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それでもいいから…

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4 - 第4話 八尾首からのお誘い

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2024年09月27日

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紫雨は、日に日に本気を出しつつある初夏の太陽を睨んだ。


「あっちーな……」


今日から6月だ。

今年から、世の流れに遅れること数年、セゾンエスペースでも全国的にクールビズが導入され、夏用スーツのスラックスに上はワイシャツ一枚になった。


いつもならスーツに付けるネームプレートも首からかけるネームホルダーに変わり、ぱっと見は電気屋の店員のようだ。


腕も頬も、日に焼けるとすぐ赤くなるため、太陽を背にしながら管理棟の外階段に座り込む。


「だりい。これ、完全に色疲れだわ」

言いながら、今朝まで一緒にいた男が吸っていた煙草の匂いがしみ込んだ髪の毛をガシガシと掻く。

スーツにも染みついているだろうその匂いは、朝、そのままクリーニングに出してきた。


「あいつとは当分いーや」


寝不足と疲労のため、名前も浮かばない男を脳内から消し去る。


腰が痛く、尻にも違和感が残っている。


「二夜続けてのネコは無理があったな」

ぼやきながら缶コーヒーの栓を開ける。


一口流し込むと、それはいつもより苦く感じた。


「マネージャー」

展示場から林が走ってくる。


紫雨はチラリと見ると、また缶コーヒーに視線を戻した。


「マネージャー」

「聞こえてるよ、うっせえな。何」


自分がなぜここまでこの部下に冷たく当たるのか、よくわからない。


でもこいつを見ているとイライラする。

前はそんなことなかったのに―――。


(いつからだっけ……?)


「八尾首展示場の篠崎マネージャーからお電話です」

「げ」

鼻の脇の神経が引きつる。


「要件は?」

「わかりません」

「……使えねえな」

言いながら立ち上がると、紫雨は外していたワイシャツのボタンを留めた。


「……………」


その襟首を林が掴む。


「?!」


紫雨は先ほどまで眠くてなかなか開かなかった目を真ん丸に見開いた。


「…………何だよ?」


「増えてる」


「はあ?」

その手を振り払い、ボタンを留める。


「離せよ。電話、保留中なんだろ?」

「……あ、はい」

林が慌ててその手を離す。


「ったく」


紫雨はほんの数センチ背の高い林を睨み上げると、事務所に向けて走り出した。


「………」


(こっわ。殴られるかと思った)


心臓が高鳴っている。


どうしてそう感じたかはわからないが、彼には明らかに“殺気”かまたはそれに近い気配があった。


(ああいうやつが、ある日突然ブチ切れて、人を刺したりするんだよな。気をつけよ……)


紫雨は走りながら身震いすると、事務所の階段に足を掛けた。




「お待たせしました。紫雨で……」


電話を代わると、受話器の向こうから和気あいあいとした笑い声が聞こえてきた。


『だから言っただろ、カッターはやめとけって!』

篠崎の明るい声が響く。


『やばい、これ、どうしたらいいですか!?』

奥から新谷の声が聞こえてくる。


「………………」


『あ、もしもし、紫雨か?』


まだ笑いをこらえたような声に、紫雨は不快さを露にして答えた。


「ずいぶん楽しそうですね」

『あー、いや。懸垂幕が届いたんだけどさ』

「当てて見せましょうか。新谷がカッターで箱を開けて、中の懸垂幕まで傷つけたんでしょ?」


『すげえ!なんでわかんだよ!』

篠崎が笑っている。


「その馬鹿は去年、うちの展示場で同じことをしたんでね」


だがそれはもう遠い昔のことのように思えた。

ため息をついたところで、事務所の入り口から林が戻ってきた。


気まずそうにこちらを見ている。

それもまた苛立たしく、紫雨はおもむろに目を逸らした。


『お前~、去年もやらかしたのかよ』

篠崎がまた笑っている。


『え、あ、はは。どうだったかな』

慌てる新谷の声に、


『大丈夫。縫って?新谷君。針折れると思うけど!』

はしゃいだ渡辺の声が続く。


(……金なら払うから、誰か八尾首展示場に放火してくんねえかな)


受話器を持った手とは反対側の手で頬杖をついた。


(300万円………いや、500万円までなら出してもいいのにな)


下らないことを考えながら瞼を閉じる。


無言で切ってしまってもよかったが、なんとなくこの電話線の向こう側に広がる明るい世界に触れていたいような不思議な気もし、紫雨は辛抱強く待った。


『わりいわりい、忙しいよな』

篠崎がやっと咳払いし話し始めた。


『暮らしの体験会あるだろ?来週の』

「はい」

『今回、天賀谷から誰も行かないって本当か?』


チラリと林のデスクを見る。


すでに席についた彼のダークブラウンの頭頂部が見える。


昨年までは紫雨と同じような髪色だったが、今年度に入ってからわざわざ暗く染め直したらしい。

(まあ、童顔は何色に染めても童顔だけどな)


自分の顔を棚に上げて紫雨はその旋毛を睨んだ。


『おい、紫雨聞いてるか?』

篠崎の声が鼓膜に響く。


「そんな大きな声出さなくても聞いてますよ。ええ。天賀谷からは行かないです。林がお客様を誘い損ねたので」


言うと、林はチラリと顔を上げた。そして申し訳なさそうに小さく頭を下げた。


「こっち、客7組も行くんだよ。俺のが4組、渡辺1組、新谷のが2組」


“暮らしの体験会”とは大型バスを貸し切り、営業がお客様を連れて、セゾンエスペースの体験施設に連れて行くイベントだ。


朝早くから高速バスに乗って昼前に到着。全員で弁当を食べた後に、床暖房、耐震性、窓の耐久性、保温性、家や窓の遮音性の高さなど、20項目にもなる体験ブースを、ご家族で楽しみながら周り、他のメーカーとの違いを肌で感じてもらおうというイベントだった。


セゾンエスペースの良さを客にアピールするには多大な効果が期待できる反面、一日がかりのバスでの旅に、契約前の客を誘うのは思いのほか難しい。


『契約するかもわからないのに』という遠慮が当然の如く生まれるし、『参加したら最後、逃げられなくなりそうだ』という警戒心を示す客も珍しくない。


アポイントを取るためには、「そこまで見ないと家なんか選べませんよ」と伝える説得力と、「この人はそんな囲い込みをするような卑怯な真似はしないだろう」という信頼感が必要なのだ。


「―――んで?なんすか。自慢すか」


(あ、しまった…)


春にマネージャーになってからは出来るだけ言葉遣いに気を付けているつもりだったが、つい素が出てしまった。


「そうじゃなくて。営業が足りねぇんだよ。まさか、昨日今日入ったばかりの新人に、客を相手させるわけにいかないだろ?」


「新谷も渡辺もそれに毛が生えた程度ですがね」

言葉遣いは直ったが、つい毒が漏れだす。


「…………」


部下と恋人を貶されて篠崎が黙る。


「やだなあ。怒んないでくださいよ。冗談じゃないですか。それで?さっさと本題を言ってくださいよ」


本当は何を言わんとしてるかわかりながら、紫雨はノートパソコンを開いた。


『……申し訳ないんだけど、展示場から二人ばかり貸してほしい』


(はいはい、でしょうね)


システムを開き、全体スケジュールを見る。


「行けるのは、下から、林、飯川、あとはまあ、俺ですけど。ご指名はありますか?」


ふざけて言うと、


『お前がいい』


間髪を入れずに答えた篠崎の声に、危うく受話器を落としそうになる。


『できればお前がいいんだ。ちょっと難しいお客様で。できれば確実なところで、お前に頼みたい』


「……ソウ、デスカ」


上手い返しもできないまま呟く。


『もう1組はノリのいい若い夫婦だから、飯川でも林でも大丈夫だ』


「はあ」


『頼めるか?』


紫雨はゴクンと唾液を飲み込んだ。


「……いいですよ。でも指名料は高くつきますけどね」


いつものトーンにやっとのことで戻して言うと、電話口の篠崎は笑った。


『わかった。今度旨い店にでも連れてくよ』


「……は?」


『前泊のホテルはこっちで手配しとくから、頼むな』


「あ……」


何か言い返そうとしたのに、電話は切れていた。


(旨い店にでもって……俺と、あんたでかよ、篠崎さん……)


呆然と、切れた受話器を見つめる。


「どうかしましたか?」


林がこちらを見上げる。


紫雨は軽く頭を振り、息をつくと、受話器を乱暴に置いた。


「林。来週土曜日、暮らしの体験会、篠崎さんのサポート。俺と金曜日から前泊。いいな」


「あ、はい……!」


林が慌ててバッグから革製の手帳を取り出す。


「行けるんかい。お前さ。1回でもいいからその日はお客様とのアポがあります、とか渋ってみろよ、情けねえなあ」


思わずため息をつく。


「すみません……」


俯きながら必死に手帳に書き込んでいる部下の耳が真っ赤に染まっていることには、紫雨は気が付かなかった。



林に当たり散らしていても、頭の芯がボヤける。


『お前がいい』


「……アホか、俺は」


林の視線をこめかみあたりに感じながら立ち上がると、紫雨は展示場に繋がるドアを開けた。


寝室を抜け、和室を通り、洗面台のところで止まる。


十分にペーパータオルが補充されていることを確認し、ワイシャツを第二ボタンまで外して左右に開く。蛇口をひねると、一気に水を出し手に掬って顔を撫でた。


(ヤリまくるとやっぱり頭の中、溶けて馬鹿になるわ…)


顔を洗うと、ペーパータオルを数枚引き出し、シャツが濡れないように顎に当てた。


水滴をふき取りながら、ダウンライトに照らされた自分の顔を見る。



『ヒデの目が好きだよ』


昨夜の男の声が蘇る。



『なんか色が薄くて、外人みたい』


「……………」



『色も白いし。白人の血でも入ってんの?』


「……入ってたら悪いかよ」



紫雨は色素の薄い瞳で自分を睨んだ。



この金色の目も、白い肌も、染めなくたって茶色い地毛も、日本人離れした顔の小ささも……。


全部。

全部全部全部……。



「大嫌いだ」



水滴をふき取り、傍らにあるゴミ箱にペーパータオルを投げ捨てると、自分の首筋に発赤を見つけた。


『増えてる』


(ああ。このことか)


紫雨は呆れて笑った。


(あいつ、こんなことにばっかり気づいてないで、客のニーズとかネックとか、そう言うところに気づけるようになればいいのに。無駄なところに神経使ってんなー)


自分の唯一とも思える部下のことを思う。



同じ展示場には飯川もいるが、彼は、他の住宅メーカーからの転職組だ。


すでに売るノウハウは身に着けており、こちらが指導することもなく、住宅関係の知識も習得していた。


逆にこちらが何かを言うと、彼の数年かけて形成されたスタイルを崩すことにもなり、秋山も室井も、彼を傍観していた。


成績は中の上。悪くはないが、それは天賀谷展示場の来客数を考えれば、けして多い数字ではない。


飯川の今のスタイルに限界がきて、壁にぶつかったときには助言をしてやってもいいが……。



目下のところ、心配なのは林の方だ。


彼は今月売れなかったら、ペナルティ期間に入る。

バッター順は最後。それ以外は客のお茶出し。

クビの一歩手前だ。


秋山のことだから、万一ペナルティ期間に受注できなかったとしても即解雇になることはないだろうが、それでも辛い立場になることは確かだ。


「ちっ」


もともと紫雨は指導に向いていない。

知識を詰め込むことは出来るが、基本的なところで、教え導いてあげることができない。

それは自分が他人から習うタイプではなく、自分で知識を学び、自分で技術を習得するタイプだからだ。


指導者は要らない。

その代わり、自分も良き指導者に回ることは出来ない。


(…………)


だからよかったのだ。新谷が篠崎のもとに戻ったのは。


そう思うと、2ヶ月前までこの展示場で笑っていた彼の、電話口から聞こえてきた明るい声も、なんとか腹に落とし込める気がした。


紫雨はもう一度、自分の顔を見て小さく頷くと、洗面台の収納扉を開いた。



それでもいいから…

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