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イギリスを降伏させたため西部ヨーロッパに敵は居ないため、ドイツは1941年3月16日ソ連に対して不可侵条約を破棄し電撃戦を仕掛けた冬までにソ連軍をウラル山脈より東部へ撤退させる狙いだった。ソ連軍は冬までモスクワにドイツ軍を入らせないように必死の抵抗でモスクワを防衛するソ連軍だったがモスクワ一直線にやってくるドイツ軍の前では無力だった、1941年9月5日にモスクワが陥落した。さらに、当時冬戦争をしていたフィンランドが対ソで参戦レニングラードなどの主要都市は、フィンランドの援軍によってさらに、進軍が進み陥落していたスターリングラードの攻防戦は逆包囲作戦を実行したが上手く成功できずなんなら大失敗に終わったその中冬がやってきたがこの冬を活かしきれるほどの物資や人員がいないため少しの反撃を与えるだけだった冬は終わり暖かい春になった頃ドイツ軍の再進行が始まりさらに追い打ちにドイツは日本に対ソ参戦を要求したそして日本は日ソ中立条約を破棄し1942年4月12日、対ソ参戦で臨時首都ウラジオストクを陥落させたこうして日独と交わした条約を破棄されたソ連は降伏を宣言したウラル山脈の東部を日本領に西部をドイツ領に編入された。ソ連首脳陣はアメリカの都市ワシントンD.C.に亡命しソビエト連邦自由政府が成立した。