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久次は新幹線の中でしたためたそれを封筒に入れ、窓の外に視線を移した。
教師というものは何だろう。
生徒に対し、教育または保育を司る職。
知識の習得に貢献しながらも、時に生徒の心身の成長を促し、見守る。
だが……。
聖人でなんかない。
一人の人間だ。
自分もそうだし、彼も、そうだった。
彼に恋をしたのは、16歳の自分の方だった。
出会った瞬間、その栗毛色の髪の毛と、薄いグレーのスーツ、大きな瞳に恋をした。
今まで恋愛対象が男か女かなんて、考えたこともなかった。
しかし彼のことは、はっきり、好きだと思った。
話してみると快活で明るくて、10個以上も年上なのに、その純粋な瞳は、下手すれば久次よりも幼かった。
「突っ立ってないで踊ろう!歌はダンスなんだ!!」
声がなかなかでなくて悩んでいる久次の手を取り、彼は踊った。
「喉が楽器なんじゃないよ。身体が楽器なんだ。変声期の君の喉は今無理に声を出しても傷つくだけだよ。だから腹から息を出して、腹から声を出して、歌ってごらん?」
彼はニコニコと久次の身体を撫でた。
「丹田ってわかる?」
彼は久次の臍の下を触った。
「丹田式発声法とかも呼ばれるんだけどね。ここに気が溜まるんだ。人間はね」
そう言いながらそこを指で押す。
「ここに重心を置く。ここを身体の軸にする」
言うと彼は自分も姿勢を正して、もう一つの手で自分の丹田を触った。
「意識をここに集中。全身の身体の力を抜いて」
言いながら目を瞑る。
長い睫毛が、目の下に影を作る。
彼の大きな手が自分の腹の下にゆっくりと圧力をかけていく。
「…………」
「どう?だんだんわかってきた?」
彼が目を開けたとき、久次の下半身のソレは、制服の上からでもわかるくらいに膨れ上がってきた。
「……先生、ごめんなさい」
久次は真っ赤な顔を手で隠した。
「はは。惜しいっ!」
彼は笑った。
「集中する場所がもうちょっと上だったかな……」
「違う」
久次はただでさえ掠れている声で、消え入りそうなトーンで言った。
「俺、先生のこと見てると、こうなる」
「…………」
「先生に触られても、こうなる」
「…………」
目を見開いたその顔に、久次は言った。
気が付くと、強く抱きしめられていた。
「参ったな」
彼の良く通る声が、至近距離で耳に流れ込んでくる。
「参ったよ。どうすればいい?」
さらに強く抱きすくめられる。
自分のそれこそ丹田のあたりに、彼の硬くなったものが当たる。
「俺はどうすればいい?虹原……」
彼が自分と同じ気持ちでこの1ヶ月間を過ごしてくれていたことが嬉しかった。
そう思ったらもう我慢なんてできなかった。
戸惑う彼を誘い、責めるように求め、時間が許す限り関係を迫った。
性行為は、たった2回だけ。
初めは彼が偽名で予約したホテルで……。
もう一度はコミュニティセンターのピアノ室で自分から迫って……。
しかしその2回目をあろうことかそのセンターの支配人に視られてしまった。
そこからはもう悪夢としか言えなかった。
発狂する母親。
呆れかえった警察。
平謝りする沖藤。
しかし自分と彼だけは、毅然としていた。
俺たちは悪いことなんてしていない。
好きだ。その気持ちは誰にも否定なんかされない。
握り返す手の強さから、彼も、そうだと思って疑わなかった。
噂はあっという間に広がり、学校の連中は、久次を避けるようになった。
「フケツ」「アナル」「ホモ」「ゲイ」「オナホ」「ウンコセックス」
ありとあらゆる罵声を浴びせられ、同じ言葉をノートにも教科書にも、机にも椅子にも書かれた。
顔を見たこともないような男子生徒たちに掴まり、校舎裏に引きずられていった。
服を脱がされ、セックスの真似事をされ、笑いながら写真で盗られた。
それでも自分は平気だった。
自分には先生がいる。
それだけで生きていけるような気がしていた。
しかし、彼は、そうではなかった。
目に見えて困憊し、傷つき、ボロボロになっていく彼を見て、久次はやっとことの重大さに気が付いた。
違う学校であろうと、教師である彼が生徒である自分と関係を持つこと。
責任を追及されるのは、大人側であり、教師側であること。
そして彼は……。
先生は、それをすべてを跳ね返して、自分を好きだと叫べるほど、
……強くはないこと。
そのことに気づいたとき、久次を襲ったのは絶望だった。
自分は彼を失うなんて耐えられない。
しかし彼はこの状況に堪えられない。
それならば、逃げるしかない。
2人で。
誰も文句を言えない場所へ――――。
なぜ彼が、自分を置いて逝ってしまったのか。
彼の気持ちを知ったのは、家族によってひっそりと葬儀が行われ、一度だけ挨拶に来た彼の母親に、手紙をもらった時だった。
これからも君は、光り続けてほしい。
その歌声で、世界を照らしてほしい。
それだけが、今の俺の願いだ。
それから久次は、母親に言われるまま、形式上、母の両親と養子縁組を結び、引っ越した。
苗字も虹原から、母の旧姓である久次に変わった。
『……虹原!』
彼は自分のことを誠ではなく、虹原と呼んでいた。
これからは名前を呼ばれるたびに、彼を思い出す心配はないのだと思った瞬間、
“久次“の眼からは涙が流れた。