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ハイエースバンは、ぱっと見は何もなかったかの如く、建物の日陰に停車していた。
冷房をかけているらしく、マフラーが震え、エンジンが低く唸っている。
スモークが雑に貼られたガラスのせいで、車内は見えない。
「…………」
迷いを打ち消すように、篠崎はその後部座席を勢いよく開けた。
「……新谷……?」
後部座席に横たわる新谷。
その目は閉じ、口は開いている。
本当に眠っているようだ。
その姿にホッとしながら車内を見回す。
紫雨の姿はない。
新谷の上半身には、紫雨の物と思われる作業着のジャンパーがかけられていた。
車内に冷房が寒いほど効いているとはいえ、この暑い中ジャンパーをかけてやった意味が分からず、それを捲り取ると。
「……おい」
篠崎は眠りこけている新谷のむき出しの腹を見た。
「なんで服着てねえんだ」
上半身だけ裸になった新谷が、ジャンパーを取られて寒そうに身をよじる。
「…………!」
篠崎は腕で鼻を覆った。
「なんだ、この匂いは…!」
冷蔵庫のように冷えていた車内で分かりにくかったが、確かにこの車内には、アレの臭いが充満していた。
「お前、まさか……」
「あれ、篠崎さん。どうしたんですか」
後方から声がして、篠崎は振り返った。
そこにはシャワーでも浴びてきたかの如く、上半身下着姿の紫雨が、髪の毛から滴り落ちる水滴をタオルで拭いながら、立っていた。
(これ、まさか……事後?いや。状況を考えろ。ここは、分譲地管理組合の管理棟で、駐車場で、シャワーなんかない)
「お前、何してる。こいつの服は?」
言うと、紫雨はプッと吹き出した。
「いやあ、新谷君、ちょっと初夏の太陽に当てられたらしくて、盛大にリバースしてしまいましてね。車の中、くっさいでしょ」
ケラケラ笑っている。
「一応洗ってきましたけど、家でちゃんと洗濯してくださいね。これ、篠崎さんのでしょ?」
言いながらビニールに入った作業着を渡す。
(驚かせやがって……)
呆れながらそれを受取る。
しかし紫雨は手を離さない。
「……なんだよ」
その顔を見下ろす。
年の割に童顔である同い年の男は、口の端を釣り上げながらこちらを見ている。
「いや、篠崎さん、何しに来たのかなって思って」
少し顎を上げながら微笑んでいる。
「ナベから連絡でも来ましたか?」
それには答えず、袋をぶんどる。
「お前が姑息な手を使うからだろ。室井マネージャーの現場だと、俺は確かにお前から聞いたぞ」
「え、そうでしたか?じゃあ、俺の勘違いですね。俺の現場だと伝えたと思っていたんですよ」
大きい目をさらに見開いて言う。
本当に食えない男だ。
「もしかして心配で駆けつけてきちゃいました?」
その顔のまま、篠崎を見上げる。
「お前には前科があるからな」
睨みながら、紫雨のジャンパーを突き返す。
「やだなあ。若気の至りなのに。忘れてくださいよぉ」
紫雨は両手を開いて見せる。
「もうしませんって。信用ないなあ」
ヘラヘラと笑っている。
「それにしても、可愛がってらっしゃいますねえ」
言いながら眠りこけている新谷を見下ろした。
「新人嫌いの篠崎さんが。珍しい」
一言一言が癪に障る男を睨む。
「俺だって一生懸命な後輩には、それなりに指導するっつの」
「えー、それだけですか?本当に?」
紫雨が距離をつめる。
「何が言いたい」
「もしそうなら。かわいそうだな、新谷君が」
受け取ったジャンパーを細い腰に巻きながら紫雨が続ける。
「その子、ゲイでしょ」
「なんでそのことをお前が知ってる」
「新谷君に聞いたわけじゃないですよ。でも、お仲間だからわかるんですよ。視線の動きや、男に触られた時の反応なんかを見るとね」
紫雨はクククと笑った。
「これだけは断言しておきます。あなたのそばにいたら、新谷君は遅かれ早かれ、潰れますよ」
「お前に何がわかんだよ」
「わかりますよ。俺もそうだったから。あんたみたいな魅力的な人が、そばでそうやって世話を焼く残酷さを身に染みて知っているんです。頭を触られるたび、手が自分に伸びるたび、意識し胸が痛くなって。脈のなさを実感するたびに絶望する。
そんなのを毎日繰り返していたら、彼、きっと、ダメになりますよ」
「わかったような口を。そいつが俺に変な感情を持ってるわけないだろ」
「あんた、本当に気づいてないとか、大丈夫ですか?ハウスメーカーの営業なら、人の感情にアンテナ張り巡らせないとダメですよ」
妙に自信満々にいう紫雨に怒りが湧いてくる。
「その作業着だってそうだ。あんた、自分の服を貸すなんてかわいそうなことしてさ。ほんと、残酷なんだから。ノンケっつーのは……」
その影が差した顔に、篠崎は思わず黙った。
「馬鹿言え」
篠崎は鼻で笑った。
「こいつには、今はかわいい彼女がいるんだよ。男なんて、初めから眼中にねーんだっつの」
紫雨は新谷を見下ろした。
「彼女、ねえ」
その時、新谷が唸りながら身を捩った。
「とにかく。こいつは連れて帰るから」
言うと篠崎は、まだ眠っている新谷の身を背もたれに起こし、背中におぶった。
「お気をつけてー」
視界の隅に、棒読みで言いながら、タオルで髪を拭く紫雨が目に入る。
「最後に聞く。新谷が吐いたのはわかったが、どうしてお前の作業着や髪まで汚れたんだ」
聞くと紫雨はタオルの下からこちらを見上げて、
「さあ、なんででしょうね。忘れちゃいました」
と笑った。