入学式が終わった週の、最初の休み。
俺は霜月家にある修練場で、レンジさんと向かい合っていた。
「イツキくん。どうだい? 学校の調子は」
「今はひらがなを勉強してます」
「楽しい?」
「うん! 楽しいです」
「それは良かった。なんでもそうだけど楽しいのが一番だしね」
そういってレンジさんが笑うと、顔に走っている縦傷が強調される。
感覚が麻痺してたけど、レンジさんも十分に強面なんだよな。傷がなければ、そこらへんの大学生と言っても通用しそうなくらいに若いんだけど。
ちなみにだが、今日アヤちゃんはいない。
桃花ももかさんと一緒に小学校に必要なものの買い物に行っている。
「じゃあ結界術の勉強からしようか。とは言っても、イツキ君は1度見たことがあると思うんだけど」
「パパがやってたやつですよね?」
数ヶ月前に森で戦った『第五階位』のモンスター。
それが生み出した熊のモンスターを見つけるために、父親が使ったのが『結界』だった。
「そうそう。あの時は『隠し』を見つけられなかったけど、基本的に第五階位の“魔”はでてないんだ。だから、そこまで神経質になって探す必要はないんだけど……大切なのは敵を見つけることだよ。じゃ、ちょっとやってみようか」
レンジさんはそういうと、全身を繭のように『導糸シルベイト』で覆った。
そして何らかの変化を行った瞬間に、『導糸シルベイト』が透明になる。
「これが、簡易結界。いまイツキ君が練習している『第六感』の練習の先・にあるものだよ」
「どういう魔法なんですか?」
「どこから攻撃がとんできても結界に入った瞬間に、身体が自動で反応するんだ」
あ、それって父親が言ってたやつじゃん。
最初に第六感の訓練をするときに、『鍛えればある程度の攻撃は自動対応』で出来るようになると言っていたのだ。
どんな感じになるんだろう。
……え、ちょっと見てみたい。
俺の中で好奇心が育っていると、レンジさんが笑いながら言った。
「どうなるか見てみたい?」
「……うん」
「じゃあ、良いよ。やってみよう」
レンジさんはまるで子供とおままごとでもするかのように、気安く笑う。うーん、この大人の余裕。俺も見習いたい。
「どこから魔法を撃ってもいいよ」
ただ、俺が使える中で不意打ちに使える魔法はというと……そうだな。
この間、作ったばかりのちょうど良いやつがある。
俺は無言で、糸を編むとレンジさんの後ろに向かって飛ばした。
そして、『導糸シルベイト』を巻きつけて球にする。
それを『属性変化:雷』――雷公童子の魔法を使って、雷に変化。
さぁ、ここからが一瞬なんだ!
生じた無音の雷球は空気を帯電させると、最・も・近・く・にいるレンジさんに向かって、勝手に雷を放ったッ!!
設置した雷球は生体に流れる微弱な電流を感知して、そこに自らが帯電している雷を降らせる。魔法の名前は色々考えたが、辞書を引いているとぴったりな言葉が見つかったので、
そのまま借用した。
それは、予あらかじめ設置した魔法に近づいた敵を自動迎撃する。
故にその名を、『機雷きらい』と言う。
今回はレンジさんに向かって撃つので、ビリビリペンくらいには威力を落としているが。
音も出ず、姿も目を凝らさなければ見えないので、不意打ちにはぴったりなこの魔法がレンジさんの結界に入った瞬間、彼は意味の分からない動きを見せた。
まるで、最初からその攻撃が読めているかのように上体を大きくそらして雷を避けると、避雷針のように一本の『導糸シルベイト』を地面に撃ち込み、雷撃を『導糸シルベイト』に誘導するために、くるりとターン。
次の瞬間、レンジさんの『導糸シルベイト』に触れた俺の魔法が地面に流し込まれる。
レンジさんは、無傷だ。
「ほらね?」
さらっと『簡単でしょ?』みたいな顔して言ってくるレンジさんだが……いやいや、いま雷よりも速く動いてたって。
人間技じゃないでしょ、と思ったが、魔法の中には隕石落としたり、ブラックホールを作れるものがあるのだ。そう考えたら、雷よりも速く動けても何もおかしくないのかもしれない。いや、本当におかしくないか?
「じゃあ、イツキくんもやってみよっか」
「え、でも、僕まだ第六感が全然分かんなくて……」
「習うより慣れろっていうでしょ? それに、ほらこれ。クッション」
そういってレンジさんは両手に2つのクッションを持った。
どっちもピンクである。アヤちゃんの趣味かな。
「それにイツキくんは、どっちにしろ実戦で慣れることになると思うけどね」
「え、なんでですか?」
「身体が反応する結界や、モンスターを感知する結界は『形質変化』で行う。これを使えるのは第三階位より上の祓魔師だから、イツキくんがこれから第一階位や第二階位の祓魔師と仕事をする時はイツキ君が張ることになるんだよ」
「そんなに魔力を使うんですか?」
「まぁね。変化の情報量が多いから」
そうじゃないのかなと思っていたが予想はドンピシャだった。
しかし、そう考えると階位が低いと使えない魔法もあるんだよな。やってよかった『魔喰い』トレーニング。
しかし、いまのレンジさんのおかげで……ちょっと閃いたぞ。
俺は新しい魔法に備えるように『導糸シルベイト』を編んでいく。
よし、結構良い感じだ。後はこれがちゃんと反応するか、だけど……。
「レンジさん。投げてみてください」
「分かった。行くよ」
そういったレンジさんの足音が消える。
気配がすっと無くなっていく。
俺も似たような歩法を『夜刀ヤト流』の剣術特訓で習っているが、レンジさんの精度ほどできない。流石だなぁ、と思う。それと同じくらい俺も早く強くならないと、とも。
そんなことを考えていたら、俺の身体が自動で動いた。
ぐっ、と激しく真横に引っ張られて、さっきまで俺のいた場所をクッションが通り抜けていくのが分かる。
急に引っ張られて体勢を崩した俺だったが、ギリギリのところで『導糸シルベイト』が引っ張って、身体は地面に倒れない。
目を開くと、俺の前にはピンクのクッションが、ぽんと落ちていた。
成功の喜びに後ろを振り向こうとした瞬間、俺の身体が今度は後ろに引っ張られる。そして、俺の身体に触れるか触れないかギリギリのところをクッションが通り過ぎていった。
祓魔師あるある。
油断するな、ということである。
だから俺は次の攻撃が来ないか十分に備えてから、レンジさんの方を振り向いた。
「レンジさん! できました!!」
「…………できてたね」
レンジさんに『早すぎない?』みたいな顔されながら、俺は自分の身体に巻き付いた『導糸シルベイト』を見た。
いま俺の全身には、『導糸シルベイト』が巻き付いている。
それが四方八方へと伸びており、攻撃が『導糸シルベイト』に触れた瞬間、自動で俺の身体が避けるようになっているのだ。
それは森で父親が言っていた『導糸シルベイト』の可能性。
あの時、父親が『隠し』のモンスターを探す時に使った『探知魔法』は魔力に反応する磁石のようなものを生み出すと言っていた。
最初は無茶な魔法だと思っていたけれど、それは違った。
俺の創造性の方が、枠に収まっていたのだ。
昔の魔法使いは、カボチャを馬車にして、鏡を喋らせ、人魚の下半身を人にしたという。
だとすれば、そんなおとぎ話みたいな魔法に比べれば『攻撃に反応して避けるように身体を引っ張る導糸シルベイト』を生み出すことなんて簡単だろう。とは言っても『形質変化』の情報量が多いのでそれなりに魔力を食ってしまうが、まぁ俺には関係ない。
「レンジさんのおかげです。ありがとうございます!」
そういって、頭をさげた瞬間だった。
レンジさんのスマホが聞いたことのない音で鳴り始めたのは。
すると、レンジさんは急に真顔になってスマホを取る。
「……はい? はい。えぇ、分かりました。今から行きます」
そして、素早くしまい込むと言った。
「仕事が入った。第三階位らしい」
「じゃあ、特訓はここまでですか……?」
非番のときでも容赦なく連絡が入ってくるのが祓魔師業界の大変なところである。優秀な祓魔師は引っ張りだこなのだ。
だから今日はもう特訓はできないだろうと思っていたのだが、レンジさんは優しく続けた。
「イツキくんもおいで」
そんな、優しいのか優しくないのか分からないことを言いながら。
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