俺の傍までゆっくり歩いてくると、綺麗な色のヒールで頭を強く踏み潰された。踏まれた痛さなんかよりも、リコちゃんから放たれる冷たい視線が躰にグサグサ突き刺さってきて、もっともっと痛かった。
「リコちゃっ、なっ、なんで!?」
「なんでって、それはこっちのセリフなんだけど。自分のやったことを思い出しなさいよ」
忌々しそうな顔で言い放ち、頭を踏んでいた足を退けて、後ろに反動をつける。これはもしや、俺の顔面を蹴りあげようとしているのか!?
(モデルとして芸能人として、コレだけは何としても、死守しなきゃならない!)
寸前のところで顔の前を腕でガードして、ギリギリやり過ごしてみせた。
「黙って蹴られなさいよ。それだけのことをアナタ、してくれたでしょ?」
「な、何を言ってるのかな。俺は何も――」
「昔からそう……稜くんは私の物を欲しがって、なんでも奪い取っちゃうんだから。本当に悪いクセだよね」
「それはリコちゃんが好きだから、持っている物がどうしても欲しかったんだ」
リコちゃんの触れた物や愛でている物が、全部欲しくて堪らなかった。だから小さい自分は、ちょうだいとよく強請っていた。
「親には片親で不憫な稜くんに、よくしてあげなさいと言われてたから、仕方なく面倒を見てあげていたのに、それを見事に勘違いしてくれちゃって、困ったコだよね」
「それでも俺は君と一緒にいることができて、すっごく嬉しかったんだ。たとえそれが強制されたことだとしても、リコちゃんに優しくされたことが、本当に――っ」
「だからってどうして、克巳さんを奪ったの? 女の私から男であるアナタがどうやって、克巳さんを上手いことたらしこんで、彼を骨抜きにしたのかしらね?」
(――なんで、それを知って……)
リコちゃんの言葉に愕然としてしまい、思わず顔のガードを解いてしまった。残忍な笑みを俺の目の前で浮かべながら、足先で俺の顎を掬い取り、強引に見上げさせられる。
「克巳さんがどこかおかしくなったのは、アナタの家に初めて行ってから。それでピンときたのよ、何かあったんだって」
「……そう、気がついていたんだ」
「昔からアナタが私のモノを強請るクセがあったことを、ふと思い出したの。それで探偵に依頼して、芸能人の葩御 稜のことを、徹底的に調べてもらったわ」
顎にかかっていた足を頬に移動して、思いきり踏み潰される。ヒールの踵が皮膚に食い込んで、すごく痛かった。
「キレイな顔して、随分とヤりまくってるんだって? 仕事が終わったら森って男に抱かれて、家に帰ったら克巳さんに抱かれて。呆れちゃうくらい、稜くんってお盛んなのね」
(――ああ、そうか。これで全部繋がってしまった)
「だから……なんだね? 損得勘定で動く森さんをうまいことそそのかして、俺に攻撃するように、リコちゃんがなにか言ったんでしょ?」
克巳さんが森さんの電話を切ってしまった後、改めてふたりきりで話し合いをした。あれは克巳さんが一方的に想っていることで、俺としては森さんと、これからも変わらずにヤっていきたいと、何度も頭を下げた。
森さんが大事だと、これでもかと念を押してみせたら、俺の言葉に渋い顔をしつつも、納得してくれたはずだったのに。
「ホント馬鹿ね、人の心は単純じゃないのよ。アナタがよろしくヤってる声を、目の前でちょっとだけ聞かせてやったら、このザマなんだから」
克巳さんに取り押さえられている森さんに、視線を飛ばしたリコちゃん。
「……それって俺の部屋に、盗聴器を仕掛けたの?」
「素人がそんなこと、できるワケがないでしょ。克巳さんのカバンに仕込んでおいたのよ。私にだけ優しくて、いい人だと思ったのになぁ。どうして、稜くんの毒牙にかかっちゃったのか。欲望に走る男って、みんなバカだよね」
リコちゃんは吐き捨てるように言い放ち、俺を踏みつけていた足を退けると、弾んだ足取りで、克巳さんたちの元に向かった。そして足元に落ちていたナイフを音もなく、そっと拾いあげる。
「理子さん……それを、どうするつもりなんだ?」
「決まってるでしょう。調子こき過ぎた稜くんを、この手で殺ってやるのよ」
(ああ俺は、リコちゃんに殺されちゃうのか――)
「稜はなにも悪くない。悪いのは俺だ、俺を刺せばいい」
克巳さんは森さんの躰からゆっくりと立ち上がり、リコちゃんが手にしているナイフを、自分の胸元へ強引に導いた。
「純粋に理子さんを愛してる彼よりも、そんな彼を愛してしまった俺のことを、君の手で罰してくれ」
「克巳さん、聞いて。悪いのは稜くんだよ。あんな気持ち悪い人、死んでしまえばいいんだって!」
「理子さん頼む、俺から殺してくれないか……稜を愛しても、どうせ彼は理子さん以外愛せない、そう思うんだ。わかっているのにこの気持ちは、どうにもならなくて苦しすぎる。だから君の手で、俺の命を奪ってほしい。この苦しさから解放してくれ……」
克巳さん、見えない俺の気持ちを、理解していたの?
「私が克巳さんを、殺れるワケないじゃない。好きな人に手をかけるなんて、そんなことできないよ」
「理子さん……?」
所々震えるように告げられた声色に、克巳さんが困惑した表情を浮かべた。
(リコちゃんの手で、克巳さんを殺らせちゃダメだ。それだけは何としてでも、阻止しなければ)
ふたりの会話を耳にしながら、その隙を窺った。
「全部あのコが……稜くんが悪いのよ。変な毒を振りまいて、周りの人間に悪影響を及ぼすんだもん。だから私がその命を奪ってやるの、大事な人を守るためにね。そしたら克巳さん、きっと目が覚めるわよ。稜くんがいなくなったら、また私を愛してくれるんでしょ?」
どこか悔しそうな表情を浮かべ、必死に訴えかけるリコちゃんの言葉に、克巳さんは無言で首を左右に振った。
狂気じみた彼女の言葉を聞き、周囲からただならぬ雰囲気がひしひしと流れてくるのを肌で感じた。克巳さんに断られたこともそうだけど、その雰囲気に当てられたリコちゃんの瞳に、涙が滲みはじめる。
「なんで? 私、間違ったこと言ってないよね? 稜くんは人を惑わす、悪魔みたいな男なのに……」
「そうだよ、リコちゃん。君は間違ってない! 俺は自分の毒をまき散らす、悪魔みたいな男だ。だから遠慮なくヤっちゃってよ! 大好きなリコちゃんに、この命を奪われるなら本望だね!!」
最初のときとは違い、弱々しく言ったリコちゃんのセリフを聞き、俺は渾身の力を込めて、大きな声で叫んでやった。
俺のせいで、克巳さんが死ぬことはない。それに彼女が心から望んでることを、進んですればいいと思った。
そう……リコちゃんの躰を奪ったところで、心までは手に入らない――勝敗は最初からわかっていたのに、自分の中にある毒占欲を、どうしても止めることができなかった。
(――惨めにキズつき、こんな場所で倒れてる茶番劇がその結果だ)
それに俺がいなくなれば、すべて丸く収まる――毒の元凶である自分が、この世からいなくなれば……。
「ほらね、稜くんが自ら死にたがっているじゃない。希望通り、殺してあげないと」
俺の声に反応して、リコちゃんが克巳さんに向けていたナイフを離そうとしたときだった。
「……大好きな君が俺の愛する人を、殺すところなんて見たくない――」
静かに……だけどはっきりと告げられたその言葉に、嗚咽を漏らしながら顔を歪ませたリコちゃんは、握りしめていたナイフを手からゆっくりと落とす。
真っ赤な血のついたナイフが、アスファルトに寝転がっている今の無様な自分の姿と、何故だか綺麗に重なった。
結局リコちゃんに殺されることもなく、手に入れることもできず、彼女に対して燻っていた毒占欲をそのままに――死に損なった俺は、テレビや新聞・週刊誌の格好の餌食となったのだった。
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