コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
港は、樹人を寝かしつけた後、台所の椅子に腰を下ろした。手のひらは汗で濡れ、震えが止まらない。紗理奈は、黙ったまま湯を沸かしていた。
外はすでに朝の気配を見せていたが、恐怖の夜が明けたからといって、何も終わってはいなかった。
「……“あの村”って、どこにあるんだ?」
港が口を開いた。
「東北の山奥。名前は地図にも残ってない。正式には“久弥村”って呼ばれてた。今はもう廃村だけど」
「お前……そこで何があった?」
湯が静かに沸騰し、紗理奈はマグカップに注ぎながら話し始めた。
__________________________________________________________
当時、紗理奈はテレビ局のドキュメンタリースタッフとして、ある地方の風習を取材していた。
その中で「久弥村の再生信仰」という資料に出会う。
“死者を再び呼び戻す儀式”
村にはかつて、「トカゲの尾のまじない」という伝承があった。
「トカゲの尻尾を切り、それを埋め、呪文を唱えると、再び“元の形”に戻る」
それが子どもたちに教えられる“遊び”だったが、本来は大人のための“禁忌”だった。
ある家族が、それを本気で行ってしまった。
子どもを失った母親が、トカゲの代わりに“我が子の遺体の一部”を埋めて――
「ツクリモノ、カエレ、ホントニナーレ」
そう唱えると、数日後、子どもが戻ってきた。
――ただし、それは**“子どもそっくりの異形”**だった。
記録にはこうある:
「似ている。話し方も、笑い方も、癖も全部。でもある夜、その子が私の顔の皮を舐めた。
『ママの形になりたい』と笑っていた」
その後、村では次々と“まじない”が繰り返され、人々の家に「似た者」が現れ、村は壊滅した。
「あたしが行ったときには、すでに廃墟だったけど……あの呪文の“断片”を、現地の祠で拾った。多分、今でも……どこかに生きてる」
__________________________________________________________
「……それを……俺は、息子に冗談で……」
港は唇を噛んだ。
「なぜ南が……あの形で戻ってきたんだ?」
「“樹人くんが信じた”からよ。愛する人を失ったとき、人は“似たもの”でも手を伸ばしたくなる。子どもならなおさら。純粋だからこそ、呪いは強く届くの」
紗理奈は湯気の向こうで真剣な目をしていた。
「もう、ここに“何か”がいる。完全に取り憑かれる前に、南さんの“残された痕跡”を断たなきゃいけない」
「痕跡……?」
「――南さんの、遺体は?」
港は言葉を詰まらせた。
「……火葬はまだなんだ。遺体は……今、葬儀社にある」
「それ、まずい。呪いは“形”がある限り、そこに宿る。
埋葬するか、封じるか、どちらかしかない」
と、そのときだった。
ドン……ドン……ドン……
玄関の扉が、一定のリズムで叩かれる音がした。
港と紗理奈は顔を見合わせた。
「……こんな朝早くに?」
港がそっと立ち上がり、玄関に近づく。覗き窓を覗くと、誰もいなかった。
だが――
床に、何かが置かれていた。
包み紙にくるまれた小さな箱。
開くと、そこには――
「伊藤南」の指輪と、泥にまみれた髪の毛が、整然と納められていた。
手紙が一枚、添えられていた。
「まだ帰ってきてないよ。ちゃんと、“ホントニナーレ”って言って。そしたら、一緒に暮らせるから。」
筆跡は、樹人のものだった。