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午前中、展示場に訪れたのは、50代の夫婦一組だけで、マネージャーである篠崎が対応した。

すでに他社と契約しているらしく、間取りと広さの参考に、ということだったが、雑談の中で窓の話になった際に、風向きが変わった。

「今の家は古いから、寒いし、結露もすごいし。冬場は窓を何度も雑巾で拭いているんですよ。そうしないとカビてきてしまうから」

夫人の方が、眉間に皺を寄せながら篠崎を見上げる。

「そうですね。それではそのメーカーさんで建てる際には、ぜひ窓にはこだわって建ててくださいね」

「窓に?」

夫人と篠崎の話に興味なさそうに違い棚を見ていた主人が振り返る。

「そうです。暖房費、冷房費、そして結露のことを考えるなら、必ず注目しなければいけないのは窓なので」

篠崎が当たり前のことのように言う。


「外の暑さというのは、8割が窓から入ってきます。逆に家の温かさは、5割が窓から逃げていくと言われています。いかに窓の性能を上げるかで、冷暖房費の節減になるだけではなく、快適さにも大きく関わってきますから」


夫婦が顔を見合わせる。


「ちなみに、一般論としての理想的な窓の特徴を申し上げますと、まず触ったときに冷たくない、熱くない、それが最低条件です。

あと見ていただきたいのは、ガラスの枚数。3枚が理想です。意外と見落としがちなのはサッシですね。樹脂でアルミを包んだ複合サッシよりも、100%樹脂サッシの方が、断然、断熱性は高いです」


ますます夫婦が目を合わせる。


「ご心配でしたら、打ち合わせ中に設計士さんに聞いてみてもいいと思いますよ。重要なところですから」

にこやかに篠崎が言う。

夫婦は間取りを見に来たくせに2階にも上がらずに、そそくさと展示場を後にした。



「……戻ってきますかね」

二組のスリッパを片付けつつ、由樹が見上げると、夫婦の後ろ姿を見ていた篠崎は口の端を上げて笑った。

「来るだろ、あれは」

(すごいな……。窓一つで、他社と契約済みのお客さんを、セゾンの土俵に乗せた)

篠崎の接客を見れば見るほど、勉強になる反面、自分にとてもできなそうな話術に自信を無くしていく。

(俺、死ぬほど頑張っても、この人みたいになれる気がしないんだけど…)

シューズクロークを開けた途端、思わずため息が漏れる。

「おい」

クロークを閉めると、そこにしゃがんだ篠崎の顔があって思わず框側に仰け反る。


「わっ」

落ちそうになった由樹を腕と肩を掴んで篠崎が支える。

「!!」

抱きしめられるような格好になり、由樹は至近距離で篠崎を見つめた。

「お前さ。展示場デビューしてまだ2日目なんだから」

篠崎は由樹を睨みながらそのまま話し出す。

(いや、その前に、あの、放してほしいんですけど…!)


「落ち込んだり悩んだりするのは、まだ先だ。

自分にできるか、じゃない。まずは吸収!自分をスポンジだと思って全部取り入れるんだ。

俺だけじゃなくて、ナベも和やかな雰囲気作るのは上手だし、小松さんの知識も果てしないし、仲田さんのセンスも、猪尾の家に掛ける思いも、全部吸収しろ。

話はそれからだ」


切々と語る篠崎の体温が、だんだんスーツを通過してくる。


(この人、俺がゲイだってわかっていながら!!もしかして、ば、馬鹿なんじゃないのか…!?)


頭がぼーっとしてきて、心の中で篠崎に暴言を吐く。


「そして、最優先して吸収しなきゃいけないのはなんだかわかるか」


少し顎を伸ばせば、また容易に奪えそうな距離にある唇を見ながら由樹は首を振った。


(もう……脳みそ動きません)


そこで篠崎はぐいと由樹の腕を引っ張り立たせた。


やっと解放された身体で息をつくと、彼はまっすぐにこちらを見下ろした。


「吸収すべきは、“お客様の話“だ」

「……お客様の話?ですか?」

「そう。家に何を求めるのか、何を悩んでいるのか、それを全て聞く。聞き切る。それに尽きる」


聞く。聞き切る。


「一番重要なことだ。でもそれは裏を返せば、お前が今できる、唯一の営業方法とも言える」


(確かに。お客様の話を聞くだけなら、俺にもできるかもしれない)


「まず話を聞け。茶を出されたら、自分も飲みながら。自分も口をつけることで、客は出された茶を飲みやすくなる。

そして、ニーズ、悩み、問題点を聞き出せたら、『パンフレットをお持ちします』でも『実例の写真をお見せします』でも何でもいい。一旦事務所に戻って来い。俺も入る」


「………はい!」


それはものすごく心強い。


(そこまで面倒を見てくれるなんて!篠崎さんがマネージャーでよかった…!)


由樹は篠崎を見上げて微笑んだ。


その顔をみて、篠崎は柔らかく微笑んだ。


(う。前言撤回……。心強い反面、やっぱりしんどい……)


痛む胸に思わず猫背になる由樹を、篠崎は一変、真剣な表情になって見下ろした。


「新谷。お前が営業として、自分なりのスタイルが確立していく中で、いつか俺の指導なんか忘れてもいいけどな、これだけは覚えておけよ」


いつになく真剣な声に、由樹は一瞬で背筋を伸ばした。


「“良い営業”というのは……」


自動ドアから入る朝陽が、スーツのポケットに手を突っ込んだ篠崎を照らす。

「“俺が客なら、俺を選ぶ“と、言い切れる営業だ」


(俺が客なら……)


「昨日みたいに、“篠崎さんから家を買います”なんて言ってるようじゃ、だめだ。“自分から選ばれる営業マン”になれよ」


「……はい!」


頷いた由樹に微笑むと、篠崎は和室の脇を抜け、事務所へ入っていった。



「俺が客なら、俺を選ぶ、か」


モーツァルトのピアノソナタが流れる展示場内で

一人、声に出して言ってみた。


それはとてつもなく重要なで、

とてつもなく難しくて、

とてつもなく尊いものに思えた。


でも……。


「……できる気がする……!」


由樹は胸に抱いた熱い思いを、そのまま拳として握ると、一つ頷いて、自分も事務所に向かって駆けだした。


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