り出しさっさと引っ越しの準備を部下に指示していた。
そんな彼の強引さに諦めて、自分で片付けたい荷物があるからアパートまで連れて行ってほしいと頼むのだった。