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「――――ッ」
蜂谷はストーブ脇に転がりながら手の甲で口を拭った。
見ると、そこには真っ赤な血がついていた。
「はは」
笑うと口角に焼けつくような痛みが走る。
心なしか奥歯もぐらついている気がする。
蜂谷はそれでも笑いながら、彼を見上げた。
「―――やっと本性表しやがったな……」
右京賢吾はまだ蜂谷を殴った拳を握ったまま、こちらを見下ろしていた。
ーーーーーーーーーーーーーー
『……謝る必要はない』
昨日、保健室で呟いた右京の言葉が頭の中で反芻される。
『……俺が、始末し忘れたのが悪かったんだ』
ーーーーーーーーーーーーーー
「――自分じゃうまく隠しているつもりかもしれないけど、俺から言わせれば、お前、バレバレなんだよ」
なんとか起き上がる。
肘打ちを喰らった鳩尾がキリキリと痛む。
「……骨はなんとか――大丈夫かな」
自嘲的に笑いながら軽く腰を左右に振ると、右京はやっと拳を下ろした。
「なんだ。折るつもりでやったのに」
「…………」
蜂谷はふっと鼻で笑った。
その瞬間、鼻孔から血しぶきがあたりに軽く散った。
「お前、今、自分がどんな顔してるかわかってんの?これで生徒の模範とは笑わせるね」
言っても右京の顔は変わらない。
「なあ、そうだろ?生徒会長さん……?」
蜂谷は窓枠に寄りかかりながら彼を見下ろした。
「山形県館山市、霞城東高校。会長の出身校だろ?」
「……お前、なんでそんなこと知ってんだよ」
右京が無表情のまま見つめる。
「まあ、俺には教師たちなら誰からでも情報をくすねてこれる優秀な助手がいるんでね」
蜂谷はズボンのポケットに手を入れ、携帯電話を取り出すと、片手で弄った。
「その高校のコミュニティ、書き込みは会員制だけど、閲覧は一部フリーなんだよ」
こちらに翳してくる画面を無視して蜂谷を睨む。
「ほら、ここ。閲覧オーケーの雑談板。えーとナニナニ?『狂犬が転校してくれて、本当に助かった』」
反応を伺うようにこちらを覗き込んでくる。
「『館山市に平和が戻ったぞ。万歳』『駅前にいくのにビクビクしなくてもよくなりました』」
そこまで読むと、蜂谷はこちらを覗き込んだ。
「この狂犬って、会長のことだろ…?」
「――何を根拠に」
笑いも怒りもせずに右京が蜂谷を睨む。
「ここまできて、しらばっくれる? うきょうけんご君?」
笑いが込み上げてくる。
「狂犬なんてダサいあだ名、お前のダサい名前からとったに決まってるだろうが…!」
言った瞬間、懐に、身体を上下真っ二つにするような激しい痛みが襲った。
――は、早………!
前のめった瞬間、後頭部に岩のような衝撃が襲い、蜂谷は気が付くと床に顎を強かに打ち付け、倒れていた。
「―――二度と言うな」
頭上から声がする。
「親から受け継いだ苗字と、親がつけてくれた名前だ。次バカにしたら即殺す」
意外と健気な殺害動機を口にした右京は、両手を組んで振り下ろしたままの姿勢でこちらを見下ろしていた。
「―――いいのかよ……生徒会長がこんなことして……」
傷む顎を我慢し、なんとか言葉を発する。
「俺は―――お前の弱みを握って……るんだぞ…?」
言いながら手を突き、震える腕で身体を起こすと、その肩に右京の足がかけられた。
「弱み?冗談だろ」
右京が低い声を出しながら、こちらに顔を近づけて笑った。
「これは俺にとって弱みじゃなく、強みだ」
「―――は?」
蜂谷は彼を見上げた。
「おかげで俺は、お前相手には自分の性格を隠したり、無駄に手加減しなくて済む」
言いながら右京は、吹き出した鼻血で赤く斑点が突いた蜂谷のネクタイを、ぐいと引っ張った。
「俺が狂犬なら、お前はハチ公だな?蜂谷」
―――やべえな、こいつ。
蜂谷はそのブレない真黒な瞳を見つめて心の中で笑った。
―――ぶっ飛んでやがる。
正直、転校生が前の学校で少しばかりやんちゃをしてたからと言って、脅しや強請りに使えるほどの効力はない。
しかし生徒会長ならば話は別だ。
この事実を自分が知っているとわかれば、その立場上震えあがって服従するか、少なくとも舌打ちをしながら自分たちのことを黙認するくらいの和解案を出してくるかと思いきや――。
―――ここまでとは……。
こちらの返答によっては、この3階にある生徒会室の窓から突き落とすくらい平気でやりそうな目を見つめる。
(―――ふ。いいね……)
体中に鳥肌が立つ。
ゾクゾクと血管が波打ち、中を流れる血液がボコボコと沸騰する。
(こういう奴を待ってたんだよ……!)
蜂谷は笑った。
「まいった。まいったよ、会長……」
蜂谷は口の端を上げて笑った。
「降参ですよ。そこそこ自分も喧嘩は強いと思ってたけど、この力の差は俺みたいな馬鹿でもわかりますよ。降伏します」
言うも右京は蜂谷の肩から足を下ろそうとしない。
「―――大丈夫です。誰にも言いませんから」
疑いから右京の目が細くなる。
「本当ですって。ほら、そっちのことも……」
言いながら床に転がったままのジャージを指さすと、
「―――あ!忘れてた!」
押さえつけるように肩に乗っていた足が外され、右京はジャージに駆け寄った。
「………うわ……」
拾い上げて、埃を払っている。
「血がついてる…!お前のか?!汚っねえなあ!」
言いながらハンカチを取り出し、唾を付けると、それをコシコシと擦っている。
「どっちが汚いんだよ…」
蜂谷は呆れながら立ち上がった。
「―――ああ!もう!広がった!」
「………………」
善人の生徒会長の仮面は嘘だった。
模範的性格も態度も嘘だった。
しかし――。
同級生への恋心はどうやら本物らしい。
――いいこと思いついた。
眉を寄せながら必死で拭いている彼を見ながら、蜂谷はにやりと笑った。
「本当に好きなんだな、永月のこと…」
言うと、
「悪いか。言っとくけどそれも弱みじゃないからな、別に!」
言いながら右京がこちらを睨む。
「へえ。そう」
蜂谷はにやりと笑った。
「じゃ、強みにしちゃいましょ?」
蜂谷は右京の前に立った。
「会長は、永月にいつか告白とかすんの?」
「はあ?」
右京が素っ頓狂な声を上げ、目を見開く。
「だって好きだってことはそう言うことでしょ?仲良くなって、あわよくばって、考えてないとは言わせないよ」
言うと、右京はジャージを持ったまま腕を抱え俯いた。
「―――え。そうなのかな…」
「それでさ」
勝手に話を進める。
「もし告白して、万一うまくいったとしたら、どうすんの?」
「どうするって?」
右京の目がこちらに戻る。
「だから。当然するでしょ?キス」
「……き、キス!?」
「そ」
試しに軽く腰を抱き寄せてみた。
――嫌がらない。
「キスができたら、その続きも…?」
今度はその手を背中の方に滑らせてみる。
――殴ってこない。
「俺、そんなこと……」
「想像しなかった?でももしうまくいっちゃったら、当然そういう流れになると思うよ。だって永月だって男だし。当然、性欲もあるだろうし」
言うと右京の色白な顔はみるみるうちに赤くなっていった。
蜂谷は笑いをこらえながら続ける。
「もしそうなったときに、会長、できるの?男とセックス」
「な……な……な………!!!」
その単語を口にした途端、右京はいよいよ顔をポストのように真っ赤にした。
「もしあっちがその気になったのに、会長が免疫なくて拒否しちゃったら、がっかりするんだろうな、永月」
言うと、右京は眉間に皺を寄せながら俯いた。
その顎を指で上げてみる。
――抵抗しない。
「俺が、なってあげようか?……会長の練習相手に」
右京は蜂谷の左右の目に瞳を往復させた。
迷っているときの視線移動だ。
イケる……!
「ね。免疫つけるためだって。予防注射と同じでしょ」
蜂谷は右京の口に自分の唇を寄せると、そっとそこに口づけた。
「――――っ」
「………………」
こっそり目を開ける。
右京は瞼をグッと瞑りながら、目の前の思いもよらない現実と、よく考えればおかしい蜂谷の提案を、必死で飲み込もうとしていた。
(―――はは。ウケる……)
蜂谷は瞳だけで笑った。
力でも、情報でもダメなら―――。
腰を抱き寄せる。
右京の華奢な身体がビクッと敏感に反応した。
(こっちで降伏させてやる……!)
「……んンッ!」
蜂谷は痛む顎を使って、右京の意外と柔らかい唇をついばむと、足元に落ちていた黒髪のウィッグを思い切り踏みつけながらキスをした。