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王都のデリカート邸は、いつも静かだ。
優秀な魔導士であるキース卿と伴侶であるリアムが住むこの屋敷には余計な喧騒が入り込まない。
ここで護衛をしている俺にとっても、悪くない環境だった。
ただ──最近になって、少しばかり問題が出てきた。
「アレックス様、一緒に剣の稽古をしませんか?」
目の前で木剣を構える少年が、その原因だ。
シリル・デリカート。
この家の息子で、キース卿とリアムの一人息子。
十六歳になったばかりの魔導師見習いで、童顔で愛らしい顔立ちは母親譲り、意志の強い金色の瞳は父親そっくりだった。
「お前は魔導師見習いだろう……剣より魔法を鍛えろ」
俺は手にした木剣を振り下ろしながら淡々と返す。
こんな会話は幼いころから何度目かもわからない。
「だってアレックス様がかっこいいので、剣の方がいいです」
シリルは軽い調子で笑うが、こっちはその言葉を軽く受け流せるほど鈍感でもない。
かっこいい、か。
それくらいの言葉を騎士として言われるのは慣れている。
手前味噌な話ではあるが、俺が指揮をとっている王立騎士団は腕が立つだけではなく、それなりに知識や人格も必要となり、入るには厳しい審査があるのだ。故に、民衆からの人気も高い。
だから、賛辞は聞きなれている……はず、なのだ。どうにもシリルから言われると違う。
「稽古なら騎士団の者に頼め」
「それじゃだめです。アレックス様じゃなきゃ。アレックス様が僕は良いんです」
「……」
さらっと言われて、思わず木剣を持つ手に力が入った。
──これは、単なる護衛任務の一環だ。深く考える必要はない。
この家に護衛として派遣されたのは、王宮からの直々の命令だった。
デリカート家には魔導師の血が流れ、シリルもまた若くして類まれな魔力を持つ。
そのせいで幼少のころから何かと狙われることが多く、護衛は必要不可欠だった。
団長である俺が個人につくことはまずないが、デリカート家とは父の代から懇意にしていることもあり、現状では戦争と言う有事もないので、俺がここに派遣された。
まったく……子供だと思っていたものを……。
シリルを守るのが俺の仕事だ。
それ以上の感情を抱く余地はない。
そう言い聞かせて、ここに派遣されたのはもう数年も前になる。
その間、シリルが俺の後ろを無邪気に追いかけ回していた時期があったのを思い出す。
少し背が伸びた程度で、何かが変わるはずがない。
──そう、何も変わるはずがないのに。
木剣を交わし合うたび、シリルの目が妙に楽しげに細められるのが、どうにも気に入らなかった。
成長したせいか、大人びて見える瞬間が増えてきた。
ついこの間まで「アレックス様ー!」と無邪気に追いかけてきていた子供が、いつの間にか俺の肩に届きそうな背丈になっているのだから、動揺するなというほうが無理な話だ。
「わかった。少しだけだぞ……」
結局、俺はシリルの願いを聞き入れ、木剣を構え直した。
カン、と木剣が交わる音が響く。
シリルは意外と剣の扱いが上手い。剣はからっきしに駄目だったリアムに似ず、なんでも器用にこなす父親の方に似たのだろう。
それに加えて魔導師としての魔力制御に必要な体術があるからか、動きにも無駄がない。
だが、問題はそこではなかった。
「アレックス様、少し近づいてもいいですか?」
「何のためにだ」
「もっと剣の動きをよく見たいので」
シリルが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
……おいおい、近すぎるだろう。
俺は内心でため息をつきながら木剣を構え直すが、なぜかシリルは楽しそうにこちらを見ていた。シリルが近づいた歩数分だけ俺は下がる。
「避けなくてもいいじゃないですか」
「これは避ける避けないの問題じゃない」
思わず言葉が漏れる。
その瞬間、シリルがニッと微笑んだ。
──これはわざとだな……。
まったく、どこで覚えたんだ、こういう仕草は。
困る。
「稽古はここまでだ」
あまり深入りしても仕方がない。
木剣を下ろして、終わりを告げる。
「えー、もう終わりですか?」
「俺が終わりだと言ったら終わりだ」
シリルは少し不満げに唇を尖らせたが、すぐに柔らかく微笑む。
「じゃあ、次はもっと長くお願いしますね」
袖口を軽く引かれて、俺はシリルを見下ろす。
銀色の髪に、金色の瞳。あどけなさの中に大人っぽさが混じっていて、小さく息を飲む。
このままではいけない。
咄嗟にそう思って、そっと振り払った。
「次があるかはわからんがな」
「あるに決まってますよ」
確信に満ちた声に、俺は無言で目を逸らした。
俺が屋敷の方に向かって歩き出すとシリルが追っかけてきて、隣に陣取った。
「アレックス様、次の休みにどこか出かけませんか?」
「休みはない」
「じゃあ、休みができたら」
シリルは俺から断られても折れる気配がない。
俺が答えるより先に、シリルは笑顔で続けた。
「アレックス様が一緒ならどこでもいいです」
「……出かける理由がない」
「理由?そっか。ならデートでどうですか?僕と」
その言葉がさらりと出てきたせいで、思わず足が止まりそうになる。
──冗談だとわかっている。わかっているが、こいつは時々、油断ならない。
「……そういう軽口はリアムに似たな」
「あれ、今の軽口でした?僕は本気ですけど」
目を細めて笑うシリルが、少しだけ得意げに見えるのは気のせいじゃないだろう。
──本気か冗談か、判断がつかないのが余計に厄介だ。
護衛対象なので離れるわけにもいかず、結局俺は無言で前を向いた。
これがいつまで続くのか、わからないまま。