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年末年始は予定通りおじいちゃんの家で過ごした。
大晦日は蕎麦を食べて紅白を付けたまま家で寛ぎ、年越しの時刻には布団を敷いて眠っていた。
初詣は京之介くんと行った。
京之介くんは迎えに来てくれて、うちのおばあちゃんとおじいちゃんに新年の挨拶をした。
おばあちゃんには「あんたら仲良うなったもんやなぁ」と少し驚かれたが、特に関係性を疑われることはなかった。
小さい頃は京之介くんにいじめられたと言ってよくおばあちゃんに泣きついていたので、それを見ているおばあちゃんからしたら不思議だろう。
チャラ男、女学生、鞍馬、私のグループLINEには年明けピッタリにチャラ男からあけおめLINEが来ており、続いて他の二人が【おめ】【おめでとーございます!今年もよろしくおねがいします!!】と返信していた。
朝起きた私も【おめでとう。今年もよろしく】と送っておいた。
女学生のインスタには0時ピッタリに神社で女友達数人とジャンプしている動画があげられており、これに比べたら味気のない正月を送ってしまったなと思ったけれど、自分の中で正月なんてゆっくりするもんだからいいやという結論に至った。
冬休みも束の間、すぐに大学が始まる。
最近は雪が降ることも多く、何でこんな寒い時期に外へ出なければならないんだと世の中への不満を抱きながら登校した。
白い息を吐きながら駐輪場に自転車をとめて歩いていると、「瑚都じゃん」と車の鍵をコートのポケットに仕舞いながらこちらへ歩いてくる鞍馬の姿が見えた。
新年早々大学で最初に会うのが鞍馬とは。悪い年になりそうだ、と失礼なことを思った。
「あけましておめでとう」
「あけおめー。LINE無視されて悲しかったんだけど?」
年明けの時、鞍馬は個人チャットでも私にメッセージを送っている。
しかし私は返信していない。私怒ってますよアピールだったのだが鞍馬には伝わっていないようだ。
「ご自分の胸に手を当ててよく考えてください。何かよくないことしませんでした?」
「え~?何かしたっけ?」
「私の彼氏の車で、必要以上に私に馴れ馴れしかったでしょう」
「ああ、それ?変によそよそしいよりはよくない?」
クックッと笑いながら肩を揺らして途中まで方向が一緒の私と並んで歩く鞍馬。
こいつに反省なんて求めても無駄だと悟り、それ以上文句を言うのはやめた。
「手ぇ寒そ。俺の手袋貸そっか?」
鞍馬が自分の手袋を脱いで渡してくる。
手が冷たくて擦り合わせていたところだったので助かるが、そうすると鞍馬の手袋がなくなるだろうという目をすると、「俺そんな寒くないからいーよ」と言われたので有り難く受け取る。
その直後。
「――――兄さん?」
その呼びかけに、鞍馬が立ち止まった。
鞍馬が止まるのにつられて私も止まる。
振り向いたのは私の方が先だった。
後ろに居たのは、眼鏡をかけた爽やかで小顔の、俳優にいそうな美形男。
鞍馬を見ると、ワンテンポ遅れて鞍馬も後ろを振り向く。
「ああ、やっぱり。兄さんだ」
鞍馬の顔を見て美形男が唇に弧を描く。本当に俳優やってるんじゃないのかというレベルの完璧に作られた色っぽい笑い方だった。
え?弟?と思って手袋を付けながら鞍馬を見る。
鞍馬は何も言わない。ただその弟の方を無表情で見つめている。
「この大学だったんだ。母さんが兄さんのこと教えてくれないから、全然知らなかった」
鞍馬はまだ黙っている。
と。弟の視線が鞍馬の隣にいる私と、先程鞍馬から受け取った手袋を付けようとする手へと順番に移っていく。
「彼女?」
それが私への問いなのか、ずっと返事をしない鞍馬への問いかけなのか分からず即座には反応できなかった。
「兄さんとあんまり関わらない方がいいよ。そいつ頭おかしいから」
私への忠告とも取れる言葉を、私をしっかり見据えて言う弟。
実の弟にここまで言われる鞍馬は余程嫌われているのだろう。
「……知ってるけど」
手袋を付けた手を更にポケットに入れて答えた私に、弟が「え?」と聞き返してきた。
「鞍馬が頭おかしいの知ってる。そのうえで一緒にいるから気にしないで」
弟は私を心配してくれているようだが、そんな心配してもらわなくても、鞍馬の頭がおかしいのは最初のセックスの時点で理解している。
それでも関係を続けているのは他の誰でもない私であり、私の判断だ。
今度は弟が黙ってしまった。
隣の鞍馬がふっと笑った。
「俺と遊ぶ女の子が、こういう子じゃないわけないでしょ」
どこか自慢げに言って、私の腕を引っ張って踵を返す。
私は弟に軽く会釈して鞍馬に付いていった。
弟がそれ以上何か言ってくることはなかった。
角を曲がったところで、鞍馬が弾けたように笑い出す。
ギョッとしてちょっと離れてしまった。
「ふ、ははははは。あは、サイコー」
「怖……。何笑ってんの?」
「見た?あの間抜けな顔」
私が弟に対して返事をした時の、あの弟の表情のことを言っているのだろう。
別に私は間抜けだとは思わなかったけど……。むしろ一貫して俳優顔でかっこいいなーくらい。
「鞍馬の弟ってうちの大学なんだね」
「俺も今初めて知ったー。一年生だねぇ。うちの講義棟では見かけてないから他学科だと思うけど」
本当に弟のことを何も知らない様子だ。さぞ複雑なご家庭なことだろう。
触れていいかも分からないのでツッコミは入れず、「ふーん」程度の反応でやり過ごした。
「さっきはああ言ったけど」
もうすぐ分かれ道というところで不意に鞍馬が口を開いた。
「瑚都くらいだと思うよ。あいつと初対面であんな風に言い返してくれるの」
見上げた先の鞍馬がこれまで見たことないくらい柔らかい表情をしていたのでいつもの調子で何か返すことができなかった。
「じゃあ、また後で。」
「……うん。また」
手を振って講義棟の方へ入っていく鞍馬を見送り、私も方向転換をした。
さっきの鞍馬の表情が頭から離れない。
子供みたいだったな、と思うと同時に――あの夏の日の川の水音がした気がして、頭を横に振ってその記憶を振り払った。
:
昼休みになると、学生たちがわらわらと研究棟へやってきていた。
その流れに逆らうように一度外へ出て購買で梅しそおにぎりを三つ買って、エレベーターに乗ってまた上へ上がる。
七階で降り、休憩室に入ると既に鞍馬がやってきていた。
私を見てニコッと笑って手を振ってくるので、流れで鞍馬の隣に座る。
「お疲れ」
「おつかれ~。何買ったの?」
「梅しそ」
袋の中のおにぎりを見せると、ぶっと吹き出された。
「何で三個も同じの買ってんの、どんだけ好きなの」
「あんたも食べてみたら梅しその沼にハマるよ」
「ふ~ん、じゃあ俺の唐揚げあげるから一個ちょうだい」
鞍馬が自分の食べている唐揚げ弁当を差し出してくる。
「二個」
「え?」
「二個じゃないと割に合わない。唐揚げ二個と交換ね」
「え~?まあいいけど」
少し不満げだが納得したらしい鞍馬は私から梅しそおにぎりを一つ受け取った。
私は箸で鞍馬の唐揚げを食べながら、片手でスマホをいじる。
Instagramにまたフォローリクエストが届いている。
昨日もリクエストしてきた人物だ。一度は見たことのある顔だが遠くからだったし、久しぶりに見るとこんな顔だっけと思った。
公開アカウントで投稿が見れるのだが、真っ先に目に入るのが京之介くんとのツーショット写真で困る。
はぁ、と溜め息を吐いてリクエストを消去するのを、鞍馬は見逃さなかった。
「誰、そいつ」
「やー……話したことないけど、多分彼氏の元カノ」
監視のためか私にマウントを取るためか、わざわざ過去のツーショット投稿を消していない状態のアカウントでフォローリクエストを何度も送ってくる。
無視していたらそのうちなくなる……と思うけど、あまりいい気はしなかった。
「何、インスタでなんか言ってくるの?」
「そういうわけじゃないけど、私のアカウントにリクエスト送ってくる。未練があるのかただの嫌がらせか分かんないけど」
「そいつ俺が手ぇ出してどうにかしよっか?」
「余計ややこしくなるからやめて」
楽しそうに聞いてくる鞍馬を押しのける。
しかし時間差でいやそれどんな提案?と可笑しくなって笑えてきてしまった。
「あ、笑った」
してやったりという顔でニヤニヤする鞍馬は、何だか以前より子供っぽく見えた。
:
夕方になってから、いつも通り帰り道にあるスーパーで晩御飯の材料を買ってから自分のマンションへ帰った。
さすが一月と言うべきか、帰る時間帯にはもう寒いし暗くなっていて憂鬱だ。
部屋に入って暖房を入れて、ご飯を作って京之介くんを待つことだけが最近の楽しみだ。
最近は鞍馬とゆっくり二人で会う機会がない。
一緒に暮らしている彼氏が居るんだから当たり前だけど、鞍馬は私となかなか予定が合わないことを面倒臭そうにしていた。
次に鞍馬とお泊まりできるのは早くても春休みの帰省の時かな、と思っていた矢先、
「旅行?」
帰ってきた京之介くんが二月の中旬に大学の元同期の人たちと三泊四日の旅行へ行くと言い出した。
「何日から何日?」
「十四日から十七日」
え、バレンタイン居ないの?と思ったけど、友達同士の付き合いだし仕方ない。
当日にチョコを渡せないのが少し残念だけれど。
「そっか、楽しんできてね」
トマト缶で煮込んだミートボールを入れたお皿を置きながら言った。
するとご飯をついでくれている京之介くんが少し間を置いて、言いづらそうに言ってきた。
「……なぁ、その旅行に元カノおるって言うたら怒る?」
「え?」
こたつ机に二人分の晩御飯が並ぶ。お箸を取ろうとした手が止まった。
「元カノとはサークル一緒やったから同期の集まりで誘わんわけにもいかんくて、結局来ることになってんけど」
「……そうなんだ」
インスタの投稿に載っていたツーショット写真の元カノの顔が脳裏を過ぎる。
「全然いいよ、いってらっしゃい」
それを無理矢理かき消して、京之介くんの分のお箸も取って渡した。
元カノは元カノだ。もう恋愛関係が終わった存在。過剰反応するのもおかしいだろう。
――加えて、浮気している分際でどうこう言えるような立場でもないし。
「ごめんな。全体やと結構人数多いし、二人で話すようなことにはならんと思うから」
「いいよ、そんな言い訳みたいなこと言わなくて。分かってるし怒ってないから。私過去のことには嫉妬しないよ?」
あはは、京之介くんは心配性だなあ、と笑ってみせた。
その後ご飯を食べ終えて、洗濯物を干してシャワーを浴びて、京之介くんの仕事が終わるまでスマホを弄りながら待って、十二時半にはいつも通り同じベッドに入って目を瞑る。
しかし何だか寝付けなくて、寝息をたてる京之介くんの横で寝返りを打ち、充電中の自分のスマホをタップした。
ベッドに入ってから一時間以上が経過していた。
Instagramを開いて、京之介くんのフォロー欄から昼間にリクエストを消去した相手を探す。
特徴的な特殊文字のローマ字の羅列はすぐに見つかった。開いてその投稿を見返す。
自分でも何をしているんだろうと思う。こんなの見たって何にもならないのに。
深夜は人をおかしくさせる。
社会人になってからの夜景デートの写真。
関東旅行で箱根の旅館へ行った写真。
アートアクアリウムへ行った写真。
大学時代のUSJへ行った写真。
清水寺の紅葉ライトアップへ行った写真。
ご丁寧に“11 month♡”などと付き合ってからの期間を逐一報告している様子が残っているハイライト。
京之介くんの元カノのアカウントには、京之介くんとの思い出が沢山詰まっていた。
気付けば時刻は一時五十分。
寝れる気がしなくなった私は起き上がり、上着を羽織ってベランダへ出た。
上着のポケットから出てきたのは鞍馬にもらったPeaceとライター。
一本取り出して火を付け、鞍馬が言っていたように二段階に分けて吸い込んで、吐く。
私の口から出された煙が夜の冷たい空気へと消えていく。
ふと、鞍馬は今起きているのだろうかと思った。
私とラブホへ行った時も私の方が早く眠っていて、向こうが先に起きて挿入で起こされたのを思い出す。彼は短眠な印象だ。
何となく鞍馬とのトーク画面を開き、【今起きてたりする?】と送信した。
いくら学生と言っても明日平日だし、こんな時間に起きているわけがない。
そう思いながらもぼんやり鞍馬とのトーク画面を眺めていると、しばらくして既読が付いたのでちょっと驚いた。
【起きてるよ】
そんなメッセージが送られてきて、ヤバ、速攻で既読付けてしまったと思って焦っていると、画面が鞍馬からの着信画面に変わる。
おそるおそる緑色の応答ボタンをタップした。
「……あんた一体いつ寝てるの?」
『よく言われる』
くくっと電話の向こうの鞍馬が笑った。
ていうか私は何をしているんだろう。
何でこんな時間にLINE送ってくるんだって話だし、何か用件を作らなければと頭をフル回転させていると、
『さみしかったの?』
まだ何も言っていないのに鞍馬がそう聞いてきた。
その声が柔らかくて甘くて酷く安心するもので、じわりと何故だか涙が出てきそうになった。
「……ノーコメント」
『ふうん。今どこにいるの』
「自分の家」
『彼氏は?』
「ベッドで寝てるよ。私今ベランダなんだよね」
『えー絶対寒いっしょ。そんなに俺と話したかった?』
「うざい、調子乗らないで」
冷たく接すると鞍馬がまた笑った。
鞍馬の方は外っぽい環境音がしていて、鞍馬が歩く靴音もする。
「……そっちは今どこにいるの?」
『駐車場。俺別の店でバーテン再開したからさ、今仕事終わったとこなんだよね』
そういえばチャラ男がそんなことを言っていたような気がするな、と今更思い出す。
『今なら迎えにいけるけど、どうする?』
「……え」
『どうしたい?』
ピッと向こうで車のロックを解除する音がした。
『俺は会いたいけど』
ちらりと部屋の中の京之介くんの様子を窺ってしまった。京之介くんは壁の方を向いたまま眠っている。
「明日学校で会えるし、こんな時間だからもう寝るでしょ、お互い」
『そんな冷たいこと言うんだ』
「朝起きて私がいなかったらあの人びっくりするだろうし、無理だよ」
『俺が会いたいって言ってるのに?』
すっかり冷えた身体がそろそろ部屋の中に戻りたいと言っている。
それでも囚われたみたいに、この場から動くことができなかった。
返事ができずに黙ってしまった私に鞍馬が言った。
『決めるの遅いから時間切れ。今から行くね』
【帰すつもりないから、明日の準備しといてね】――通話が終わった後、そんなメッセージが届いていた。
できるだけ音を立てないように部屋着から外着に着替えて学校へ行く時のリュックを抱えて、忍び足で外へ出る。
今日も雪が降るんじゃないかってくらい寒かった。コートのボタンをしめてゆっくりと階段を降りる。
近くの自動販売機でミネラルウォーターを二本買って鞍馬を待った。
そう時間が経たないうちにすっかり見慣れた車が私のマンションの前に停車する。
リュックを後部座席に突っ込み助手席に乗り込むと、煙草の匂いがした。
「おはよう瑚都」
「全然朝じゃないけどね」
「じゃあ行こっか」
「ホテル?」
「んーん。ドライブ」
鞍馬が私にキスをする。目を瞑ってそれを受け入れた。
唇が離れてから「今からドライブ?」と笑うと、
「何言ってんの、オールだよ今日。やる気あるの?」
と挑戦的で悪戯っ子みたいな笑顔で聞き返してきた。
「元気だなあ」
まったく呆れてしまう。
元気で不健康で最高だね、その提案。
車が発進する。見慣れたマンションが遠ざかっていく中、車内のスピーカーからは相変わらずお洒落な音楽が流れていた。
昼間よりうんと車通りの少ない道を通り抜けながら、鞍馬の片手は珍しく煙草を持っておらず、私の手を握っている。
不思議だった。
鞍馬に連れ去られているみたいで心が軽くなる。別世界へ連れて行かれているような心地だ。
私は元からどこか遠い場所へ行きたいタイプだったのかもしれないな。
だからわざわざ実家から離れた大学院に進学するし、会員制のフェチっぽいバーに単独で行くし、イカれた男とセックスをする。
「ねえ鞍馬、」
十四日会える?と言おうとして、さすがにバレンタインは彼女と予定があるかもしれないと思ってやめた。
「十五日って暇?」
代わりに、その次の日を提案する。
「いけるよ」
「泊まれる?」
「もち。そっちはゆっくりできそうなの?」
「うん。彼氏が旅行行くって」
「旅行?このご時世に?」
ふっと鞍馬が嘲るように笑った。
確かにコロナの感染者は日に日に増加している。
でも京之介くんたちの旅行はオミクロン株が増え始める前から計画されていたことで、後輩の四年生の卒業旅行も兼ねているうえバスなども既に予約してしまっているためキャンセルしにくいというのもあるだろう。
「じゃあ俺らもどっか旅行行く?」
は?と聞き返してしまいそうになったが、まあ確かに私たちの場合は二人だし、折角ゆっくりできそうなのにいつものラブホというのは味気ないかもしれない。
二月中旬なら鞍馬も春休みに入っているだろうし。
「俺南の方行きたいなー。福岡とか沖縄とか」
「そのレベルで遠く行くの?」
「だめ?」
今は旅行需要の拡大を狙った県民割のクーポンとかもあるし、行っても関西圏のイメージだったんだけど。
「……まあ、いいけど。じゃあ早めに色々予約した方がいいね」
「やった。ちなみにバレンタインは彼氏?」
「いや、彼氏は十四日の朝から出るらしいから……」
「なら何で俺十四日じゃないの?他の男?」
「こういう相手は鞍馬しかいないって。人のことビッチみたいに言わないで」
「じゃあ十四日も俺と泊まればいいじゃん。彼氏何泊?」
「……三泊」
「じゃあその期間、瑚都は俺のね」
この男は、いつもこうやって数々の女に勘違いさせてるんだろうなあ。
まあ私も、多少は鞍馬にとっての友達になれてるのかもって自惚れてしまっているけど。
赤信号になった時、私を引き寄せてまたキスをした鞍馬が、離れていく間際少しだけ視線を下降させた。
「……最近対抗してきてるなあ」
私の首筋を見てぼそりと呟かれた言葉がはっきり聞こえず、「え?」と聞き返すが、「なんでもなーい」なんて前を向かれてしまった。
:
その夜は本当にホテルにも行かず、わけの分からない場所まで車で走って、朝になる頃には市内に戻った。
まだ学生たちの姿が全く見えないような時間帯から大学の駐車場まで行き、途中のコンビニで買ったおにぎりを車内で食べた。まだ食堂も開いていないし。
その間鞍馬が「俺ここ行きたいかも」なんて観光地の画面を見せてくるので、負けじと鞍馬とのトークに自分が行きたい場所のウェブページのURLを送りまくった。
「どんだけ送るの?」
鞍馬が笑う。それが可笑しくて私も吹き出した。
あははっと太腿を叩いて笑った後、私ってこんなに無邪気な笑い方するんだって思った。
そこでふと京之介くんに連絡していないことを思い出し、慌ててトーク画面を開く。
【用事思い出したから今日早めに学校行くね。食パン勝手に食べていいから】
そう送った後画面を閉じると、暗くなった画面に嘘を吐いている自分が映った。
直後京之介くんの笑顔が頭に浮かんでずきりと胸が痛んだ。
「……、」
――――ああ、そうか。これは罪悪感か。
男は性欲で浮気をし、女は寂しいと浮気をすると言う。
私が鞍馬と浮気をする理由にはそのどちらもが内在し、しかしやはり最低なことに、性欲の部分が強いと思った。
所詮私も子宮に支配されたメスなのだ。
鞍馬と一緒になりたいなんて気持ちは微塵もない。
鞍馬がいい男でセックスがうまくて都合がいいから。そして鞍馬も私を抱けるから、お互いウィンウィンでしかない。
しかしその関係が都合いいのは鞍馬と私だけで、それ以外はどうだろうか。
顔も見たことがない鞍馬の彼女なんて正直どうでもいいというか知らないが故に何の感情も芽生えてこない。
でも、京之介くんの場合は別だった。
――――「浮気は心の殺人だよ」
本当はもう分かっている。
京之介くんが抱いているのが正しい恋愛感情じゃなかったとしても、私を姉の代わりにしていたとしても、私が好きだってこと。最初はそうじゃなかったとしても、今は確実にそうだってこと。
あの目と仕草と触れ方と態度を見ていれば分からないはずがない。京之介くんの全部が私のことが大好きだって言っている。
それをわざと見ないふりして、凪津と呼ばれたあの夜の記憶を何度も蘇らせて自分を無理矢理傷付けて京之介くんが悪いんだと京之介くんのせいにして、仕返しの体で自分の性欲を満たすために何度も鞍馬と会っているのは最低な人間は他でもないこの私だ。
もし何も悪くない、大好きな京之介くんが私の浅はかな言動によって泣いたとして。
私はきっと後悔するのだ。