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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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◆◆◆◆


蔵王トンネルを抜けると、暗かった田園風景は、一気に白銀の世界に変わった。


「すげ………」

由樹はその白さに目を丸くして、思わず身体を起こした。


その動きに隣で寝ていたビジネスマンが一瞬起きたのか目を擦った。

「あ、すみません」

言いながらまたシートに身体を沈めると、彼は、ちらりと窓の外を見てまた目を瞑った。

「蔵王トンネルから先は大抵こうだよ」

当たり前のように言いながら、また彼は眠りの世界に落ちていった。


「そうなんですね…」

独り言を呟きながらまた窓の外に目を戻す。


雪と強風のため、昨日まで運休していた東北新幹線は、今日の8時になってやっと運行が再開された。


由樹は今度は隣の男を起こさないように自由席を見回した。

8割の席が埋まっているその車両には、出張と思われるビジネスマンの他は、ディズニーランドの袋を下げている家族連れと、大きなトランクを持っている女子大生が座っていた。


再びシートに身体を沈め、どこまでも続く白い景色を見つめ、由樹は小さく息をついた。



一昨日、ベッドの上で目覚めた由樹は、得も言われぬ幸福感に満ちていた。

篠崎の優しい声に、温かい手に、熱い身体に、自分への何らかの想いを確かに感じたと思った。

いつの間にか腕枕をするように隣に寄り添って眠っていた篠崎の顔を、起こさないように見つめた。


もしこれが、彼が言うように、「一度」のことだったとしても、自分はこの思い出を胸に、これから生きていける。

そう確信できるほど、素敵な夜だった。


由樹はそっと起き上がると、彼の寝顔を見て、微笑んだ。


その瞬間………



『……新谷』


脳裏に、ずっと忘れていたあの声が聞こえてきた。


『新谷、すごく、よかったよ……』


見つめているのは篠崎の顔なのに、篠崎の唇からそんな太い声が出るわけないのに、その声は続いている。


『なあ、これからたまに、こうしてさ、また楽しもうよ』



胸が上下する。



『お前も』



呼吸が苦しい。



『……よかっただろ?』



気が付くと、雑に服を引っ掻けたまま、由樹は篠崎のマンションを飛び出していた。

エレベーターの箱が上ってくるのを待てずに、非常階段を駆け下りる。


「出口は開いてる、出口は開いてる、出口は開いてる……!」


昨日篠崎に教えてもらった知識を呪文のように繰り返す。


「出口は開いてる、出口は開いてる、出口は……」



(…………逃げろっ!!)


由樹はマンションのエントランスの自動ドアを通過すると、まだ薄暗い街の中を走り出した。



3ヶ月ぶりに会いに来た由樹に、千晶は驚き、それでも中に入れてくれた。

泣きながら玄関でしゃがみこんでしまった由樹に、ホットミルクを淹れてくれ、千晶はその背中を撫で続けた。


「……篠崎さんと、何か、あった?」

由樹の嗚咽が止まったのを見計らって彼女が優しく効いた。

「ちが………篠崎さんが、悪いんじゃ、なくて………」

「うん?」

「俺……」

その名前を言おうとすると、吐き気が襲ってきて、由樹はその場で必死に口を押えた。

「……………」

千晶は傍らにあったシャンプーなどの買い置きが入っていたレジ袋から中身を出すと、由樹の口に当てた。

「私は医者よ。我慢しないで、吐きたいときは吐きなさい」

「……っ」

由樹はその袋を受け取り、吐き出した。

その背中を千晶がさすってくれる。


「……ちょっと見ない間に……痩せた?由樹」

その泣きそうなほど優しい、懐かしい声が、吐き出した体に優しく入ってくる。


由樹は涙を流しながら、嗚咽し続けた。



胃液まで吐き切ったところで、由樹はやっと落ち着いて玄関にひっくり返った。

その体を起こして千晶はリビングに連れて行くと、ソファに由樹を座らせ、そこで改めて温かいココアを淹れてくれた。


「何があったの?」

彼女の問いに、何をどう答えたのかはさだかではない。

しかし彼女の顔が悲しそうに歪んでいったのだけは鮮明に覚えている。


「でも……篠崎さんとあの男は、違うでしょう?あなたが言ったんじゃない」

由樹の脇に座りながら千晶は由樹を見上げた。


そう。篠崎とあの男は、何もかもが違う。

体型も顔も声も手の大きさも、雰囲気も言葉遣いも匂いも、全てが違う。

同じところなんて、”男だということ、そして“上司”だということ、その2点だけだ。


それなのに、記憶の端に押し込んでいたはずの、あの男の恐ろしい影が、自分を押さえつけた気色の悪い手が、頬にかかる生臭い息が、自分を貫く鋭い痛みが、どうしても引きずり出されてしまう。


「………っ」

由樹はココアの入ったコップを握りしめたまま、項垂れてしまった。

その目から涙が零れ落ちていくのを、千晶は隣で見つめていた。


「……由樹。そんなに握ったら低温火傷しちゃうよ」

言いながら千晶の小さな手が、由樹の両手からカップを優しく剥がしていく。


こんなに、小さな手で……。


由樹は1年前、雪男のように大きいあの男に、拳を奮った千晶の姿を思い出した。


(こんなに小さな手で、あの男に殴りかかってくれたんだよな……)


その想いに。

その強さに。


由樹は人間として彼女に恋をした。


彼女のように強くなりたいと思った。

彼女のように誰かを救い、守れる人間になりたいと思った。


それなのに……。


(俺は、何も変わっていない……)


カップをテーブルにそっと置くと、千晶は由樹を振り返った。


「由樹、大丈夫だよ。あの男は、もう関東にいないから」

「……え?」

「実は、調べたの。もう2度と由樹に近づいてほしくなかったから。そうしたら、あの一件の後、秋田の支社に飛ばされてた」

「…………」

「だから、大丈夫。怖がらなくてもいいのよ」

千晶は壁時計をちらりと見た。

もう出勤の時間だ。


「ごめんね。千晶。もう行かなきゃいけない時間だよね」

「由樹は?」

「今日は休みだから」

「なんだったら、今日は橋本先生も出るから、代わってもらえるけど」

「大丈夫だよ。ありがとう」由樹は顔を上げた。

「好きなだけ、いてもらっていいから。夜までいるなら夕食作ってあげるし、帰るなら鍵はポストから中に入れておいて」

「うん」

笑顔を作ると、彼女はやっと安心した顔で頷いた。

そしてものの10分で支度を整えると、トーストを咥えながら振り返った。


「由樹」

「ん?」

「辛かったら、こうやっていつでも、会いに来ていいんだからね」

「……ありがとう。本当に」

言うと千晶は笑った。


と同時に口からトーストが落ちる。

それを俊敏に右手でキャッチして、千晶は笑った。

「ナイス!」

由樹も笑う。

二人は手を振って別れた。



「いつまでも甘えてちゃいけないよな」


由樹は大きく息を吸い、そして吐いた。


「秋田、か」




そして今、由樹は秋田に向けて、この東北新幹線に乗っている。

3ヶ月前、美智に会いに行く際に、隣に座っていてくれた紫雨はいない。

由樹は、一人だ。


坪沼には、昨日、電話で連絡をしておいた。

「話があるので、少しだけ会ってもらえますか」

その旨を告げると、電話口の坪沼は長い沈黙の後、「わかった」と低い声で告げた。


彼に謝罪をしてもらいたいわけではない。

たとえどんな結果でも構わないのだ。


土下座されてもいい。

逆に殴られてもいい。


どんな形でもいいから、自分の中で、彼を”終わり”にしなければ……。


前に進めない。



『約束して』


千晶の言葉が蘇る。


『この先、何があっても、前に進む。ね?』


由樹は白い世界に向かって、頷いた。



一度でいいので…

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