「え、ええ……? あの、つまり……その、今の……つまり――」
乾いた笑い声が、誰もいない通路に弾けた。
それは一毬自身の声だった。けれど、どこか他人のもののようで。
彼女は立ち止まったまま、視線を床に落とす。
ブーツの先に転がる“レポート端末”。それは白階機関から誤って送信されたもの。
いや、“わざと”だったのかもしれない。
たった一枚の報告書。
それは彼女が「実地観測個体」と呼ばれていることを示していた。
【分析報告】
対象 : ヒマリ
性格特性:楽観主義、無自覚自己優先傾向
観察結果:外部刺激に対する反応速度良好。自己認識は未発達。
適正:接触・誘導・消耗。自壊的傾向あり。最終的に、破壊されるまでが有用。
一毬はその文面を、三度、読み返した。
目を瞬かせる。
口元に笑みを浮かべる。
「――つまりぃ、一毬ってぇ……」
そこで言葉が止まった。
「…………え? えっ?」
あの喋り方じゃない。声が震えていた。脳が追いついていなかった。
一毬は、数歩よろめき、壁にもたれかかった。
思い返す。
護井会の使い。白階の「観測担当」だという女が口にした言葉。ウィスと出会ったあの日、手渡された“任務”。
すべてが、“戦わせて記録を取るため”だった。
「ふふ、でも一毬は有能ですよね〜! だって! 評判もいいし! ほら、解決屋だし!」
――だれが言ってたんだっけ、それ。
「……一毬、可愛いって、言ってましたよね……ね?」
――それ、お前が勝手に言ってただけだよ。
通路の照明がチカチカと点滅し始めた。目の前にあるのはただの報告書。それ以上でもそれ以下でもない。
しばらく沈黙した後――
「……っは!!」
突然、いつもの調子で顔を上げた。目は赤い。泣いてる。でも笑ってる。
「なるほどですね!! つまり、一毬は……」
一瞬、口元が引きつった。
「――ログに記録されるための、“喋る実験体”ってことですねッ☆」
そのまま背を向け、レポート端末を蹴飛ばした。それはカツン、と音を立て、通路の奥へ転がっていった。
「……じゃあさ。今度は、そのログに“残らない”一毬の仕事、見せてやらなきゃ、ですね?」
笑ってる。けど、あの明るさはもう戻ってこない。