◇◇◇◇
青木はまだ呆然としながら、運営側が準備したと思われるタクシーに乗り込んだ。
「出発しますね。寮に荷物はないですか?」
運転手が確認する。
あるわけがない。
青木が軽く首を横に振ると、タクシーは動き出した。
「――赤羽は……」
そこまで言いかけて青木は口を塞いだ。
このタクシーの運転手がどこまで知っているかはわからない。
あの学園の教師と同じく、青木の正体や実験の内容までは知らないかもしれない。
もしここで自分が話せば、桃瀬たちのように爆発させられてしまうかもしれない。
「何でもないっす」
青木は後部座席のシートに身を沈めた。
「どこまで行きますか」
運転手が不愛想に聞いてくる。
青木は約1年ぶりくらいに自分の住所を口にした。
「はあ。あそこか……」
そんなに遠いわけでもないのに運転手はなぜか大きなため息をつくと、車を駐車場で一回転させてから公道に出た。
坂の向こうに学園が見える。
あそこは一体何だったのだろう。
死刑囚を集めての実験のほかに、賞金付きの実験まで並行していた。
もしかしたら青木が知らないだけでもっと幾重にも幾重にも実験が行われていたのかもしれないが、今は確かめる術はない。
確かなことは、
その実験のおかげで自分は無罪放免で生き残ることができ、赤羽は刑が執行されてこの世にいなくなったということだ。
「――――」
青木はシートに凭れかかった。
きっと白鳥のことはすぐ忘れてしまうだろう。
かえってよかったのかもしれない。
違う男のことを想いながら、自分を想ってくれる男の隣にいるのは辛かっただろうから。
でも絶対赤羽のことは忘れない。
彼が救ってくれた人生を、
一生この想いを抱いて生きていく。
青木は決意と共に、強く瞼を閉じた。
◇◇◇◇
「お客さん、ラジオつけていいですか」
運転手の声で、青木は瞼を開けた。
「今大阪で大規模な住宅火災が発生していて、そばに親戚が住んでいるもんですから。続報を聞きたいんです」
運転手はそう言いながら苦笑いをした。
「ああ、どうぞ」
青木は瞑っていた目を開けた。
知らぬ間に少し眠ってしまったようだ。
風景がだんだん自分が生まれ育った町に近づいてきていた。
母は何というだろうか。
加奈はどんな顔をするだろうか。
ぐっと拳を握りしめる。
迷惑をかけたから、一生分の親孝行と、一生分の幸せを加奈に与えてあげるんだ。
それ以外は何も欲しない。何も求めない。
そして死が自分を連れていくその時は、
今度こそ潔く地獄に行く。
きっと地獄の門の入り口で、
赤羽が待っていてくれるから。
青木は再び目を閉じた。
『ここで臨時ニュースをお伝えします』
ラジオの音が急に高くなった。
『法務省は今日、死刑囚の刑を執行しました』
青木は瞼を開けた。
『執行されたのは緑川麟死刑囚、赤羽英彦死刑囚の2名です』
緑川のことは殺人ではなく死刑で処理されたらしい。僅かに胸を撫で下ろした。
しかし――。
(やっぱり、赤羽は死んだんだな……)
その事実が青木の胸にずっしりと重く圧し掛かった。
『緑川麟死刑囚は、ムエタイの強化選手であり、練習試合並びに公的試合中に2名の選手を殺害したとしてその罪に問われていましたが、弁護側はあくまで競技の上であったとその犯行動機を否定。しかし裁判所は一審、二審ともその主張を退け死刑判決が下りました。
一方赤羽英彦死刑囚は、同じく死刑判決が出された青木浩一死刑囚に、交際相手を殺されたとして、昨年8月、青木死刑囚の自宅に押し入り、就寝中だった母の青木和子さん当時45歳と、妹の加奈さん当時13歳を殺害したとして、一審で死刑判決が下り、控訴せずに刑が確定し、今回の執行に至ったということです』
青木は目を見開いた。
何を言ってるんだ?この女は――――。
タクシーのやけに古びたオーディオ機器を睨む。
何を――
何を言っている――?
俺が、
赤羽の交際相手を殺した――?
赤羽が、
母さんを、
加奈を、
殺した……?
「お客さん、着きましたよ」
青木は開いたドアの外を振り返った。
「観光ですか?お客さんも物好きですねー」
そこにあったはずの自宅はなく、
更地となった場所には、
枯れた花束と、
加奈が生前好きだったBL漫画が、
ビニール袋に包まれて置かれていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!