「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
目の前にことりと置かれたグラスに、私は手を伸ばした。こくこくっと飲んで喉を潤した途端にどっと疲れが出て、私はため息をついた。
「ふわぁ、疲れた……」
そう言いながら私は頬杖をつく。
「仕事?」
マスターは目元をくしゃっと緩めて私を見た。
「違います。疲れる合コンに行ってきたんです」
「合コン?」
ほう?とでも言うように、マスターは片方の眉を上げた。
「いい人はいた?」
私は苦々しい顔つきで肩をすくめた。
「いませんでした。ものすごく嫌な人はいたけど」
高原の顔が思い出されて、私はますます渋面を作った。
「それは残念だったねぇ。でも、ものすごく嫌って、いったいどんな奴なんだ?」
マスターは笑う。
「佳奈ちゃん、理想高そうだからなぁ」
「えっ、そんなことないですよ。普通です、普通」
「普通ねぇ……。個人的には、金子なんかお似合いだと思ってたんだけどね」
マスターは顎を撫でながら私に言った。
私は苦笑する。
「金子君は友達ですから」
当時私が彼に淡い気持ちを抱きかけたことを、マスターは知らない。たぶん。
「そっか、友達かぁ。……ところでその金子なんだけど、佳奈ちゃんは連絡とか取ってる?ここ何か月か全然顔を見てないんだよね。どうしてるのかなぁと思ってるんだけどさ」
小腹がすいたからと注文したミニピザをつまみながら、私は答えた。
「うぅん、私もしばらくは、連絡取ってないですねぇ。仕事が忙しいんじゃないですか?……というか、マスター、連絡先知ってますよね?電話してみればいいのに」
「そうなんだけどね」
マスターは口ごもる。
「ほら、俺が電話すると、飲みに来いって催促してるみたいじゃない?だから、佳奈ちゃんなら何か知ってるかな、って思ったんだよ」
マスターの言葉に、私は苦笑する。
「私たち、もとからそんなに頻繁に連絡を取り合ってたわけでもないですよ?……あ、マスター、お客さんが呼んでるみたい」
「お、注文かな」
そう言いながらマスターが奥のテーブルに向かうのを、私はぼんやりと目で追っていた。
その時、ドアベルの柔らかい音が聞こえた。
何気なく入り口に顔を向けた私は、そこに顔見知りの姿を見た。今まさに話題にしていた金子悠太だった。
「金子君?久しぶりだね!もしかして、一年ぶりくらい?」
片手を上げて挨拶を投げかける私に、金子は驚いた顔をした。
「佳奈ちゃん?え、久しぶり!って、おいおい、なんで一人で飲んでんの?」
「一人じゃ悪い?」
「前に、一人で飲みに出るなって言ったはずだけど?」
「それは学生の時のことでしょ?私はもう社会人です。それに、酔えなかったから、飲み直ししてるの」
「なんだよ、飲み直しって」
マスターが金子に気づいていそいそと戻って来た。
「いらっしゃい。久しぶり」
前髪をかき上げながら、金子は軽く頭を下げた。
「ご無沙汰しちゃって、すいません」
「すごいねぇ、噂をすればなんとやら、ってやつ?ちょうど佳奈ちゃんと話してたんだよ。金子は元気なのかな、って」
マスターの視線を受けて、私も言葉を続けた。
「そうなのよ。タイミング良すぎてびっくりしちゃった。金子君、一人?マスターもいるから、一緒に飲んでも大丈夫だよね?」
金子の彼女のことを意識して、私はそう言った。
それに対して金子は何か言いたそうな顔をした。
しかしそれよりも先に、マスターが私の荷物を移動させて、金子の席を作った。それからパタパタとボトルやらグラスを準備して、私たちの前に置く。
「何かつまめる物、適当に出すね」
マスターに任せた料理が並んだところで、私は金子とグラスを傾け合った。
「乾杯!」
金子はグラスを置くと言った。
「さっきも聞いたけどさ。こんな時間に、どうして一人でここにいるんだ?」
「あぁ、それは……」
私が答える前に、マスターが言った。
「合コンだったらしいよ」
「合コン?」
「――という名の飲み会だけどね」
私は肩をすくめながら付け加えた。
「そういう顔をするってことは、いい出会いはなかったのかな?」
金子に訊ねられて、私は顔をしかめた。
「出会いがあるどころか……!さっきマスターにも話したけど、すっごく感じ悪い人がいてね。おかげで全然酔った気がしなくて、ここで飲み直してたのよ。不愉快だわ、余計な気を遣うわで、まったくとんでもない飲み会だったわよ」
金子がくすっと笑った。
「それは残念だったね。……でも、佳奈ちゃん、まだフリーなんだね。もう彼氏がいるんだと思ってたよ。今は出会いを探してる最中なの?」
「う~ん、別に積極的には求めていないかなぁ。焦ってるわけでもないし」
「いい人がいたら、っていう感じ?」
「そうね、そんな感じかな。だって、こういうことって、焦ったところでどうしようもないでしょ?」
「それもそうだね」
金子はしみじみとした口調で言うと、不意ににやりとした笑みを浮かべた。
「もしもいよいよマズイってことになったとしても、安心していいからね。その時は、俺と付き合おう。というか、俺の彼女になる?」
息を飲んだ私を見て、金子は即座に前言を撤回する。
「ごめん、今の戯言は忘れて」
私は眉を寄せて金子を見た。
「忘れて、じゃなくて……。彼女がいるのに、そんなことを口にしちゃだめだよ」
「フラレたんだよ」
「え?どうして?いつ?」
私は目をパチクリさせながら訊ねた。私たちが会わなくなったのは、確か一年ほど前。理由は金子に彼女ができたからだったが……。
「ついこの前。最後に言われたんだ。誰にでも優しすぎて安心できない、って。そんなこと言われても、これが俺だしさ……」
「うぅん……」
肯定も否定もしようがなく、また、なんと言ってあげればいいのかも分からない。私はそのまま口を閉ざした。
ただ、その彼女の気持ちは分かるような気がした。容姿も性格もその軽さも、ちょうどいい感じの金子は女の子にもてる。だから、彼女は不安だったのかもしれない。
モテるタイプの男性を恋人にするのは、とても大変そうだ。私は学生時代に金子を好きになりかけたことがあったが、今の話を聞くと、その気持ちが発展する前に終わって良かったのかもしれない、などと思えてしまう。
私はふっと笑った。
「何?」
「金子君は、あの頃とあんまり変わってないんだろうな、と思って」
「どういうとこが?」
「ん?『人たらし』っぽいとこ」
「人たらし……。それ、褒めてないよね。そういう佳奈ちゃんは、すっかりいい女って感じじゃない?学生の頃は本当に初々しいというか、可愛かったけど」
懐かしむような言い方が腹立たしく思えて、私は拗ねた顔を見せた。
「すいません。今は可愛げがなくて」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど。ね?マスター」
「そうそう。変なのに目を付けられないように、くれぐれも気をつけろってことを言いたかったんだよな」
二人は顔を見合わせながら頷き合う。
「大丈夫ですよ。私、もういい大人なので」
「そうなんだけど……。あんまり一人で夜遅くに出歩いたりするなってことだよ。また『あの時』みたいなことが起きたら嫌だろ?――あ、悪い。思い出させるようなことを、つい……」
しまった、とでもいうように、金子の顔が歪んだ。
私は苦笑を浮かべながら、ふるふると首を横に振った。
「大丈夫だよ。あれからもう5年はたってるし。さすがにもう、あんなことは起きないよ」
金子が呆れたような顔をした。
「無自覚なところは相変わらずなんだな」
「何?」
金子の顔に苦笑が浮かぶ。
「とにかく、今日は後で送ってやるから、お酒はもうほどほどにしときなよ」
「はいはい」
私は軽い調子で返事をすると、自分と金子のグラスにボトルからお酒を注いだ。
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