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米英華で1946年2月13日旧ドイツのベルリン郊外のポツダムで再度会談をした。
それは日本の激しい抵抗で前まで考えていた内容では日本がこの休戦を認めてくれないのではないかと思ったからである。ドイツはベルリンが陥落し降伏をドイツ側が宣言したため分割という形で終わったが日本は違う最後まで抵抗する考えだったのだ日本国内では一億玉砕などという言葉が街中に書いてあったのだこんな国に今あるポツダム宣言が通用するはずが無い再度ポツダム宣言の内容を変え再度発表した。その次の日2月14日に沖縄本島に砲撃を開始したわずか2日で沖縄本島にいた約12万人中約9万5000人が亡くなったしかもその中で民間人は8万9000人だった、この沖縄の砲撃のことを受け日本の各大臣が集まり会議が行われたその結果はまさに本土決戦だった。そう日本はポツダム宣言を受諾するどころか国民にも教えず黙殺したのだ1946年2月28日ついに米軍が沖縄本島に上陸した激しい戦闘の中1946年9月12日に沖縄が陥落した。
日本軍は全滅民間人は9万2700万人になった、米軍は2万5027人亡くなった。