昼休みになり、結羽は借りていた本を返却しようと図書室に向かう。
「あ……」
渡り廊下を歩いていると、こちらに向かって歩いて来る綾樹がいた。
いつも一緒にいるメンバーと騒ぎながら廊下を歩いている。
「…………」
結羽に気づいた綾樹はこちらを向くが、すぐにふいっと顔を逸らした。
そして、そのままメンバーたちと話題で盛り上がり、結羽の横を通り過ぎていく。
綾樹はあの空き教室以来、結羽のことを避けるようになったのだ。
呼び出しや絡まれたりすることもなくなり、結羽は少しずつ平穏を取り戻しつつあった。
(元通りになったはずなのに……)
恐怖の対象からあからさまに無視をされ、結羽は何だかモヤモヤとした気分になる。
◇ ◇ ◇
次の日の朝、綾樹は学校に来なかった。
「おーい。八代が休みの理由、知ってる奴いるか?」
出席簿を手に呼び掛ける担任教師の言葉に、一人の男子生徒が手を上げた。
「綾樹なら風邪で休むって言ってましたー」
綾樹と一緒につるんでいる男子生徒が言う。
「風邪か……最近流行ってるもんな。お前らも風邪には注意しろよ」
担任教師の言葉に、生徒たちは「はーい!」と活気のいい声を上げた。
「…………」
結羽は呆然と綾樹の席を見つめる。
綾樹が休みで嬉しいはずが、何故か気になってしまった。
(何だろう……この感じ)
◇ ◇ ◇
結羽は胸中にモヤモヤとした蟠りを抱えたまま放課後を迎える。
その日バイトがない結羽は教室を出て、いつも通りに家へと帰宅しようとする。
「天野さん!」
昇降口で誰かに呼ばれ、結羽は振り返ると、一人の男子生徒が駆け寄って来た。
「甲斐くん?」
結羽を呼び止めた男子生徒の名前は甲斐晃。
綾樹と一緒につるんでいるメンバーの一人だ。
「急に呼び止めてごめんね。天野さんに頼みがあってさ……」
そう言って、晃は一枚のプリント用紙とビニール袋を結羽に差し出す。
「いきなりで申し訳ないんだけど……綾樹にプリントと差し入れを届けてくれないかな?」
「え?」
「他の奴ら、部活とバイトで行けなくてさ。俺も用事があって、持って行きたいのは山々なんだけど……」
「えっと、急にそんなこと頼まれても……」
綾樹に届け物をするということは、綾樹の家に行かなければならない。
でも、結羽は気まずい状況にいる綾樹とはあまり関わりたくなかった。
「お願い! 天野さんしか頼める人がいないんだ!」
晃はそう言うと、結羽にプリントと差し入れを強引に押しつける。
「ちょ、ちょっと……!」
「じゃあ、頼んだよ! あ、そうそう。綾樹の住所が書いているメモは差し入れの中に入ってるから!」
結羽が届け物を受け取ると、晃はすぐに踵を返してその場を去った。
「マジでぇ……」
どうして私なの……と結羽はガクッと項垂れるのであった。
◇ ◇ ◇
それから結羽は自宅とは別方向の道へ歩き出した。
届け物を受け取った以上、綾樹に届けないわけにはいかない。
(メモ見なくても……八代の家は知ってるんだけどね)
結羽は何気なく晃から受け取ったビニール袋を見ると、中にはお菓子や飲むゼリーなどが入っていた。
(幸せ者だな……)
何てことを思いながら歩いて行くと、程無くして綾樹の家に到着する。
インターフォンを鳴らしてから数秒経つと、玄関から足音が聞こえてくる。
「晃……悪いな。わざわざ来てくれて……――はっ⁉︎」
扉が開くと、マスクをつけた綾樹が驚いた様子で結羽を見た。
様子からして、綾樹は差し入れを届けに来てくれたのは晃だと思ったのだろう。
「あ、あのね、甲斐くん……用事があるって代わりに頼まれたの」
綾樹の反応に結羽は戸惑うが、プリントと差し入れを綾樹に渡す。
「はい……これ。プリントと甲斐くんたちからの差し入れ」
「お、おう……サンキュー」
結羽が差し出した届け物を綾樹はぎこちなく受け取る。
「じゃあ……帰るね」
無事に役目を果たし、結羽はこの重い空気から逃れたくて踵を返す。
「……?」
一歩進み出そうとすると、右腕が引っ張られ、結羽は思わず振り返る。
振り返ってみると、綾樹が結羽の腕を掴んでいたのだ。
「えっと……何? どうしたの?」
綾樹の行動に、怪訝になる結羽。
「あのさ……俺、うっ! ゴホッ! ゴホッ!」
「え、ちょっと、大丈夫⁉︎」
綾樹が何か言おうとした時、突如襲った咳によって塞がれてしまった。
「取り敢えず、家の中に入ろう……ね?」
結羽はこの状態を見て、放っておけないと思い、綾樹を支えるように家の中へ入った。
◇ ◇ ◇
結羽は綾樹に肩を貸しながら二階へと上がって行く。
(身体熱い……)
密着している身体から綾樹の体温を感じる結羽。
やがて綾樹の部屋に到着し、結羽は彼をベッドに座らせた。
「病院には行った?」
「……行ってない」
問い掛ける結羽に、綾樹は抑揚のない声で返す。
「薬は飲んだ?」
「……飯食ってないから飲んでない……寝てれば治る」
「バカ! ちゃんと何か食べて薬飲まないと!」
そう言って声を張り上げ、結羽は立ち上がる。
「キッチン借りるから」
結羽は踵を返し、綾樹の部屋から出る。
階段から一階へ下り、結羽はキッチンに到着する。
カウンターへ回ると、炊飯器を見つける。
「よかった……自炊はちゃんとしてるんだね」
炊飯器の蓋を開けると炊けている白米があり、白い湯気を立たせていた。
「これならすぐお粥とか作れそうね……」
結羽は左右を見回し、食器棚を見つける。
扉を開けると、コップや皿などが入っている食器から小さな鍋を見つけ、結羽はお粥に使えそうだと判断して取り出す。
そして、木べらで掬った白米と水を鍋に入れ、火で煮込ませる。
(寝てるだけで治るわけないでしょ……)
煮込んだ白米を混ぜながら結羽は呆れて溜め息を吐く。
そこで、結羽は先ほどの自分の言葉を思い返す。
(……って、何で私、あんな奴の心配しているのよ)
散々自分を苦しめてきた相手を心配していることに、結羽は驚きを隠せなかった。
自分の言葉と行動に疑問を感じていると、程良く煮込まれたお粥が完成した。
◇ ◇ ◇
結羽は完成したお粥と水一杯をお盆の上に乗せ、綾樹の部屋に向かう。
「お粥作ったんだけど……食べる?」
「……食べる」
お粥を乗せたお盆を手にする結羽を見て、綾樹はむくりと横になっていた身体を起こす。
綾樹の要望に、結羽は彼の膝の上にお盆を乗せる。
「熱いから気をつけてね」
結羽の注意に、綾樹はこくりと頷く。
そして、スプーンで掬ったお粥を口に運んだ。
「……うまい」
「それならよかった」
綾樹の感想に何だか嬉しくなる結羽。
「風邪薬ある?」
「……ある……その白い棚に……」
綾樹が指差した方を結羽は振り向く。
そこには白い棚があり、結羽は近づいて引き出しを開ける。
その中に救急箱があり、蓋を開けてみると風邪薬があった。
「食べ終わったら、ちゃんと飲んでね」
結羽は言いながら、風邪薬をお盆の上に置く。
「……ん」
綾樹はこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
「……?」
瞼を上げると、見知った天井が視界に入る。
綾樹はむくりと上体を起こし、電気の点いていない薄暗い自分の部屋を見渡す。
電子時計を見ると、午後十九時を表示していた。
いつの間に寝ていたのか……と綾樹は寝る前に何をしていたのか思い出そうとする。
「ああ……そうだ。天野が作ったお粥食べて、薬飲んで……その後、眠っちまったのか」
隣にいたはずの結羽はいなかった。
「帰ったのか……」
そこで、喉の渇きを覚えた綾樹は水を飲みに行こうと、ベッドから足を降ろす。
薬が効いたのか頭痛は治まり、まだ火照りはあるが、身体の温度が下がっているのを感じた。
綾樹は二階を下り、キッチンに到着すると、すぐさま冷蔵庫を開ける。
「あ……」
ミネラルウォーターを取り出そうとした時、綾樹はある物に目が留まる。
それを手に取ってみると、それは耐熱皿に入ったお粥だった。
ラップに包まれた耐熱皿の上には、可愛らしいメモが添えられていた。
『食欲が出たら食べて。
お大事に。
天野』
とメモに結羽の言葉が綴られていた。
「……っ」
それを見て、綾樹はハァ……と項垂れる。
「何が……優しくない、だよ……」
すると、部屋着のポケットに入れていたスマホから着信音が鳴る。
綾樹は取り出して画面を確認すると、着信相手は『晃』と表示されていた。
『よ、体調はどうだ?』
綾樹は応答をタップすると、通話口から軽快な声が聞こえてきた。
「ダルいけど……熱は少し下がった感じ。差し入れありがとな」
『いいって! それより……どう! 俺のサプライズ!』
「お前……半ば強引に押しつけたんだろ?」
『え〜、喜んでくれると思ったのに〜』
「いや……驚きの方が大きかった」
『じゃあ、ある意味成功だ!』
二人はそのまま今日学校で何があったのか話し合った。
購買店で新商品が販売されたことやゲームの話など。
『というかさ……』
そこで、晃の声が真剣を帯びる。
『いい加減ぶっちゃけねぇの?』
「…………」
『何があったか知らないけど、綾樹……最近、天野さん避けてるよな?』
「それは……」
『お節介かもだけど、今のまま続けていたら天野さんには伝わらないぞ』
「…………」
――晃の言う通りだ……でも。
(……どうすりゃあいいのかわかんねぇんだよ)
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