「あれ。まだやってたのか」
生徒会の形だけの顧問である辻が印刷室のドアを開けた。
「もう学校閉めるぞ。印刷室の鍵をかけて10分以内に下校しなさい」
「はーい」
メンバーたちが口々に返事をすると、辻は面倒くさそうにドアを閉めた。
印刷した780組×3枚のA4用紙を持った加恵が視線を上げると、もう時刻は7時を過ぎていた。
「綴じるのはまた明日にするか」
加恵から受け取ったパンフレットの原稿を段ボール箱に入れ、諏訪は右京を振り返った。
「てか綴じるのは、学級委員にやらせて俺たちは分けるとこまででいいと思いまーす」
結城が言うと、
「それを言うなら広報委員の仕事だと思います。徴集をかけるべきでは?」
すっかり疲れた様子の清野が結城を睨む。
「とにかく10分で下校だ!」
右京は段ボールを諏訪から受け取ると、印刷室のカギを指に引っ掛け回した。
「印刷室の戸締りはしておくから、今すぐ帰れー」
「じゃあ、俺、生徒会室の施錠をしてくるよ」
諏訪が手を出すが、右京はその手をペシッと叩いた。
「お前は藤崎を駅まで送れ」
「えー、大丈夫なのにー」
加恵が笑う。
「いいから。これ会長命令な!」
言うと右京は重いはずの段ボールを片手で抱え、
「はい!出た出た!」
と言って印刷室から皆を追い出した。
そのまま片手で鍵をかけると、今度は生徒会室に向かうべく、皆とは反対方向に歩き始めた。
「重いのによく片手で持てるねー」
その後ろ姿を見ながら加恵が関心の声を出す。
「―――てかさ。あいつの右の手首、腫れてない?」
諏訪の言葉に加恵は首を傾げた。
「そう?気づかなかったけど」
諏訪はうんざりしてため息をつくと、
「……とりあえず、駅まで送るわ」
と言い、先導して階段を降り始めた。
◇◇◇◇◇
生徒会室に回り原稿を置き施錠すると、右京は職員室に向かった。
時刻は19時30を回っていた。
灯りはついていたが、辻以外の教師たちは帰った後だ。
「もう戸締り終わってるから早くしてくれ」
「すみません」
キーボックスを開け、印刷室の場所にキーを下げると、もう1つ鍵がぶら下がっていない箇所があった。
「あれ……。第2体育倉庫のカギもないですよ」
「あー。それは」
辻がうんざりしたような顔で言った。
「多分体育教師の高橋先生だ。いつもポケットに入れて持って帰っちゃうから」
言いながら首を回している。
右京は40を超えた男性教師の疲れ切った横顔を見つめた。
「どうした?」
―――先生。蜂谷に何か弱みでも握られてるんですか?
「右京?」
「あ、いえ。遅くまでありがとうございました」
右京は笑いながら、キーボックスを閉じた。
急いで昇降口から出ると、ガシャンと電子錠がかかった。
右京は辻の手で次々と照明が消されていく学校を見上げ軽く息を吐くと、校門を出た。
通学バッグから蜂谷から奪った黒のリングノートを取り出す。
数えたところ、取引相手は20人強。多少の増減はあるものの、この内容が正しければ、毎月、同じ額を蜂谷に支払っているらしい。
辻の名前を見つめる。
あの教師が、一生徒である蜂谷にどんな秘密を握られ、甘んじて金を支払い続けているのだろう。
目を細めたところで、坂道を登ってくる足音に気が付いた。
「――――?」
思わず電信柱の裏に隠れる。
この道はどん詰まりになっていて、行きつく先は宮丘学園か、小さな乳飲料の宅配会社しかない。
それも夕方で終わるため、生徒が下校し、教師が帰った後は、車の通りは愚か、人の通りもない。
だから藤崎を諏訪に送らせたのに。
―――こんな時間に誰だ?しかも、坂を上ってくる……?
右京は電信柱の陰で息をひそめたまま、足音が近づいてくるのを待った。
◆◆◆◆◆
義理母にかけても伝言など頼めないため、家庭教師が来てからの時間を見計らって、友人が具合悪くなったから付き添って病院にいると嘘の電話をかけた。
『そうですか。わかりました。ご友人の保護者が駆け付けるまで一緒にいてあげてください。事情は分かりましたので今日はお休みにしましょう』
几帳面そうな男性の声は、想像していたよりもずっと若く優しかった。
本当は若くてかっこいい男性が好きな義理母は、今頃さぞや喜んで彼に紅茶だのお菓子だのを出していることだろう。
義理母のめかしこんだ顔を想像し吐き気がした。
蜂谷は坂道を上りながら、いつもサッカー部が練習しているグラウンドを眺めた。
ーーー永月のことを思う。
何の不満があるのだろう。
サッカーは全国レベル。プロからの誘いやアプローチもあると聞く。
眉目秀麗で成績も右京とまではいかないが、常にトップ30には入っている。
サッカー部の後輩たちからは慕われ、校内外の女子からはモテて、その上何に不満がある。
あいつが気に入らないのは何だ。
俺か?いや違う。
あいつが狙ってるのは何だ。
右京か?それも違う。
ーーー必ず尻尾を掴んでやる。
黒い封筒なんかよりももっともっと根拠のある証拠を。
蜂谷は確かな決心を胸に、踏みしめるように坂道を上っていった。
部室棟の方から回ると、案の定、渡り廊下の掃き出し窓が開いていた。
蜂谷は静かに窓を開け、そこから入り後ろ手に閉めた。
―――てか。なんで学校なんかに。
袋にしようにも、何かを見せて脅すにしても、学校に呼び出す意味はあるのだろうか。
【第2体育倉庫】
体育祭や持久走大会などの際に使う用具を収納してあるそこは、3年間で一度も足を踏み入れたことがなかった。
「ーーーーー」
人の気配はしないが、外から漏れる外灯の光が、本の少し開いた扉から漏れている。
拳を握る。誰か飛びかかってきても応戦できるように。
蜂谷は思い切ってその両開きの引き戸を一気に開け放った。
「………は?」
その光景を見て蜂谷は言葉を失った。
そこには夏用のブレザーを着て、仮面舞踏会風のマスクをつけた女子生徒が3人、こちらを向いて立っていた。
口しか見えないマスクのせいで、顔がわからない。
揃いの金髪ロングのウィッグを付けていて髪型もわからない。
その中の一人が蜂谷に歩み寄った。
「蜂谷君……」
声に聴き覚えはない。
「ごめんね?」
「ーーー何が?」
蜂谷が眉間に皺を寄せた瞬間、後頭部に何か硬いものが振り落とされた。
◆◆◆◆◆
「……………」
右京はプラットホームのベンチに座り、向かい側のホームに入った電車を眺めながら、先ほど隠れていた電信柱の陰から見えた人物を思い出していた。
夏服のブレザー。あれは確かにうちの生徒だったがーーー。
―――誰だっけ?
転校してきてからわずか半年しか経っていない右京は、生徒の顔を覚えていなかった。
なんとなくは見たことがある気がする。同じ学年の生徒だろうか。
眉間に皺を寄せる。
こんな時間になぜ一人であの道を歩いていたのだろう。
忘れ物か。
それとも待ち合わせか。
気になる。
気になるが―――。
「俺には関係ないか……」
『間もなく3番線に電車が参ります』
アナウンスが鳴る。
右京は首を回しながら立ち上がった。
今日は早朝の挨拶運動に始まり、総選挙メンバーの写真撮り、さらにパンフレット作りと、朝から晩まで生徒会の仕事をしていたような気がする。
―――勉強も大事だが、たまには早く寝よう。
右京は小さく頷くと、目の前に停車した電車に向かって足を踏み出した。
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