私には愛おしくてたまらない大好きな人がいた
その人は身長が高くて、優しくて、正義感が強くて、かっこよくて、困ってる人を放って置けない性格で、たまにドジなところがあるけど、そこが愛おしかった。その人は今空の上にいる。約半年前、娘の誕生日にケーキを買いに行く帰りに飲酒運転をしていた車に跳ねられ、そのまま旅立ってしまった。まだ娘は5歳だった。今では10歳になった
このお話は私の大好きで愛おしくてたまらない私の大切な人のお話です
私と彼が出会ったのはお互い学生の時でした。私が1年で彼は2年生でした。私が入学し、その日はクラブ体験があり、私は幼い頃からバスケを習っていたため、バスケ部を体験した。彼は男子バスケ部に所属していた。彼も私と同じで幼い頃からバスケを習っていた。入部が決まり、その日から毎日のように部活があった。たまに男子バスケ部と女子バスケ部が合同で練習する時があった。私と彼はその時にたまに話すだけだった。最初の印象は悪くなかった。話し口調も優しくて、接し方も優しかった。全てが完璧だった彼に私は気がついたら惹かれていた。当たり前だけど、彼はモテていた。それはそう。こんな完璧な人を放っておく人はいない。それほど、彼は完璧だった。
2年に進級した時、彼に告白をされた。嬉しくて涙が止まらなかった。その日から私たちの交際は始まった。学校中に知られるとうるさそうだったため、付き合っていることは誰にも話さないと約束をした。何度もデートをしたり、何度も一緒に帰ったり、バイトが終わると迎えに来てくれたり、喧嘩もたまにしたけど、それでも彼は私に一度たりとも別れようと告げたことがない。そんな彼を私は大好きで大好きでたまらなかった。いつか彼の苗字をもらう日が来ることを私は祈っていた。
お互い就職が決まり、社会人になり、数年後彼に初めてデートした場所でプロポーズをされた。私は涙が止まらなかった。嬉しかった。泣きまくったせいでなんて返事をしたかは覚えていないけど、きっと解読をするのに時間がかかったと思う。本当に彼の苗字をもらえる日が来るとは夢にも思わなかった。喧嘩をする度に振られるんじゃないかと怖かった。けれど、彼は私の事を振ることは一度もなくこの日を迎えた。彼に言われたプロポーズの言葉、忘れたことは一度たりともない、それほど嬉しかった言葉、「君をお嫁さんに迎えれて嬉しい。この日まで僕と付き合ってくれてありがとう。これからもこの先もずっと隣にいて欲しい。僕の苗字をもらってくれませんか?」この言葉は今まで言われてきた言葉の中で1番嬉しかった言葉。居なくなっても忘れられない言葉。彼と入籍をし、結婚式も盛大にあげた。彼の友達や私の友達にはびっくりされた。
それから数年後第一子を授かった。妊娠がわかった時は嬉しかった。彼も泣いて喜んでくれた。辛い中彼は私を必死に支えてくれた。ありがとうと何度も何度も伝えた。元気な女の子が生まれた後、彼に言われた言葉がある
「2人とも頑張ってくれてありがとう。これからは家族のために一生懸命に働くよ。ありがとう。そしてお疲れ様」と言われた。「こちらこそありがとう。これからも頑張ってね”パパ“」と伝えた。パパとゆう言葉に反応したのか彼はまた泣いてしまった。
娘はすくすくと育った。5月25日、その日は5歳になる娘の誕生日、彼も休みだった。娘にバレないようにケーキを買ってくると言われ、私は「いってらっしゃい」と伝え、彼は「行ってきます」と言った。
その言葉が最後に交わした言葉になってしまった。
2時間経っても帰ってこない彼を心配した矢先、1本の電話が鳴った。誰からだろうと思い、スマホを見ると総合病院からの電話だった。嫌な予感がした。その嫌な予感が的中してほしくなかった。電話に出るともしかしたら彼の声かもしれないと謎の期待を抱き、電話に出た。
「もしもし、○○さんの奥さんでお間違いないでしょうか?」その言葉、声は彼ではなかった。
「はい、そうです。夫に何かありましたか?」恐る恐る看護師に聞いた。予感は的中してしまった
「夫の○○さんが飲酒運転をされていた車に跳ねられ、先ほど死亡を確認致しました」死亡と言う言葉が耳に入り、私は信じたくなかった。病院名を聞き、娘を連れて病院に向かった。案内された場所は彼が完全に冷え切っており、冷たくなっていた。信じたくなかった。その場で娘を抱きしめ、泣き崩れてしまった。私の目の前にいるのは本当に夫なのか。疑ってしまうほど、彼の死を受け入れることができなかった。いつも笑顔で私の名前を呼び、いつも私に「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」欠かさず毎日言ってくれた言葉、お礼を言う言葉、優しい声、口調、全て聞くことはもうできない。数日後、お義母さん、お義父さんが病院に着いた。私の両親は先に空に行ってしまった。義両親は私を抱きしめ「辛かったね」と慰めてくれた。2人も辛いはずなのに私を慰めてくれた。子供のように義両親の腕の中で私は泣いてしまった。
数日後、彼のお葬式が開かれた。彼はたくさんの人に愛されていた。大勢の方が彼のために来てくれた。娘はまだ幼いため父の死がわからなかった。娘は私に「パパおねんねしてるねぇ」と言った。さらに泣いてしまった。娘に「パパとはもう会えないんだよ。最後にパパへお別れの言葉を言おうね」と伝えた。娘は素直に「パパ、またね!」と言った。
彼が亡くなってから半年経った今も彼の死を受け入れられずにいる。
それから5年、シングルマザーとして私は義両親と共に娘を育てている。娘は10歳になった。まだ彼の死を受けれることは難しい。それでも、私は今頑張って生きている。娘のためにも_
あなた、この子はすくすくと元気に育っています。私がそっちに行くまでは見守っていてね。愛してる
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