TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
シェアするシェアする
報告する


全身から力が抜けたところで、階段を相変わらず音もなく篠崎が降りてきた。

「あ、お疲れ様です」

手の盆に客が飲んだと思われる湯飲みを乗せている。

それを受け取りながら由樹は彼を見上げた。

「またお茶でいいですか?」

「いや、今度はコーヒーと茶菓子も頼む」

「わかりました」

「なあ」

篠崎があたりを見回した。

「もう一組、客が来なかったか」

「あ……来たんですけど」

由樹は俯いた。

「帰ったのか?」

「……はい」

「なんでこんなに早……」

「マネージャー」

上から小松が叫ぶ。


「すみません、下の倉庫から、床暖房用のフローリングサンプルも持ってきてもらっていいですか?」

「了解」

篠崎は応えると、由樹の肩を叩いた。

「ま、そんな客もいるよ。でも客の情報や本気度、セゾンエスペースの家作りと合うかどうかがわかるためには、最低90分以上は引き留めないとな」

「90分ですか?」

「そう。データで、初回接客で90分以上話した客の成約率が、8割を超えるんだよ。つまり、初回にそれだけ興味を持ってもらわないと、他のメーカーにかっさらわれて相手にされないってこと」

(90分って。大学の講義並みじゃないか。あんなに長い時間、話し続けるのか?)

「まだまだナベの方はかかりそうだから、茶出してやって」

「はい、わかりました」

篠崎は階段下の倉庫に向けて歩き出した。

思わずため息が出る。

由樹は二組の客にお茶を配るべく、事務所に戻った。




ところが。

そんな客もいる、と言い訳できないほど、その後の由樹の接客はうまくいかなかった


まず若者は由樹の話を聞いてくれない。

そして年配になると話は聞いてくれても相手にしてくれない。

間取りの説明を求められ、部屋のそれぞれの広さを説明した後は、展示場を一周、あるいは1階だけを一周して、また玄関から出て行ってしまう。

あんなに特訓に付き合ってもらったのに。

篠崎が打ち合わせをし、渡辺が例の夫婦とお茶を飲みながら腰を据えて住宅ローンの話をしている間、由樹は4組の客を接客したが、箸にも棒にも、状態だった。


(これじゃ営業じゃなくて、本当に店員だ)

由樹は壁に手をつきながら項垂れた。


と、打ち合わせが終わったらしく、篠崎の客が階段から降りてきた。

「あら、本当にいい人いないの?」

妻の方が篠崎を振り返る。

「ええ、生憎」

篠崎がにこやかに笑っている。

「じゃあ、うちの娘にどうかしら。ね、パパ」

「篠崎さんを困らせるんじゃないよ」

言われた夫は機嫌悪そうに妻を睨んだ。

「えー、あなただって、篠崎さんみたいな息子だったらいいのにって言ってたじゃない」

「それはそうだけど、実際に自分の娘をすすめる馬鹿があるか」

「いえいえ、光栄です」

階段を下りきった篠崎が笑う。

「では、また。芦原さん。次の金曜日に」

微笑む篠崎をまだ名残惜しそうに振り返る妻を、夫が引っ張っていき、二人は帰っていった。

ちらりと篠崎を見る。

(本当に“いい人”いないのかな。それとも社交辞令だろうか)

後ろから降りてきた仲田が盆にコーヒーカップを乗せている。


「あ、仲田さん!すみません、俺、やりますんで」

慌てて受け取ろうとすると、篠崎がそれを制した。


「新谷。客だ」


振り返ると、40代から50代くらいの夫婦が外の滝を見ていた。


「あ、俺、何回ももう接客やったので…」

「接客?」

篠崎が表情を変えないまま言った。


「お前がやったのは、接客じゃない。客を帰しただけだ


頭をガツンとハンマーで殴られた気分だった。


「お前、午前中だけで何組の客を帰した。客はお前の練習台じゃないんだぞ。一組一組が、貴重な財産なんだ。そんな数打ちゃ当たる下手な鉄砲じゃ困る」

割れた頭蓋骨を、尚もハンマーが追撃してくる。

「俺が物陰から聞いててやる。本気でやってみろ」

篠崎は腕を組み、和室の陰に消えていった。


一度でいいので…

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

32

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚