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◆◆◆◆
いつまで待っても戻ってこない新谷のスマートフォンに電話を掛けたが繋がらず、続いて天賀谷展示場にかけたが、展示場の戸締りと共に自動的に留守番電話に切り替わるはずの電話も、コールが鳴り続いていた。
クローズはしていない。
篠崎が壁時計を見上げていると、渡辺がバッグをデスクに置き、書類を詰め込み始めた。
「篠崎さん、すみません。ちょっと、彼女の具合が悪いみたいなんで、先に上がらせていただきます」
「ああ、いいよ。こっちは閉めとくから」
「すみません」
渡辺は頭を下げると、靴を履いて急いで出ていってしまった。
軽く息をつき、システムを開いて【新谷由樹】のページをクリックする。
(……あいつ、活動記録も書いていない)
・スマートフォンの着信に出ない。
・展示場がクローズしていない。
・活動記録も入力していない。
これらから導かれる可能性はただ一つ。
=まだ接客をしている。
(……まさか)
新谷があの夫婦を帰した時点で18時を回っていた。そこから営業7人全員が回るくらいの客が押し寄せるなんということは考えにくい。
金曜日の夜でイベント中ならまだしも、イベントも何もない日曜日の夜では可能性はゼロに近かった。
「……何してんだ。あいつ」
篠崎はしばし考えた後、パソコンを閉じると、バッグを手に立ち上がった。
天賀谷展示場は、他のメーカーもほとんど帰宅したらしく、各展示場の裏側に設置されている事務所から漏れる光もまばらだった。
広大な展示場にも車はほとんど残っていない。
やはり7人全員が接客中なはずがない。
だが……。
「新谷の車だ」
ハウスメーカーの営業にはとても見えないコンパクトカーが停まっている。
「それと……」
やけに離れた位置に停まっているキャデラックエスカレードを見て、篠崎は一瞬、呼吸を忘れた。
「……ッ」
舌打ちをしながらその脇に車を乱暴に滑り込ませると、篠崎はエンジンを切るのも忘れてドアを開け放った。
◆◆◆◆
「おっと、これはこれは」
なぜか洗面所から後ろ向きで出てきた紫雨は、こちらに気が付くと、薄ら笑いを浮かべた。
「ご主人様のお迎えだ」
言いながらポケットに手を入れてにやつき、こちらに向かって歩いてくる。
「こんばんは。篠崎さん。飼い犬が帰ってこないんで、心配で迎えに来ちゃったんですか?」
手のひらを返した挑発的なものの言い方に、何か良からぬこと起こったのがわかる。
(……こいつ、性懲りもなく……)
篠崎は右の拳を握りしめた。
「新谷は?」
言葉少なに問うと紫雨はポケットに手を突っ込んだまま、顎で洗面所をしゃくった。
「あちらにいますよ」
そしてポケットから何かを取り出すと、篠崎に翳した。
「……なんだ、これは」
それは金色のオモチャのような鍵だった。
「あらかじめ言っときますけど、殴るなら、顔じゃなくてボディにしてくださいね」
笑いながら、篠崎の握った拳を開いて、それを強制的に握らせると、妙に芝居じみた動作で道を譲った。
暗い廊下の先に洗面所だけが煌々と輝いている。
(洗面所?それともバスルームか?)
そこにある、おそらくは最悪の現実に、はやる気持ちを抑えつつ、篠崎はゆっくりと進んでいった。
洗面所に入ると、洗面台の前に新谷はいなかった。
「………?」
目線を下げると、洗面台の下に転がるようにして倒れていた新谷がこちらを見上げて、苦笑いをした。
「……篠崎さん、お疲れ様です」
その顔よりも前に、手に目が行く。
「お前、その手どうした」
言うと廊下でこちらの気配を伺っていた紫雨が、ふーっと長い息を吐きながら近寄ってきた。
「だからそれを外すために、さっき渡したものが必要なんですって……」
篠崎は、目の前の新谷と、向かってくる紫雨を見て、眉間に皺を寄せた。
「……どこに」
「?」
言うと今度は紫雨が眉間に皺を寄せた。
「だから……」
紫雨が洗面所を覗き、そして絶句する。
そこには右手から血を滴らせた新谷が座り込んでこちらを見上げていた。
「お前、その手、どうしたんだ」
篠崎は再度、新谷に聞いた。
「いや、展示場のクローズしようとしたときに、ちょっと挟んでしまって。無理矢理引き抜いたら、この間の火傷のところ、ベリッて」
言いながらポケットからハンカチを取り出し、右手に押し付けている。
「ははは、ドジですね。紫雨リーダー、クローズもろくに出来なくてすみません」
新谷が苦笑いをしている。
「……なんだよ、びびらせやがって」
ため息をつきながら横に立つ紫雨を見下ろすと、彼は笑うでもなく呆れるでもなく、新谷をまっすぐに見つめていた。
「………?」
「ばい菌が入ると悪いと思って、ちょっと念入りに消毒してました。すみません。でももう血も止まったので大丈夫です!」
言いながら新谷は立ち上がると、頭を下げた。
「とても止まったようには見えねぇけどな」
呆れながら、同意を求める意味で再度紫雨を見下ろす。
「……ええ、そうですね」
小さな声で呟き、新谷を、そして篠崎を、交互に見ると、鞄を肩に引っ掛けた。
「じゃあ、お先しますね。オツカレでした」
いつもは作り笑いか、薄ら笑いしか浮かべない彼は、無表情で目を細めたまま、スタスタと事務所に向かって歩いていった。
「……足音」
廊下に顔だけ出して、彼の後ろ姿を見ていた新谷が呟く。
「……リーダーの足音が……聞こえる……」
「………?」
当たり前のことを言う新谷に、首を傾げつつ、手の中に握らされた金色の鍵を見下ろし、篠崎はさらに首を傾げた。