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絶対、殺してやる
「出かけてくるネ」
朝からテンション高めに、ユアがリビングのドアを開けながらそう言った。声も明るいし、目もキラキラしてて、いつも以上に機嫌が良さそうだ。
「え、どこに?」
と、つい聞き返すと、ユアはくるっとこっちを振り向いて、ちょっと得意げに胸を張る。
「前に木に引っかかってた風船を取ってあげたら仲良くなったネ。お兄ちゃんの陽太九歳と、妹のひな六歳ネ」
「へー。お子ちゃまにはそいつらと遊んでるのがお似合いかもね」
オレは机に突っ伏したまま、適当にそう言った。わざわざついていく理由もないし、朝から動く気力もない。
……なのに。
「ソラ、貴様も一緒に行け」
いきなり入ってきたシンの声が、部屋の空気を変えた。命令口調で、やけに圧が強い。
「あ?なんで」
顔も上げずに聞き返すと、シンはこっちを睨むようにして言った。
「いつ、狙われるか分からないだろ。ごちゃごちゃ言ってないで行け」
はいはい、分かりましたよって感じだ。
——めんどくせぇ〜。
ため息を吐いて、俺は渋々立ち上がる。
振り返ったユアは、オレが一緒に来るのがよっぽど嬉しいのか、ぱあっと笑ってた。
……ま、ちょっとだけなら、付き合ってやってもいいか。
「そっち、パス!」
陽太が声をあげ、軽快に蹴ったボールが、芝生を滑るようにユアの足元に転がる。
「んしょ……えいっ!」
ユアが真剣な顔でボールを蹴り返すと、それはふらふらとした軌道を描いて俺の方へ。どこを狙ってるのか分からない。というか、多分何も考えてねぇ。
「おいおい、ボールってのはこう蹴るんだよ、こう!」
オレは腰を落とし、スラムで鍛えた脚さばきでボールを受けると、そのまま陽太へとスルーパス。
「すっげー!ソラ兄ちゃん、プロみたい!」
「へへ、だろ?」
調子に乗ってニヤついてると、ひなが突如、横から突っ込んできた。
「ひなのシュートーっ!」
「うわ、マジかよ!?」
予想外のタイミングで足に当たったボールは、コロコロと転がって、空のペットボトルにカコンと命中。
「ゴールっ!!」
「やったー!」
両手をあげてはしゃぐひなと、その背中を叩いて笑う陽太。ユアはその様子を、少し後ろで嬉しそうに見つめてた。
風が吹いて、ひなのリボンがふわりと揺れる。
「……なあ、ユア。お前、結構うまくなってんじゃん?」
オレが声をかけると、ユアは少しきょとんとした顔で、
「でしょ」
と誇らしげにVサインをした。
なんだよ、それ。
でも――そうやって笑ってるの、悪くない。
少しだけ、平和ってやつに触れた気がした。
1
翌朝。昨日と同じように、ユアはそわそわしながら玄関で靴を履いていた。髪を結ぶリボンも、いつもよりピシッと整ってる気がする。
「今日も行くのかよ」
オレは呆れ気味に声をかけた。昨日、子どもたちと遊びすぎて足がだるい。普通、十代後半の男が小学生と一日中走り回るか?
「うん。っていうか、昨日私のこと散々お子ちゃまって言っておいて、自分だって楽しそうにしてたネ。お前だってお子ちゃまネ」
ユアは振り向きもせず、靴ひもを結びながら文句を言ってくる。その背中から漂うのは、完全に「勝ち誇ってます」って雰囲気だ。
「はぁ? オレはお前より四歳も年上だぞ。敬え」
声を張って反論してやると、ユアはチラッとだけこっちを見て、すぐに視線をそらした。
……無視かよ。
「今日は、昨日よりもっとドリブル上手くなる予定ネ。ひなにもちゃんとゴール決めさせてあげるし、陽太には昨日の『空き缶チャレンジ』のリベンジもあるネ。それから、おやつも持っていくと喜ばれるネ」
オレの言葉なんて完全に聞こえてないかのように、ユアは楽しそうに喋り続けてる。
昨日よりも少し高い声で、昨日よりも少し笑って。
……なんだよ、ほんと。お前、マジでただのガキじゃねえか。
歩く足を止めると、ユアはふと少し低い声で言った。
「陽太とひなの親は共働きで、昼間は大人が誰もいないネ。だから本当は寂しいと思うネ」
へぇ……そんなことまで考えてたのかよ。
……でも、二人いるなら、まだマシじゃね? 一人ぼっちよりはよっぽど。
「……なあ、お前、親はどうしてるんだ」
ふと気になって聞いてみた。
ユアって、やたら“親”ってワードに敏感だなって思ったから。
でもユアは、急に黙り込んだ。
無邪気に笑ってた表情は、音もなく消えていた。
やがて、小さく――それでも確かに聞こえる声で言った。
「……私のパパとママは……殺されたネ」
その言葉を聞いた瞬間、オレは固まった。
「パパとママは、研究所で働いてて、私もそこにいたネ。ある日、理由はわからないし、殺した奴の顔も覚えていないけど……
パパとママは、私の目の前で殺されたネ」
淡々と語られる言葉が、妙に冷たく感じた。
「……そこに、ボスたちがやってきて、私はオルカリブレに入ったネ。
ボスは……私を助けるために、わざと見つかって、指名手配犯になったネ」
ユアの声は震えていない。ただ、真っ直ぐに前を見つめていた。
「私は……パパとママを殺した奴を見つけて、絶対殺す。
そのためにオルカリブレに入ったネ」
そこにいたのは、やることなすことめちゃくちゃだけど、純粋に遊ぶことが好きで無邪気な女の子じゃなかった。
復讐だけを胸に抱いた、静かな怒りの塊だった。
獲物を仕留める瞬間だけを待ってる、狩人の目だった。
オレは、言葉を失った。
今まで感じたことのない、正体の分からない“怖さ”が背中を這った。
こいつ……こんな目をするんだ。
――初めて、心から、ユアを恐ろしいと思った。
2
公園についた瞬間、違和感が全身を包んだ。
……なんだ、この空気。
昨日まであんなに賑やかだったはずの場所が、まるで誰かが息をひそめてるみたいに静まり返っていた。笑い声も、ボールを蹴る音も、風の音さえない。ただ、不気味な沈黙だけが、そこにあった。
一歩、足を踏み入れた瞬間――鼻を刺す、生臭い匂いがした。
「……っ」
思わず息を止めた。視線の先に、血の海が広がっていた。芝生の上、べったりと広がった赤。中心には、大人の女性が倒れていた。ぐったりとしたその体は、小さな何かを庇うように丸まっていて……その腕の中に――
小さな手が、のぞいていた。
「あ……っ」
思わず声が漏れた。その横に、見覚えのあるものが転がっていた。昨日、陽太が背負っていたリュック。それと、ひなの髪留め。見間違えるはずがない。
「う、そ……だろ……」
膝から崩れ落ちた。足が力を失って動かない。内臓がひっくり返るような吐き気が込み上げてくる。
「……うっ、ぐ……」
まともに呼吸もできない。脳が理解を拒んでるのに、目が現実を突きつけてくる。
隣にいたユアは、一言も発さず、ただ立ち尽くしていた。まるで時間が止まったみたいに動かない。その表情は、見えない。
すると、突然。
「——あれ?君たちも遊びに来たの?」
軽やかで、無邪気な声が響いた。
その声は……あまりにも場違いで、不気味だった。
ゆっくりと顔を上げると、血の中に立つ“誰か”が、こちらを見ていた。
笑っていた。
気味の悪い仮面と、子ども服のような奇妙な格好。首をかしげながら、まるで友だちを出迎えるかのような口調で、そいつはもう一度言った。
「ねぇ、名前は? 遊ぶ前に、ちゃんとお名前教えてくれないと困っちゃうなぁ」
空気が、一気に凍りついた。
オレは、声も出せなかった。隣のユアも、まだ動かないまま。
でも――
ただ一つ、わかったことがある。
あいつは――こいつは、陽太とひなを殺した張本人だ。
そして、今。
ユアの中の“何か”が、音を立てて壊れようとしていた。
「お前だけは絶対許さない」
ユアの声が低く、震えていた。怒りで。悲しみで。そして、絶対に引けないという強い決意で。
次の瞬間、ユアの体から炎が噴き上がった。
——異能、舞焔《ブエン》。
体を包むように燃え広がるその炎は、まるであいつ自身の感情を写したかのように激しく、熱かった。地面が焼け、空気が揺れる。熱波がこっちまで届いて、思わず一歩引いた。
ユアは、炎と共に駆けた。
まるで踊るような動き。軽やかで、でも一切の迷いがない。真っ直ぐに、仮面の男――あの“化け物”に向かって。
男は……笑っていた。
なんだあいつ……? 防御の構えすら見せない。ユアの炎を目の前にしても、顔の仮面がわずかに傾いたまま、口元が歪んでる。
――ふざけてんのか?
直後、ユアの蹴りが決まった。
火花が散り、男の体がぐらついた。その勢いのまま、拳が振り下ろされる。炎が弾ける。男の体が焼け焦げる音が聞こえた。……ように、思った。
でも。
「っ――あ、ぐ……!」
悲鳴を上げたのは、男じゃなかった。
ユアだった。
「えっ……!?」
オレは思わず声を上げた。何が起きたのか、わからなかった。確かに攻撃は入った。ユアの炎が直撃したはずだ。それなのに――
ユアの肩が、震えていた。息が荒くて、歯を食いしばってる。体が、明らかに痛みに耐えている動きだった。
「ど、ういう……」
「んふふっ……いいねぇ、いいねぇ……!」
男が、楽しそうに笑った。甲高い、聞くだけで寒気がするような声。ゆっくりと首を傾け、まるで誰かに話しかけるみたいにユアを指差す。
「お姫さまは……“痛い”のが好きなんだねぇ? ねぇ、もっとやってよ? もっともっとぉ、ボクを“いじめて”よぉ……!」
空気が、歪んだ。
背筋がゾワッとした。……こいつ、やばい。何かおかしい。ユアが攻撃してるはずなのに、逆に痛めつけられてる……まるで、痛みが跳ね返ってるみたいに。
――まさか、攻撃されるたびに、相手に痛みを返してる……?
「ちょ……ユア、やめろ! 今のままじゃ……!」
オレが叫ぶより先に、ユアは再び踏み込もうとしていた。拳を握り、燃える瞳で前を睨んで――
でも、その体は、確実に“自分の攻撃”で傷ついていた。血が滲んでる。息が上がってる。
それでも止まらない。
ユアの目にはもう、「戦い」なんて冷静な言葉じゃ足りない、“復讐”だけが残っていた。
――このままじゃ、ユアが……自分で自分を、壊す。
ユアの炎が、再び噴き上がった。
けど――それでも、奴は笑っていた。
「ははっ、いいねぇ、その顔! そうそう、もっと見せてよォ……!」
狂気に満ちた声が、血まみれの芝生に響いた。九頭はナイフを舐めるように持ち上げると、にやりと笑った。
「俺の名前は九頭狂児。エクスタシア――それが俺の異能だよ」
その目が、まるで舞台役者のように見開かれる。
「俺はね、自分が攻撃されるたびに、“痛み”を相手に返すんだ。痛くしてくれてありがとォ、その分、いっぱい“ご褒美”をあげるね!」
ユアが拳を振り上げる。けれど、次の瞬間、ユアの体がビクリと震えた。
「っ……くっ……!」
肩から、血が噴き出した。何もされていないはずなのに、さっきの一撃の反動か……異能のせいで、ユアの体には九頭自身が受けたダメージと同じ“痛み”が返っている。
さらに追い打ちをかけるように、九頭のナイフが閃く。
「さぁ、“おままごと”の時間だよ――お姫さま!」
ナイフがユアの左腕を浅く切り裂いた。赤い筋が、炎に照らされてギラリと光る。
「……っ、ああっ……!」
今度は顔だ。頬にもう一筋、血の線が走った。ユアの身体がよろけて、そのまま――膝をついた。
「ユア……!」
思わず名前を呼んだ。走り出したかった。でも、足が動かない。空気が、灼けるように熱いのに、オレの身体は凍っていた。
九頭はその様子を、心底楽しそうに見下ろしていた。
「どうしたの? 終わり? ねえ、ねえ……それじゃあ、全然楽しくないよォ?」
ナイフを片手に、ゆっくりと近づくその姿は、まるで死神だった。
でも――
ユアは、顔を上げた。
その目は、もう完全に“怒り”しかなかった。
「……絶対、お前を殺してやる……」
あいつの肩が震えた。炎が、さっきとは比べものにならない勢いで噴き上がる。空気が悲鳴を上げて、地面が焦げる音がした。
「痛いのも、苦しいのも、全部……関係ないネ」
そして――ユアが立ち上がった。
その姿は、まるで火の精霊みたいだった。血まみれで、ボロボロで、それでも――怖いほど美しくて、恐ろしくて。
「お前だけは……絶対、許さないネッ!!」
炎が弾ける。
一瞬のうちに、九頭の視界を焼き尽くすような火柱が奴を襲った。
「なっ、なに――ぎゃあああああッ!!!」
九頭の叫びが響く。吹き飛んだ体が地面を転がり、黒煙の中に沈んでいく。もう動かない。
それでも、ユアは止まらなかった。
「……やめろ、ユア……もう、そいつは……!」
叫んでも、届かない。
ユアは、気を失っている九頭の顔を無言で殴り続けていた。拳に、血が跳ねる。音が、濁った音に変わっていく。
何度も、何度も。
オレは……一歩も、動けなかった。
その背中が、あまりにも――悲しくて、怖かったから。
3
白い壁。冷たい床。変な匂い。……いつも、鼻がツンとする薬品みたいな匂いがしてた。
ここはどこ?って何度も聞いたけど、誰も教えてくれなかった。
「パパとママは、何してるの?」
そう聞いても、ふたりはいつも笑って「大事なお仕事だよ」って言ってた。意味はよく分からなかったけど、その笑顔があれば、別にいいって思った。
……パパとママは、優しかったから。
誕生日には、大きなケーキを買ってくれた。いちごがいっぱいのってて、生クリームがふわふわで、パパがちょっと味見しようとして怒られてたネ。ママは笑ってた。
夜、ひとりで寝られないって泣いたら、ふたりで一緒に寝てくれた。パパの腕はあったかくて、ママの匂いは安心する匂いだった。あの時間が、ずっと続くと思ってた。
――でも、あの夜だけは、違った。
「ママ、寝れないヨ……一緒に寝て……」
小さく声をかけて部屋に入った時、なんか……変な音がしてた。びちゃ、って音。水じゃない。血の匂いがした。
部屋の床に、赤いものが広がってて。
その中に――パパとママが倒れてた。
動かなくて、目を開けたまま、こっちを見てた。
「……え?」
声が出なかった。足が動かなくなった。わけがわからなかった。
パパの腕が、おかしな角度に曲がってた。ママの服が、破れてた。床には、何かが転がってた。何か……ぬいぐるみだったかもしれない。
その向こうに、人影があった。誰かが、立っていた。そいつがパパとママを――そうだ、きっとそいつが――
「パパっ……!ママぁっ!」
駆け寄ろうとした時、誰かが、後ろから腕を掴んだ。
「だめだ、こっちだ」
顔は、覚えてない。声も……ちゃんとは、覚えてない。でも、その手はあったかったネ。
その後のことは覚えてないネ。
弓弦によると私は何もない部屋で立ち尽くしてたって……
その後、ボスは私と弓弦を逃すために……
……あの日、パパとママは死んだ。
あの夜のことだけは、絶対に忘れない。
忘れられるわけがない。忘れたら、私は“私”じゃなくなるから。
――だから私は、あいつを殺す。
パパとママを殺した“誰か”を。
そして今日、また……大切なものを奪われた。
——何か聞こえる
……誰かが呼んでいる?ユアって……誰のこと?……ッ……うるさい……でもなんか、落ち着くネ
4
ユアがあいつを一方的に殴って何分立つだろう。オレは情けなかった。こんな状況ても見てることしかできない。
このままじゃ……ユアは、九頭を殺してしまう。
焼け焦げた空気の中で、オレの鼓動がうるさく響いていた。
拳を振り下ろすたびに、九頭の身体は血を飛ばし、火花を上げて揺れる。もうとっくに気絶してる。反撃もできない。ただただ、一方的に殴られてる。
「……やめろよ……っ」
声が震える。叫んでも届かない。
ユアの顔は、感情のない仮面みたいだった。怒りと憎しみに染まりすぎて、何も感じてない。
それが、怖かった。
……こんなユア、見たくない。
オレが知ってるユアは、サッカーが下手くそで、変な語尾で喋って、陽太やひなのことを「大事な友だちネ」って言ってた……そんな、ただの女の子だ。
人殺しなんて……似合わねぇよ。
「やめろよ……! ユア……っ!」
焼ける手のひらの痛みなんて関係なかった。必死に叫びながら、オレは全力でユアを引き寄せた。
「お前まで……人殺しになるなよ……っ!」
お前は、無邪気に笑ってる方が、何百倍もいい。
普通の、女の子のままでいてくれよ……。
——何を、呑気に願ってるんだ。
ユアに普通の女の子でいてほしい?
誰も殺してほしくない?
笑わせるな
オレは、オルカリブレに入ったんだろ?
戦う理由ができて、それが夢になった。
あの日助けた女の子に守れて感謝されて自信がついた。
それなのに目の前で、壊れそうなユアを……
見てるなんて……オレが止める。
絶対、ユアを人殺しにさせない。
オレの足は……動かない。
心臓がバクバクと音を立てて、胸がきつい。さっきから、震えが止まらない。だけど……。
——行かなきゃって、思った。
脚が言うことを聞かなくても、這いつくばってでも……オレは、ユアのそばに行く。
「ユア! やめろ……まじで、そいつ死ぬって……!」
叫んだけど、ユアには届かない。
暴走した炎の中、こいつの顔はまるで誰かを殺す機械のようだった。瞳の奥にあるのは、怒りと悲しみ、そして……ぽっかりとした虚無。
オレはユアの腕を、力いっぱい掴んだ。
「っ……あ……ッツ!!」
思わず叫んだ。手のひらが焼けるように熱い。ユアの体温はもう、人間のものじゃない。けど、それでも……
——そんなこと、今はどうでもいい。
「もう、やめろよ……ユア……っ」
それでも、必死にオレは叫び続けた。
このままじゃ、ユアが壊れる。……こいつ自身が。
「兄ちゃん、姉ちゃん?」
……え?
聞き覚えのある声が、炎の轟音の中からぽつんと届いた。
オレは反射的に振り返った。
そこに立ってたのは――陽太と、ひなだった。
「お前ら……生きて……たのか……?」
言葉が、うまく出てこない。目の前の光景が信じられなかった。確かにあの時、血の中にいたのは……けど――
ひなは、少しだけ頬に傷をつけて、でも無事だった。陽太は泥だらけの手で、妹の肩を抱いて立っていた。ふたりとも、震えてた。泣きそうな顔で……でも、ちゃんと生きて、そこにいた。
「知らないおばさんが、かばってくれたんだ……僕たちを……」
陽太が、俯いて言った。唇がかすかに震えてる。
「それで、隠れてた。……怖くて、出てこれなかった……でも、姉ちゃんの声がしたから……」
オレは何も言えなかった。言葉が、喉に詰まって出てこなかった。ただ、目の前がにじんだ。
……よかった。生きてたんだ。こいつらは、ちゃんと……生きてる。
「……ユア……」
気づけば、ユアの身体を抱きしめるようにしていた。
その背中に、今伝えなきゃいけないことがあった。
「ユア、陽太も……ひなも、生きてる。……守れたんだよ、お前の大事な人たちを。……もう、終わったんだ……」
オレは、震える声でそう言った。
それでも、ユアはすぐには反応しなかった。肩はまだ上下してて、拳には血がついたまま。それでもさっきよりも、ほんの少しだけ、力が抜けてる気がした。
「……うそ……」
かすれた声で、ユアが呟いた。
「そんなの……うそネ……」
ふら、と炎の熱が揺れる。ユアの手が、ようやくゆっくりと降りた。彼女の視線が、ゆっくりと後ろのふたりへ向く。
「……ひな……陽太……?」
陽太とひなが、怯えたままでも小さくうなずいた。
「……生きてる……ネ……?」
「守れたんだよ、お前が……」
「……よかったネ。生きてて……」
その瞬間、ユアは気を失った。
オレは焦ったが、寝息が聞こえた。
どうやら眠ったらしい。
それぞれの想い
1
ユアの燃え尽きたような寝息を背中に感じながら、オレは陽太とひなを家まで送り届けた。
玄関前で見送ったあの小さな手を、もう二度と血に染めさせたくない。そう強く思った。
それから、眠るユアを背負ってオルカリブレに戻ってきた。
歩くたびに、ユアの体温がじんわりと背中に染みてくる。どこか心地よくて、でも少しだけ、重かった。
「ユアは?」
部屋に入るなりそう聞くと、ソファに腰掛けていた紫月が顔を上げた。
「まだ眠ってるわ。しばらくは起きないでしょうね」
穏やかだけど、どこか硬い声だった。
他のメンバーも部屋にいた。なのに、妙に静かだった。
シンも、弓弦も、りくも、紫月も……誰も口を開こうとしない。
空気が、重い。
オレは黙っていられなくなった。胸の奥でずっと、燃え残ってた想いをぶつけた。
「あいつ……ユアは、親を殺したやつを絶対許さないって言ってた。絶対、殺すって……」
その言葉を口にするだけで、あのときの炎と血の匂いが蘇る。
「でも……オレは、あいつを人殺しにはさせたくないんだ」
もうあんな……苦しそうなあいつを
数秒の沈黙のあと、りくがぽつりと口を開いた。
「……それは、ソラ……お前の勝手な理想だ」
その言葉は、静かな部屋に小さく響いたのに、胸にドスンと落ちた。
「そいつを押し付けるなんて……傲慢じゃねーのか?」
「でも……オレたちは仲間で……」
喉の奥が詰まるような思いで、そう言った。
自分でも、説得力がないのは分かってた。
りくの言葉は正論だ。ユアの怒りも、痛みも、オレには全部は分かんない。分かるフリしかできない。
それでも――黙って見てるだけなんて、できなかった。
けど。
「仲間だから何?」
冷たい声が、部屋の空気を裂いた。
紫月だった。
その言葉は、鋭くて、刺さるようで……妙に静かだった。
「私たちにユアをどうにかすることなんてできないわ。
復讐なんて、誰かが望んでるからやるんじゃない。 自分を満足するためにやるものよ」
……心臓を握り潰されたみたいだった。
ユアの怒りを、ただの“自己満足”だって言われたみたいで。
でも、言葉が出なかった。反論できる自信なんてなかった。
「紫月!」
弓弦の声が、静かに響いた。紫月をたしなめるような、けれど鋭い声だった。
「……今のは言い過ぎた。……ごめん」
紫月はすぐに目を伏せた。感情を押し殺したような顔で、ぽつりと謝った。
そして弓弦が、ゆっくりと言葉を重ねた。
「でも……俺たちにどうすることもできないのも、事実でしょう。
ユアが選ぶ道を、俺たちが変えることなんてできません。
それがたとえ……破滅の先だったとしても」
弓弦のその言葉が静かに落ちた瞬間、部屋の空気が一気に冷え込んだ。
みんな黙った。誰も何も言わなかった。
でもオレの中でだけ、何かがグラグラと揺れてた。
胸の奥で、火がついたみたいに。
ずっと我慢してた感情が――一気に、爆発した。
「なんで……」
最初は、絞り出すような声だった。
「なんで……お前ら、そんなに冷てーんだよ!!」
一気に声を張り上げた。
震えた。怒りと悔しさと悲しさがごちゃ混ぜになって、言葉が止まらなかった。
「今は、正しいとか、できないとか、そういうの聞きたくねぇんだよッ!!」
拳が勝手に動いて、壁に叩きつけた。鈍い音が響いたけど、痛みなんか感じなかった。
「あいつは……ユアは、まだ十四のガキだぞ!?
誰かを殺すだの、復讐だの、そんなもん背負っていい年じゃねぇだろ……!
守られて当然の、ガキなんだよ……!」
言ってて、自分でも情けなくなった。でも止まれなかった。
そして――沈黙を貫いたままの、ある人物に向かって、視線を向けた。
「……シン、お前だよ。
さっきからずっと黙ってるけど……お前、ボスなんだろ?
“オルカリブレ”の、ボスなんだろ……?」
その目を睨みつけながら、吐き捨てるように言った。
「一般市民は守るくせに、仲間は守んねぇのかよ!!」
声が枯れるほど叫んで、オレはまた壁に拳を打ちつけた。
息が荒くなって、頭がぐちゃぐちゃで、それでも止まらなかった。
……オレは、守りたかっただけなのに。
あいつが壊れるのを、止めたかっただけなのに。
それでも――シンは、黙ったままだった。
オレの言葉にも、怒鳴り声にも、壁を殴った音にも、微動だにしない。
その沈黙が、何よりもオレの神経を逆なでした。
「……もういい」
怒りとも悲しみともつかない感情が胸を締めつけた。
「お前には……ガッカリだよ」
吐き捨てるように言って、オレは部屋を出た。
ドアを閉めようとした、その瞬間。
ぽつん――と、低く呟くような声が耳に届いた。
「……ユアをオルカリブレに入れたのは、間違いだったのかもしれない」
思わず、手が止まった。
あれほど無口だったシンの声が、どこか……壊れそうで。
だけど――
「いえ」
静かに、けれどはっきりとした声が、そのあとに続いた。弓弦だった。
「あなたがユアを助けなければ、彼女は……どうなっていたか分かりません」
その声には、怒りも慰めもなかった。ただ、事実を語るように、まっすぐな響きがあった
。
オレは何も言えず、そのままドアを閉めた。
背後に残るのは、重たい沈黙と、まだ消えない炎の匂いだけだった。
その場から少し離れた路地の影。
一人の男が、スマホに映る映像を見つめながら小さく呟いた。
「身長一七〇前後、水色の髪、シャツの上にパーカーの男……へぇ。アレが、オルカリブレの新人ってわけか」
口元が、ゆっくりと笑みを刻む。
風が吹き抜ける。