「黒い猫、見ませんでしたか?」
中学生の頃だろうか。私は犬の散歩をしていた。公園の脇の小道を、のんびり歩いていた。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
後ろから、少女に声をかけられた。小学2年生ぐらいの肌の白い少女。淡い黒髪を、黒猫の髪留めで二つに結っていた。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
少女は、赤いワンピースを着ていた。少女の年頃だと、あまり目立つ服装を避けるようになるはずだが、どうやらこの子は違うようだ。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
何度目かの問いかけに、ようやく「No」と応えた。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
私の応答を無視して、更に強引に問いかけてくる。ただ、この時 何も思わなかった。同じ質問を繰り返される事より、「黒い猫」に興味が湧いてきたからだ。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
私は産まれてから、この街を離れたことがなかった。しかし、この間に「黒い猫」は見た事が無かった。猫として思い出すのは、ハチワレのふてぶてしい野良猫だけだった。
「黒い猫、見ませんでしたか?」
「見たことは無いが、興味が出てきた。犬を置 いて、それから探すよ。」
私はそう言って、家へ帰った。家に帰って、犬を置いて、家を出た。軒下、人の庭、自販機の上。遊具の中、ツツジの中、ゴミ箱の中。猫といえば、そう考えながら、街を巡った。暗闇に黒い猫だと、カモフラージュして見えなくなると、テレビが言っていたのを思い出して、私は小さなライトを持ってきた。
「黒い猫、いませんか?」
私は、自転車で猫を撥ねたことがあった。部活に遅れそうだったので、急いでいた。目の前を猫が飛び出して、ブレーキが効かなかった。私の自転車の前輪が猫に当たって、奥のT字路に飛んだ。
「パンッ」
何かが弾けた音がして、壁に紅い何かが飛び散った。私は急いでいた。そのあと、その猫がどうなったかは知らない。部活の帰り、もうその猫はいなかったからだ。
「もう夕暮れか。」
いつの間にか、日が落ちていて、黒い鳥が、空を舞っていた。ただ、ここでやめてしまえば、もう二度と見つけることは出来ないだろう。小さなライトを点けて、黒い猫を探し続けた。
「にゃーん」
後ろから、高い猫の声がした。振り返ると、緑のガラス玉が浮いていた。私は、小さいライトをガラス玉に向けた。そこには、ツヤのある黒い毛の猫がいた。
「ようやく見つけた。君を探していたんだよ。」
私はしゃがんで、黒い猫へ手を伸ばした。黒い猫は、人に馴れているようで、私の手を受け入れてくれた。のどをゴロゴロと鳴らし、気持ちよさそうに目を瞑る。
「黒い猫は、見つかりましたか?」
少女の声だ。どのような状況でも、この暗い外に、少女1人で、出歩かせる親は居ないはずだ。と、今は思う。この時は、黒い猫を見つけられた事が頭を占めて、それどころでは無かった。私は黒い猫を持ち上げ、少女へ手渡した。
「はい。黒い猫、見つけたよ。」
私の手が叩かれた。驚いて、持ち上げていた黒い猫を落としてしまった。
「パンッ」
何かが弾ける音が、足元に響いた。私の脚に、何かが飛び散った。少女の顔は見えないが、暗闇に光る黄色い目は見えた。私の頭から、血が降りた。
「私は、私は、娘に会いたかった。かった。」
少女の声ではない。猫の声だ。嗄れた、鼻詰まりの猫の声。
「私は、娘を見たかった。かった。」
とても悲しく、とても怒っている声だ。私を刺す瞳孔が、太くなるのが分かる。猫も、犬も、人も、怒ると瞳孔が太くなる。
「触らないで欲しかった。私の娘。私の。」
私は思い出した。自転車で飛ばした猫のことを。黒と白のハチワレの、ふてぶてしい猫だった。
「私は、私は、貴方が嫌いだ。大嫌いだ。犬が嫌いだ。大嫌いだ。私は、自転車が、嫌いだ。大嫌いだ。」
私は、私がしてしまった事が、ようやく分かった。私は、殺したのだ。あの猫を。
「貴方は、貴方は、」
違う。私が聞こえたのは、弾けた音だ。何かが弾ける音が。
「私の、私の、」
あの猫のお腹には何かがいた。私は、
「子供を殺したんだ!!」
膝から崩れ落ちる。涙がこぼれる。あの日、私は、命を沢山殺したのだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさ い。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
何度も頭を地面に打った。
何度も、何度も、何度も、何度も。
血が滲み、目眩がしても、辞められなかった。
謝って、謝って、謝って、謝っても、償えない。私がしたことはそういうことなのだ。
「私は、貴方を恨んではいない。感謝したい。」
少女は、あの日飛ばした猫だ。二つに結われた髪は、真ん中で分けられていた。
「私は、また、新しい日々を送れる。貴方がしたことを、全てできる。何も怖くない。」
あのワンピースは、あの猫の血なのだろうか。頭を打って、打って、打って、謝って、謝って、
「私のお父さんはね?」
目の前から、少女が消えた。地面が光った。
「運転手さんなんだ。」
少女の声が、頭を巡った。私は初めて、道路にいた事を知った。
「私、見ませんでしたか?」
「黒い猫、見ませんでしたか?」
*0ocojo0 Have you seen the black cat?*
コメント
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#歌野白鼬物語 読んでくださり、ありがとうございます。貴方の人生に、少しでも役に立てたら、幸いです。ここで質問です。 貴方は、貴方が犯した罪を全て言えますか?