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ジャネットの言葉を聞いて、やはりジェシーに似ていると思ったら、自然と笑みを浮かべていた。そしてようやく、ユルーゲルとしてジャネットに接することが出来ることを、嬉しくも感じた。
そもそもジャネットには、護衛がついていなかった。ソマイアの各地を飛び回っていると聞いていたが、一応王女という立場として、一人もいなかったのが、むしろ可笑しな話だった。それ故、今更私がその任に就いたとしても、疑う者などいないだろう。
「表向きは今まで通り、アズール・マスティーユを名乗ったままで頼むわね。大魔術師に似ているなどと言われても、誤魔化しなさい。肯定したら、ややこしくなるのは目に見えているのだから、分かったわね」
五日後、別邸にて事後処理を終えたジャネットに伴って、ソマイアの首都にある魔塔へと行くことになった。その際の口裏合わせという名の注意事項を、臨時で別邸に設けられた、ジャネットの部屋で受けた。
このまま、この時代で過ごすつもりでいるため、今更本名で名乗らずとも、構わなかった。名前など肩書き同様、ただの呼称としか、元々思っていないし、固執するほどのものでもなかった。
さらに言うと、年齢もそうだった。毎年一つずつ増えていくものを、いちいち覚えるのは面倒だった。ジャネットに聞かれた時は、話の流れで、先に計算しておいたのだ。
「承知しました。それで魔塔へは、今日発つ予定でしょうか?」
この五日間というものの、ユルーゲルは別邸から出ることが出来なかった。正確に言うのならば、ジャネットが別邸の中を動き回っていたお陰で、外に出るような時間が取れなかったのだ。
折角、魔塔から魔術師たちを、それなりに連れて来ているというのに、それらに任せるということを知らないのか、自ら隠し部屋を調査していた。そして、分からないことがあると、ユルーゲルに尋ねていたのだ。まるで、犯人立ち合いで現場検証をしているような意味合いになっていた。
監視目的とはいえ、一応名目通り護衛魔術師のつもりだというのに。
表面上は不服な態度は見せず、従順そうな素振りで、今も尚変わらずに、ジャネットの傍らにいた。そんなユルーゲルに対し、ジャネットは逆に、呆れた顔をありありと見せた。
「本当はそうしたいのは山々なのよ。だって貴方、反省なんてしていないでしょ」
「まさか、そのようなことはありません。反省しているからこそ、このようにジャネット様のお傍に控え、質問にも嘘偽りなく、答えているのではありませんか」
一応、心外とばかりに、驚いて反論してみせた。
「まぁ、まだ正式に任命していないのに、大人しく従ってくれていることに対しては、評価をするわ。けれど、それとこれとは話が違うのよ」
「どう違うのですか?」
「……当事者でありながら、どこか他人事のように振る舞っていて。しかも、巻き込んだ相手を、心配する素振りもしていない。これを反省していないと言わないで、他に何て言うのよ」
あぁ、と内心納得した。すでに終わった出来事は、自分の管轄……また手の中には、もう存在していないことになっている。存在していないのだから、関心もなく、心配する事なんて、さらにあり得なかった。
向こうとて、私が心配するような人間だとは、思っていないだろう。そういう配慮が、昔から欠如していた。
「では、どうしたら信じていただけるのでしょうか」
「そうね。とりあえず、迷惑を掛けた方面に、謝罪と事情を説明しに行きましょうか。貴方のことは、書面で残すのは危険だから、直接行った方が良いと思うわ。それに、すぐにギラーテから離れることもまた、出来ないのだから、丁度良いでしょう」
正確には、したくないのでは、と口に出そうになり、慌てて口を噤んだ。
ジャネットがギラーテから離れたくないのには、二つの理由があった。
一つ目は、アンリエッタ・ゴールク。いや、イズルだったか。彼女が五日経っても、まだ目を覚ましていないことだった。原因は十中八九、心身の疲労だろう。
神聖力を持つ者は、元々回復が早い。加えて、治療として神聖力を分け与えられてもいた。それなのに、目を覚まさないことを見ると、相当体にも、精神にも負担を生じていた、ということになる。
時間を掛ければ、治る話だった。
「院長と団長には、すでに説明は終えているし、事後処理で忙しいと思うから、魔塔へ発つ直前に、挨拶と一緒にした方が良いわね。冒険者ギルドには、詳しい説明は出来ないから、これもまた後回しで大丈夫でしょう」
「一番気がかりな所に、私を連れて行くのは心配ですか?」
「いえ、私は貴方の見解も聞きたいのだけれど、向こうが嫌がると思うから」
ジャネットは歯切れが悪そうに言った。向こうとはおそらく、マーカス・ザヴェルのことだろう。
アンリエッタのこともそうだったが、ジャネットが離れたくない理由の二つ目にも、彼は関わっていた。
そう彼は、魔法陣から召喚された女性、パトリシア・ザヴェルの弟だったからだ。
パトリシアは現在、学術院で保護されている。侯爵令嬢である彼女の扱いとしては、別邸で過ごしてもらうのが、妥当だったが、事が事だけに、承諾されず、このような処置となった。向こうも混乱状態のため、大人しく聞き入れたと聞いている。
「けれど、アンリエッタさんのこともしかり、パトリシア嬢のことも含めて、いずれマーカス殿と、会わなくてはならないのは、明白です。後回しにせず、行きましょう」
「ただ、貴方が行きたいだけではないのかしら」
「それは心外です。私はジャネット様の背中を、押して差し上げただけですよ」
ジャネットに言われたことも、当たってはいたが、どちらも本心だった。
「ユルーゲル、マーカスをあまり刺激しないように、お願いできるかしら」
「う~ん。心掛けてはみますが、効果のほどは期待されない方が、よろしいかと」
「そうね。貴方の存在だけでも、刺激してしまいそうだから」
俯いて諦めたように、ジャネットは息を吐いた。
「……気が重いけれど、私もそろそろ様子を見に行きたいところだったから、行きましょうか」
「頑張りましょう」
「貴方に言われると、少し腹が立つわね」
そうですか、と笑って見せた。弱気な姿は彼女らしくなくて、つい怒らせるような言葉を使っていた。
やはりジャネットは、この方が良い。どんな姿でも、このような弱々しい姿は見たくない。そう思いつつ、そんな彼女をこのように思わせた相手に、少しだけ苛立ちに似た感情を抱いた。
***
アンリエッタの見舞いに二人が赴くと、当然のことだが、マーカスが出迎えた。彼は、一番見たくなかった奴が来た、とばかりに、内面を一切隠すようなことはしなかった。
すでに二人が兄妹でないことは、分かっている。けれど、マーカスは周りに知れ渡った後でも、この家から出ていくことはしなかった。それだけ、家主であるアンリエッタが、目を覚まさない状態を、放って出ていくほど軽薄ではないのだろうと、周りも思ったのか、とやかく言う者はいなかった。いや、言える状況ではなかった、とも言えた。
本来なら、未だに眠り続けているアンリエッタは、自宅ではなく、然るべき施設……病院で療養するべきだった。が、それをマーカスが拒否した。
理由は簡単だ。私を警戒してのこと。いくらジャネットが監視していても、信用できなかったのだろう。今も尚、私に向けられる視線には、殺気とまではいかないが、敵意は感じられた。
とりあえず、何しに来たんだ、と言われなかっただけ、思ったより冷静であることが窺えた。
「アンリエッタの容態に、変化はあって?」
アンリエッタの部屋に向かう途中、ジャネットはマーカスの様子も窺いながら尋ねた。しかし、マーカスに聞かなくても、ジャネットはアンリエッタの容態を知っていた。
別邸から、アンリエッタが経営しているパン屋・ジルエットまでは、気軽に行ける距離ではなかった。短期間でも、魔法陣を設置すれば、容易に行くことは出来る。けれど、私の魔法陣に、いや魔法陣というだけで嫌悪するからダメだ、というジャネットの意見で却下された。
一応、転移魔法も提案したが、同じ答えが返ってきた。
一度ケチがついたものであっても、便利なものを使わない、というのは、理解できなかった。が、その原因を作った身としては、従うより他はない。さらに言うと、拘っていたのは、私ではないのだ。
そういった理由から、ジャネットは自ら行けない代わりに、毎朝医者をジルエットに向かわせ、その日の内に報告までさせていた。そのため、本日の報告もすでに済ませた状態だった。
それでも、その間に何かしら変化があったのではないかと、期待せざるを得ないのだろう。何せ、一日目のアンリエッタの容態は、あまり良くなかったからだ。
隠し部屋から出た後、医者の判断を仰ぐ前に、あまり動かさない方が良いだろうということで、別邸の客室の寝台に寝かせた。その間の移動はマーカスが、世話はジャネットがやっていた。
医者が来るまで、そして来てからも、アンリエッタは数十分置きに魘されていた。原因はおそらく、短期間で効率良く神聖力を吸収しようと、食事,睡眠,吸収を繰り返した結果生じた副作用の様なものだろう。薬や魔法など効き目は薄いが、使った代償と言ってもいい。
そのように、ジャネットに答えると、案の定、理解されなかった。が、仕方がない。これは、昔からの研究テーマだったのだから、ジャネットにどう思われようとも、やめる理由にはならなかった。
この時代に来て、大魔術師となった私が成し得た研究成果を、全て読み尽くした。伯爵邸や魔塔で、有り難いことに、大切に保管しておいてくれたお陰だった。
気になっていた案件や、やってみたかったものなどは、ほとんどがそれで完結してしまった。けれど一つだけ、成果が書かれていない案件があった。
本当にこの大魔術師が私なら、実験していても可笑しくはないのに、試した文章すら見つけることが出来なかった。それは、聖と魔を使った魔法陣による実験だった。
何故? と思うよりも、やるべきことを見つけたという感覚のまま、研究を開始した。そして、実験まで漕ぎ付けた結果は、さらに疑問を増やすことばかりだった。
何より、あの銀色の光は何だったのか。あのパトリシアという女性を召還した条件は何だったのか。
ユルーゲルは二人の会話を聞きながら、マーカスの背中を眺めた。疑問の共通点には、彼が必ずいる。そして、邪魔をするのもまた、マーカスだった。
「いや、魘されなくなってから、変化はない。……それと、毎日医者に視るよう手配してくれて、感謝する」
ジャネットがあり得ないものでも見ているかのような表情で、マーカスを見た。それに対して、驚いたり怒ったりなどすることがないことから、マーカスもまた、その反応を予想していたようだった。
「俺がお前に、感謝を言うのは、そんなに意外なことだったか?」
「そうね。口を開けば、皮肉ばかり言ってきた貴方から、例えそう思っていたとしても、そんな言葉を聞けるとは、想像出来る方が可笑しいわ」
マーカスはただ、ジャネットの言葉を受け流した。いつもなら、返ってくるものが来ないことに、違和感を覚えたが、それほどにマーカスが疲れているのだと、そう悟った。
「気分が悪くなっている中、さらに悪いが、パトリシアのことも、任せっきりにさせて、すまなかった。落ち着いたら行く、とだけ伝えておいてもらえると有難い。それまでは引き続き、頼んでも構わないか」
「それはこちらの管轄にもなっていることだから、気にしなくても平気よ。安心していいわ。それよりも貴方の方は、大丈夫なの?」
今度はマーカスが驚く番だった。そしてもう一人、ユルーゲルも表に出すことはしなかったが、内心とても驚いていた。
ジャネットの中で、マーカスもまた懐の内側にいる人物になったのだろうか。冒険者として振る舞うために、共にしている二人は仕方がないとしても、あまり男をその中に入れて欲しくなかった。その原因を作ったのが、自分自身であるため、頭を抱えたくなるような心境だった。
「それこそ、気にする必要はない。様子を見に、毎日エヴァンもやってくる。あと、アンリエッタの友人が食材だけじゃなく、料理も持って来てくれているから、その辺も不便なく過ごさせてもらっているんだ」
「彼女……、ロザリーにはなんて?」
「体調を崩して、数日寝込んでいる、とだけ。嘘はついていない」
「そうね」
そう言って、マーカスとジャネットは立ち止まって振り返った。突然、二人の視線を受けたユルーゲルは、ただ微笑んで答えた。誰かさんのせいでね、なんて無言の言葉は聞こえない振りをして。