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グランベル公爵が持ってきた契約書をジェラードに確認してもらい、問題ないということだったのでサインをする。
契約をするのは、この世界に来てからは2回目だ。
1回目はお屋敷や工房をもらったときだけど、そのときは正直、ピエールさんに全部任せちゃっていたんだよね。
一応書類には目を通したものの、完全に理解しているかといえば、恐らくはしていないわけで。
こういうときにジェラードのようなプロが一人でもいると、安心感がまったく違ってくる。
「それでは、こちらの1枚はアイナさんの控えとなります。
代金は明後日、銀行でお受け取りください」
「ありがとうございます。増幅石はここでお渡しですね」
「――はい、確かに頂戴しました。
いや、それにしても今回は助かりました。少しでも品質が良いものを、しかも4つとも同じ品質が望ましかったのです。
アイナさんから買わせて頂いたものは、まさに理想的と言えるでしょう」
「研究の成功を祈っていますね」
「ははは、一気に進むことは間違いないですよ」
契約も終わり、緊張感が少し解けた中で会話をしていると、ドアからノックの音が聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
グランベル公爵の返事のあとに入ってきたのは、貫録のある一人の男性だった。
どうやら脚が悪いようで、品の良い杖をついている。
顔は何となく、グランベル公爵に似ているような気がするんだけど――
「おや、お客様でしたか。
初めまして、ファーディナンド・ジェフ・グランベルです」
「ご丁寧にありがとうございます。
私はアイナ・バートランド・クリスティアと申します」
「アイナ……さん? おお、今話題の錬金術師殿ですか。
これはこれは、お目に掛かれて光栄です。
――ところでハルムート、私に何か用か?」
「ああ。兄さんに、アイナさんをシェリルのところまで案内して欲しくてね」
むむ? ファーディナンドさんは、グランベル公爵のお兄さんだったのか。
確かに少し年上そうだし、兄弟に見えるほどには似ているかな。
「ほう……?
そんなことを許可するなんて、珍しいな」
「今回、アイナさんにはとてもお世話になったんだ。そのお礼の一環だよ」
「ふむ……、分かった。今日はまぁ、大丈夫だろう」
「それでは頼んだよ。
……さて、アイナさん。これから兄に、シェリルのところまで案内をしてもらいます。
その間、ブライアンさんとアンジェリカさんは、ここで私の相手をしてください」
ブライアンさんとはジェラードのこと、アンジェリカさんとはエミリアさんのこと。
……って、二人を残していかないとダメなの?
「一緒に行くのはダメですか?」
「はい。申し訳ありませんが、こちらの事情も理解して頂ければと」
いやいや、事情も何も、何も分からないんだけど……。
でもまぁその事情とやらは、シェリルさんのところに向かいながら、お兄さんの方に聞いてみるとしよう。
「……分かりました。
それではブライアンとアンジェリカはここで、公爵様のお相手をしてください」
私の言葉に二人は頷き、私はお兄さんのファーディナンドさんと一緒に客室を出ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
客室を出たあと、ファーディナンドさんは私が着いてきていることを確認しながら、先を進んでいった。
杖をついて歩いているせいか、普通に歩くよりは少し遅い。
「……脚がお悪いのですか?」
「ああ、以前に怪我をしてしまってね」
事もなげに言うファーディナンドさん。
何となく脚の異常を鑑定してみれば、どうやら薬の作成は可能のようだ。
折角だし、ファーディナンドさんにも恩を売っておこうかな?
――などと、打算的なことを考えてしまう自分に、少し嫌気が差してしまう。
頭を軽く振りながら自己嫌悪の感情を振り払っていると、いつの間にやら、使用人と思われる男性が着いてきていることに気付いた。
目が合ったので会釈をしてみると、向こうも同じように返してくれる。
何も喋らないから、ファーディナンドさんのサポートとして着いてきているのだろう。
「ところで、シェリルさんはお元気ですか?
みんなで会えない事情っていうのは、もしかしたら病気とかなのでは……?」
「いや、そんなことはないよ。今日も元気さ」
「あ、そうなんですか。それは良かった」
「まぁ、そうだね……。あんな場所で『事情』だなんて言われると、勘ぐってしまうだろう。
ちょっと今、シェリルは|荒《すさ》んでいてね。私以外には心を開いてくれないんだよ」
「え……?」
荒んでいるっていうのは、どういうこと?
少し遅めの反抗期……っていうことは、さすがに無いよね。
「会ってみれば分かるさ。
私は一緒にいてやれないが、アイナさんなら多分大丈夫だから」
「え? 一緒にいて頂けないのですか?」
「私以外の屋敷の者が部屋に入ると、どうにもうるさいのでね」
「えーっと……?
私とファーディナンドさん以外には誰も――」
……と言い掛けて、そういえば使用人が一人着いてきていることを思い出した。
なおもよく分からないでいると、ファーディナンドさんが説明をしてくれる。
「彼は私の、お目付け役なんだ。
アイナさんと私が、変なことを話さないかを監視しているんだよ」
「……ファーディナンド様、お戯れを」
「おお、怖い怖い」
使用人の冷たい言葉に、ファーディナンドさんは茶化すように誤魔化した。
んん……? 何だか張り詰めた空気が……?
「つまり、シェリルさんの部屋には私だけが入って、ファーディナンドさんとこちらの方は部屋の外で待っている――
……と、いうことですか?」
「その通り。でも私たちのことは気にせず、ゆっくりしてきて良いからね。
私はこう見えて、ずいぶん暇なんだから」
「……ファーディナンド様」
「ははは、すまんな。口がどうにも軽くて」
またもや使用人から注意を受けるファーディナンドさん。
……グランベル公爵のお兄さんなんだよね?
何でこんな扱いをされているんだろう――
……っていうか、敬称はそもそも『さん』で良かったのだろうか。
「すいません、私もファーディナンド様とお呼びするところでした」
「いや、そんなに畏まらなくても大丈夫。
折角だし、『さん』のままでお願いしたいかな」
「はぁ……。それではお言葉に甘えさせて頂きます」
その後は何となく話が終わってしまい、三人で静かに屋敷の中を歩き続ける。
広いお屋敷を抜けて、近くの別の建物に入って、そしてそこからまた歩く。
――遠っ!!
「……遠いですね」
心の中の言葉を、|余所《よそ》行きにアレンジしてから口に出す。
「さっきの建物はハルムートの家族が住んでいるからね。
お客様は別の建物に住んでもらっている、というわけさ」
「なるほど……。
ファーディナンドさんは、公爵様と一緒に?」
「いや、私はシェリルと同じ建物……つまり、こっちに住んでいるよ。
何かと面倒を見ているんでね」
うーん……?
もしかしてファーディナンドさんって、グランベル公爵から冷遇されているのかな?
冷遇といえば――
忘れていたわけじゃないけど、うちのメイドのキャスリーンさんも、このお屋敷に仕えていたんだよね。
彼女の身体にはたくさんの傷が刻まれていたけど、このお屋敷の誰がやったことなのだろう。
グランベル公爵もファーディナンドさんも、そんなことはしなさそうだけど……また、別の人なのかな?
ここで聞いてみたい気持ちもあるけど、そんな簡単には教えてくれないだろうし、そもそも使用人がくっついているから難しいか……。
「……それにしても、素敵なお屋敷ですね。
広いのに、どこも手入れが行き届いていて」
「ありがとう、昔から来客が多くてね。
屋敷といえば、そういえばアイナさんも王都に屋敷を構えているんだってね。
その年齢で、大したものだ」
「王様のご厚意で頂いたものなんです。
前に住んでいたのはガナラ様という貴族の方だそうで――
……グランベル公爵の弟君と伺ったのですが、そうすると、ファーディナンドさんのご兄弟にあたりますか?」
「おお、あの屋敷なのか。
あそこは少し狭いが、場所は良いし、なかなかの場所をもらったんだね」
……やっぱり、狭いって言われた……。
そして後半は、何だか華麗にスルーされてしまった……。
「あの、ガナラ様というのは――」
「アイナさん、お待たせした。この部屋だよ」
ファーディナンドさんは、大きな扉の前で立ち止まってそう言った。
他の部屋の扉よりも大きく、中の広さが何となく|窺《うかが》える。
――ああ、そうだ。私がここに来た一番の理由は、シェリルさんに会うためだった。
だからガナラさんとやらのことは、今は置いておこう。
まずは目の前、シェリルさんとしっかりお話することに集中しないとね。