「それで、これはどういうことなのか、説明してもらおうかしら」
説明しなさい、という強制力のある命令口調で言わなかっただけ、ポーラもといジャネットの怒り具合が窺えた。
ジャネットの向かい側に座っているゾルレオは、この部屋の、いや屋敷の持ち主にも関わらず、身を縮ませていた。その隣では、飄々とした様子のユルーゲルが座っている。何とも対照的な二人の態度で、どちらが主犯かは目に見えていた。
ゾルレオの心境的には、椅子にではなく、床に正座しているような気分だろう。魔塔からは魔術師の資格を剥奪か、最悪、国からは爵位さえも失うかもしれないと、思い込んでいる可能性もあった。が、ジャネットは今のところ、そこまでは考えていない。
仮に、アンリエッタよりも先に、ユルーゲルに会っていたら、ゾルレオのようになっていたのは、私かも知れなかったからだ。
ソマイアの王女であっても、魔術師として行動することの方が、ジャネットは多く。冒険者の振りをして、世情の動向を探っている中であっても、魔導具や魔法に関する新しい情報には、目敏く反応してしまうほどだった。
それ故、ユルーゲルが行おうとした魔法陣について、少なからず興味をそそられるのは、仕方がなかった。ユルーゲルが一介の魔術師ではなく、大魔術師だから尚更だった。
しかし、ジャネットには可愛い妹分でもあるアンリエッタに、危害を加えたことは、許せることではなかった。いや、それ以前に、相手の同意もなく、魔法陣の起動に協力させたことが、問題だった。
ジャネットとゾルレオで、大きな違いがあるとすれば、いくら大魔術師を前にしたからと言って、人道的な思考を曲げることはしなかったことだ。
「その、ジャネット様は、どこまでご存じなのでしょうか」
ゾルレオの一言で、部屋の気温が下がったのは、言うまでもない。ジャネットは依然として、目が据わったまま、けれど態度は変えずに、静かに口を開いた。
「まぁ、そちらも話せないことがあるのは分かるわ。なら、そうね。まずは順序良く、答え合わせをしてから、詳しく聞かせてもらおうかしら」
「そういうことでしたら、私がその当否に、答えるべきでしょうね」
構いませんよね、とにこやかに答えるユルーゲルは、まるで開き直っているように見えた。あの隠し部屋での慌てた様子など、今は見る影もない。ゾルレオがいるからなのか。いや、ただ落ち着きを取り戻しただけのように感じた。
「ならば、正直に答えなさい。貴方は、ユルーゲル・レニン、本人なの?」
ジャネットの言葉に、二人はどこまでも対照的な態度を示して見せた。ユルーゲルは相変わらずにこやかに、ゾルレオは目を伏せ、溜め息をついていた。
「その通りです。偽名を使い欺いていたこと、大変申し訳ありませんでした。しかし、よく信じましたね。私がユルーゲルであることを」
例え顔が似ていたとしても、私本人とは誰が信じるでしょうか、とでも言いたげな表情だった。しかし、マーカスとは違い、そこまで嫌味には何故か感じなかった。
それはそこに悪意がないからだろう。陰険なマーカスに比べたら、ユルーゲルのものは反応しなければ、嫌みや皮肉と捉えることが出来ないほど、自然過ぎていて分かり辛い……つまり無自覚に発している、ということだ。まぁ、どちらもたちが悪いことには変わりないが……。
「貴方が大魔術師だから、あり得ないことではない、と思えたからよ。まぁ、憶測の領域を脱しなかったのもまた、事実なのだけれど、やはり本当だったのね」
「ふぅ、大魔術師などという、大層な肩書きが仇となりましたか」
不本意だとも取れる態度を不思議に思ったジャネットは、ふと気になったことを尋ねた。
「……貴方は、いつからこの時代に来たの? 大魔術師になる前と、思ってもいいのかしら」
「そうですね。十八年前に突然、この時代に連れてこられたと思ったら、私の知らぬ間に大魔術師などという肩書きが、名前の前に冠していて、とても驚いたのを覚えています」
「つまり、貴方の本意ではないということ? この時代に来たのは」
「はい。私は当時、このような魔法を研究していたわけではなかったので、けしてこれは私の魔法によるものではありません」
それが本当のことなのか、真偽を確かめることは出来ないが、ここで嘘をついたとして、ユルーゲルにメリットがあるだろうか。逆に自分がやったと言う方が、疑うことなく信じられるだろう。
すぐには判断が出来そうにもなく、そっと視線を横にずらした。するとゾルレオは、ただ目を閉じて、首を横に振って答えるだけだった。そこでふと、気づいたことがあった。
「ちょっと待って、今、十八年前と言っていたわよね。貴方、歳は?」
「二十八になりました。つまり、十歳の時にこちらに来たんですよ」
えっ、と驚いたと同時に、別の憶測が頭を過った。
魔塔に入る魔術師は、若い年齢の者が多かった。それは、幼い頃から魔法を使える者が多くいたため、力を暴走させてしまうことに恐れることや、逆に恐れられることで無理やり入らせる例もあった。また、魔塔との繋がりが欲しい、といった理由で入れる者もいた。それ故に子供の頃から、魔塔へ入る者が多かった。
ジャネットもまた、例外ではなかった。八歳で魔力に目覚めたジャネットは、王女として生まれはしたが、母親は正妃ではなく、側室。王位継承から随分と離れた、末端の王女だった。
母親は権力欲のない人物で、王族の争いにジャネットが巻き込まれるのを危惧し、幼くとも手元から離すために、魔塔へと入れた。父親である王もまた、王権を強める一任となるよう、ジャネットの魔塔行きを容認した。さらに言うなら、ソマイアの王族特有の赤い髪をしていたのも、その理由の一つだった。
ちょうど同年代の子供たちの多くは、いやほとんどが貴族であったため、ジャネットにとっても、魔塔は過ごし易い環境だった。大人から入ってくるのは、主に平民出身者の者たちばかりだからだ。
そして、ユルーゲルはレニン伯爵家の者。貴族である。名前を変えたとて、伯爵家からの推薦があれば、幼くとも魔塔へ入ることが出来る。それを知っているのならば……。
「もしかして、過去からじゃなく……」
「ジャネット様。それはあり得ません。ユルーゲル様が生きていた時代は、五百年ほど前のことです」
ジャネットの憶測をいち早く読んだゾルレオが、否定した。そう、ユルーゲルが魔法で、過去から来たのではなく、若返ってここにいるのではないか、という憶測に。
再び魔塔へ入り、新たな知識と施設で、研究しようとしていたのではないのかと。
「けれど、十歳の男の子が魔法の研究なんて、するかしら。その頃といったら、せいぜい魔法の発動に集中する年齢でしょう」
「それは、まぁ……」
「才能の違いかと」
敢えてゾルレオが言葉を濁したにも関わらず、ユルーゲルが間髪入れずに答えた。
「……その時の年齢で、自分が大魔術師だと受け入れられたの?」
「まぁ、有りかと思いまして」
三つ、向こうの方が年上だったが、クソガキと思わずにはいられなかった。
ジャネットは一つ息を吐き、話を戻しましょうか、と前置きをしてから話題を変えた。
「それで、大魔術師様は、何をしようとしていたのかしら。アンリエッタを使ってまで、魔法陣で一体何を召喚するつもりでいたの?」
隠し部屋で見た魔法陣は、アンリエッタの神聖力を使って、新たな魔法を生み出すようなものではなく、召喚するような類のものだった。それで呼び出された者は、人間の女性。ただ一人。
仰々しい物の割には、拍子抜けするようなものが出てきたわけだ。あれがユルーゲルの目的ではないことは、一目瞭然だった。
なら、何がしたかったのか、それは当然思い当たることだった。しかし、ユルーゲルの返答は呆気ないものだった。
「何も」
負け惜しみでも何でもなく、そう言い放った。それには隣にいたゾルレオも、驚いた顔をしていた。
「あぁ、言葉が足りませんでしたね。私はただ、魔力で作られた魔法陣に、神聖力を流し込んだら、何が起こるのか、それを知りたかっただけなんですよ。結果はご覧の通り、人間一人を召喚したわけですが。何故彼女であったのか、とても興味深い出来事になり、益々研究の甲斐があると、改めて感じました」
ただ知りたいからやった。ユルーゲルはそう言っているように思えた。幼い無邪気な子供が、昆虫に残酷なことをするような、そんな顔をして。
これが天才なのか。これが大魔術師なのかと、そう思えてならなかった。
研究の被害者になりそうな人物が、アンリエッタから、マーカスに似た金髪の女性へと向かってしまったのではないかと、ジャネットは危惧した。いや、アンリエッタもまだ、その枠の範疇にいるのかもしれないが。
「レニン伯爵。貴方は分かっていて、ユルーゲルに協力したのかしら」
「申し訳ありません。探求心を抑え切れませんでした」
ゾルレオの気持ちも分かるが、魔塔の主として、そして一個人として、見過ごせることではなかった。新たな被害が出ないためにも、処罰は必要だった。
事の重大さに気づいたゾルレオは、まだいい。隣で反省の色さえ出していないユルーゲルを、どうするべきか。それが頭の痛いところだった。何せ相手は、大魔術師となった男だ。私に制御出来るだろうか。
「とりあえず、レニン伯爵。貴方の処分は、魔塔に帰ってから、協議の上、判決を下すわ。そしてユルーゲル、貴方は……」
ジャネットはユルーゲルをじっと見つめた。青い顔をしたゾルレオなど、ユルーゲルは気にもしていなさそうだった。それがまた、ジャネットを不安にさせた。
自分がどれだけのことをしたかも分かっていない状態で、ゾルレオ同様、魔塔で処罰を下した後も、このまま野放しでいいのだろうか。現に対象者が、アンリエッタから金髪の女性へと変わってしまったのなら、尚更放置してはいけない気がした。
あまり気は進まないけど、被害を抑えることができるのなら――……。
「まず、学術院に多大な迷惑をかけたのだから、教授職は辞されるでしょうね。院長はそのつもりだと思うわ。魔塔の対応は、伯爵同様、追って沙汰が出るでしょう。それまでは、ここで大人しくしていてもらいたのだけれど……」
「別に場所は、何処だって構わないのですが。ジャネット様は、何もするな、と仰っているんですよね。う~ん。それは無理かと」
「ユ、ユルーゲル様」
空気を読まないユルーゲルに対して、慌てて諭そうとするゾルレオを、ジャネットは片手を上げて止めた。こうなることは、予想していたからだ。
「いいのよ。だから、提案があるの、ユルーゲル」
「何でしょう」
「傍で監視することにしたの。私の護衛魔術師になりなさい」
前置きで提案と言ってはいたが、ほぼ確定事項で言い放った。そしてユルーゲルも、間髪入れずに答えた。
「良いですよ。勿論、ジャネット様の監視の下でなら、研究を継続しても構わない、ということですよね」
「……彼女たちに、これ以上危害を加えなければ、許可するわ」
それが、ジャネットが出来る最大限の譲歩だった。
「一つ聞いても良いかしら。何故、アンリエッタだったの? 他にも、条件を満たした者など、いたのではないの?」
ジャネットがアンリエッタの情報を掴んだのは、ゾルレオたちの噂から知り得たものだった。
さすがに、聖国であるゾドから見つけて、攫うなんてことはするとは思えなかったため、必要性の有無として、マーシェルに絞ったら、アンリエッタに行き当たった。
けれど、その他にも有力な候補はいたはずだ。行方知れずとなっていたのも、アンリエッタだけではない。今回、たまたま見つけた形にはなったが、彼女に絞らなければ、ユルーゲルが求める条件にあった者を、攫ってくることなど、出来たはずではないだろうか。
不思議と、ユルーゲルがアンリエッタに固執したように、思えてならなかった。そう、まるで待っていたのか様に。
「それは、神聖力を持っていた者の中で、銀髪だったのが、彼女だけだったからです。勿論、ゾド以外で、ですが」
「えっ、髪の色が重要だったの?」
「はい。この時代に聖女と呼ばれている女性はいませんが、私がいた時代には、ゾドにいました。正確には、ゾドという国が出来る以前、ゾド公爵家の傍系にいたのです。そして、その家の特徴が、銀髪だったんですよ」
ユルーゲルは、そっと自分が生まれた時代について話した。このソマイアも、マーシェルもまだ国ではなく、一公爵家として存在していた時代のこと。
ゾド公爵家は、聖女を輩出した家系であった。そして、次第に年代を重ねていくにつれ、神聖力を持った子供を生まれ易くするために、傍系を沢山作り出した。ちょうどユルーゲルが生まれた時代には、ゾド家もしくは傍系から生まれる聖女の特徴に挙げられたのが、銀髪を有していることだった。
「銀髪で、しかも神聖力も強い。まさに聖女と呼んでも、可笑しくはありません」
「それが本当だったら、貴方、ゾドを敵に回すようなものよ」
「ははははは。そうかもしれませんね。けれど、幸いにも、ゾドは彼女の存在を知りません。彼女も知られたくないから、逃げていたのでは?」
アンリエッタが逃げていたのは、マーシェルの孤児院だ。けれど、その孤児院は教会と繋がっている。つまり、ユルーゲルの言う通り、ゾドから逃げているようなものだった。
奇しくも、ユルーゲルには捕まってしまった、というわけだが。ジャネットは、頭が痛くなるような問題が、また一つ増えたような錯覚を覚えた。
「そして、ジャネット様は当然、ゾドに彼女を引き渡すようなことは、なさらないんですよね」
「当たり前じゃない。確認はしていないけれど、アンリエッタはそれを望んでいないのだから。守るわよ」
それを聞いたユルーゲルが、どういう訳か、満足そうに微笑んだ。
「何?」
「いえ、お気になさらないで下さい」
ユルーゲルの顔を見てジャネットは、やはり、この男を制御するなんて、出来ないんじゃないかと思えた。ユルーゲルを護衛魔術師として、監視しようとした選択を、今から後悔しそうでならなかった。
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