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「わー!このビルめっちゃおっきいな!」
巨大な建造物を見上げ、師匠のスクールに行った時と同じリアクションで発した彼女の言葉を、俺が横で得意げに訂正する。
「これはビルじゃなくて、”ショッピングモール”って言うんだ。服だけじゃなくて、色んな物が売ってるんだぞ」
俺たちは、自宅から電車で一時間ほどの場所にあるショッピングモールに来ていた。
ここは駅から直結していて、近隣では最大級だ。
今日の目的は三つ。
あおいの服、生活用品、そしてーー
「てつや!早く!早く入ろー!」
「お、おい、そんなに急がなくても大丈夫だって」
もはや恒例と化しているが、興奮気味に腕を引っ張る彼女が急に走り出さないよう、俺はしっかりと眼を光らせる。
「まずは、あおいの服から見に行こうか」
そう声を掛け、嬉しそうなあおいと共に二階にあるファッションフロアへと向かった。
入店しエスカレーターを上がると、何十メートルも続く長い通路が左右にあり、何軒ものお店が並んでいる。
その前を歩くと、いらっしゃいませー!どうぞご覧くださーい!と店員さんが甲高い声で叫んでいた。
ギャル系、モード系、カジュアル系、ストリート系、ガーリー系、ゴスロリ系。
もちろん俺の頭にそんな単語が浮かんでるはずもなく、あおいと二人で長い通路を何往復もしながら、店頭に飾ってあるマネキンを眺めては悩ましい表情を浮かべていた。
……うーん
服を買ってあげるとは言ったものの、女性ものの服を買う機会など全くなかった俺には、現在の流行も、どんな洋服が似合うのかも、さっぱりわからなかった。
それに、きっとお店に入ろうものなら怒涛の勢いで話しかけられ、あれよあれよと言う間に大量に買わされるに違いない……。
と、俺が被害妄想のようなことを考え、ぶるぶると肩を震わせていたその時だった。
「あら?てつやちゃん、あおいちゃん、こんな所で偶然ね」
聞き覚えのある声に振り返ると、目の前には筋骨隆々で長身の男性?が、ウインクをしながら立っていた。
「MIUさん!」
「わー!MIUさんや!」
俺はこの時ほどMIUさんと出会えて良かったと思ったことはない。
そう神、いや女神に感謝し、泣きそうな顔で事情を説明したのだった。
「あら、そういう事だったの。ならワタシに任せなさい。服が決まったら連絡するから、てつやちゃんはその間、他の買い物にでも行ってらっしゃいな」
男子禁制よ。なんて妄言を吐きながら、MIUさんとあおいは店内へと消えていった。
「……はぁ、本当に助かった。
よし、なら俺はこの間にーー
安堵の声を漏らしたあと、俺は先ほど案内版で見ていた、二つ上のフロアにある目的の店へと歩みを進めた。
♢
「さっきの服屋の何店舗分だよ、これ……」
俺はモール内でも一際大きなスペースに入っているお店の前で、これなら期待できると思わず笑みをこぼす。
実は、今日の買い物にこのショッピングモールを選んだのは単に大きいからという理由だけではない。
ここには電気店と楽器店が一体になったお店が入っており、ホームページを見る限り、目的の商品の品揃えが一番充実していたからだ。
俺は天井に吊り下がっているプレートを見ながら、”音響機器コーナー”を探して歩き出した。
「……あったぞ。やっぱりここにして正解だった」
そう呟く俺の目の前には、十や二十ではきかない数のアンプやスピーカーが並んでいた。
アンプとは、簡単に言って音を増幅する機械だ。
スピーカーと混同されがちだが、スピーカー単体では音がとても小さく、間に音の信号を増幅させるアンプを挟むことによって、より大きなボリュームで音楽を楽しめるようになる。
最近では元々アンプが内蔵されている一体型のスピーカーも増えていて、俺も今回、屋外で使いたいのでアンプが必須で、かつ持ち運びがしやすいようコンパクトな”アンプ内蔵型スピーカー”を探していた。
少しややこしいが、今後はアンプ内蔵型スピーカーの事を、単に”アンプ”と呼ばせて貰う。
昨日、あおいとしらべのストリートライブを見ながら俺は、生音であることを非常にもったいなく感じていた。
いくら良い演奏だったとしても、その音が届く範囲には限りがあるし、大きな声を出そうとすると発声に無理がでる。
その点アンプがあれば、より遠くまで声や演奏が聴こえることになり、それだけ沢山の人が足を止めてくれやすくなるのだ。
もちろん、近隣のお店や人の迷惑を考えた上で、最適な音量を心掛けることは必要だがな。
俺は一つ一つ丁寧にスペックを確認しながら、最終的に二つまで候補を絞った。
一つは出力10W(ワット)。
30×40cmほどの箱型のアンプだ。
コンパクトで持ち運びがしやすく、単三電池だけで駆動する。
商品プレートには、”ストリートライブ用”と大きく謳い文句が書かれてあった。
もう一つは100W(ワット)。
サイズはほぼ同じだが、こちらは”アコースティックギター用”と書かれている。
前者の十倍の出力がある分、音量も音質も文句なしだが、お値段もかなり大きくなる。
加えて電池では動かずコンセントを必要とする為、前者と違ってストリートライブでの使用には向かない。
俺は二つを見比べながら、自分がストリートライブをしていた時のことを思い出していた。
上京した当時、ストリートライブに憧れた俺は、すぐに一万円ほどのスピーカーとマイクを購入。
早速新宿駅に出向き歌い出すも、想像よりはるかにスピーカーの音が小さく、必死に声を張り上げて歌ったのを覚えている。
しばらく経ったある日、隣で歌っていたニット帽を被った男性ミュージシャンが、必死で歌う俺を見兼ね、自分のアンプで良ければ一緒に使わないか?と声を掛けてくれた。
すると今までより立ち止まってくれる人が格段に増え、俺はその時初めてスピーカーとアンプの違い、そしてアンプの重要性に気づかされたのだ。
余談だが、その日から俺は彼のことを”けんちゃん”と呼び、同い年だったこともありプライベートでもよく遊ぶほど仲良くなった。
だが、五年ほど経った頃だろうか。
いつもと同じく一緒にストリートライブをしていると、彼から夢を諦めて地元で就職することを告げられた。
悔しさを必死に堪え、精一杯の笑顔を作るその表情に、俺はなにも言えず、それ以来一度も彼と会うことはなかった。
「けんちゃん、今ごろ元気に頑張ってるのかな……」
あの頃を思い出し少し感傷的になるが、すぐにブンブンと勢いよく首を振り、気合いを入れ直す。
「俺は……俺の今を全力で頑張るだけだ」
そう呟くと、タイミングを図ったかのようにスマホが震えた。
あおいの服が決まったようだ。
俺は二つのうち片方のアンプの型番をスマホにメモし、下のフロアへと急いだ。
♢
「……」
エスカレーターを降り、キョロキョロとお店を探していた俺は、ある店の前に立っていたMIUさんを見つけ、そのまま店内の試着室の前へと案内された。
MIUさんがいいわ、と合図をすると、試着室の扉が開き、そこに立つ一人の少女を見て俺は思わず息を呑む。
「どう?ワタシのセンスも勿論だけど、これだけ似合う子もなかなかいないわよ?」
「はい。とってもお似合いです、お客様」
黒いシアースリーブのトップスに、首元にはシンプルな形のネックレス。
グレーのハイウエストパンツが、ぐっと大人びた印象を抱かせる。
そして、恐らくMIUさんが施したのだろう。
薄く自然なメイクが、それを更に引き立てていた。
MIUさんと店員さんの言葉に対し、俺がしばらくなにも言えずにいると、MIUさんが肘で俺をつつきながら言葉をせかしてくる。
「ほら。あんたからの言葉を待ってるわよ」
俺は一瞬だけ下を向き、意を決したようにあおいの顔を見つめて言った。
「……あおい、本当に綺麗だ。気の利いたこととか何も言えなくて申し訳ないけど……とっても似合ってる」
俺が少し照れながらそう言うと、あおいも手をモジモジさせながら、へへー嬉しい。と言った。
「なによ、あんた達。なかなか良い感じじゃないのよ」
MIUさんの言葉に慌てて二人の仲を否定しようとすると、隣にいた店員さんも続けて口を開いた。
「はい、本当に素敵ですね。娘さん」
ーーえ?
あまりに予想外のセリフに、俺の時間が一瞬止まる。
「こんなに素敵な娘さんをもたれて、お父様も幸せ者ですね」
店員さんはニコリと微笑み、俺の方を見た。
あ、あの……いえ、あの、俺は……。
と返答に困っている俺の後ろでは、MIUさんが腹を抱えて笑っている。
「あははははは!そうなんです!この二人本当に仲の良い親子なんです!あははははは!」
すると、あおいもそれに続く。
「そうなんです。うちとてつやは親子なんです。へへへ」
あいつ絶対意味わかってないだろ。
俺は呆れながらも、楽しそうに笑うあおいを見て、娘を持つのも案外悪くはないなと、そう思ったのだった。