ズリズリ…
ズリズリズリ…
上裸の少年が重装備な旅人を引きずる様子はとてもシュールなもので、少年を館の入り口で迎えた男達もその異様な光景に開いた口が塞がらないようだった。
「ど、どりみー…?」
「ン?アァ…キョーサン」
重い、手伝って。と言われてようやく体を動かし始めたきょーさんこと金豚きょーは、目の前の少年がついぞ人を[ピー]してしまったのかと思ったが、男の呻き声が聞こえてその可能性は無い事にホッと胸を撫で下ろした。
「コイツ……どりみー、拾ったんか?」
「…ウン」
「あそこの部屋か、客室に運ぶか…あぁ、和室もありやな…どこがええ?」
「……客室」
短い返事に了承の意を示してから男を担ぎ上げた。
男が小さく呻いたのに反応して、少年の眉がピクリと動く。
「…乱暴ニシスギナイデネ…アト、ソノ人ノ目ガ覚メテモ俺ニ近ヅケナイデ」
「え、でも…」
「キョーサン、オ願イダカラ…コレダケハ ワカッテ…」
少年の瞳に差した深い影に、きょーは言いかけた言葉を飲み込み、それ以上は何も言うことができなかった。
「どっこいせ…はぁー、重いわぁ……」
ふかふかのベッドに転がすと、男は小さく呻いたものの目を覚ます事はなかった。
なんとか身なりを整えてやろうと思ったが、全身泥だらけの男を独りで綺麗にするなんてとてもじゃないが難しい。
仕方なくきょーは助っ人を呼ぶ事にした。
「レーウー!レウクラ〜!!」
「わぁぁっ!?なにっ、なになになに!?」
「どりみーが人間拾ったぁ!!」
「なになにどういうこと…って、あらら…」
扉から顔を覗かせた髪の赤い男_レウクラウド_はベッドの上で眠る男を見て、子供が拾った捨て猫を見た母親のように額に手を当てて全く、と溜息をこぼした。
「とにかく…身体の泥拭って、着替えさせて、怪我してるなら簡単に応急処置して…」
「医者は?」
「ここに呼べると思う?」
「そらぁ、呼べる訳ないわな」
「ここの別名は厄災の魔女の森らしいよ?」
周囲の国からは、簡単に手を出したら手酷いしっぺ返しを喰らう事になるほど残虐で恐ろしい魔女が住んでいる…と噂されている。
実際いるのは誰よりも優しい男の子なのにね、と彼にしては珍しく皮肉めいた口調で誰を相手にするでもなく毒突きながら、ただひたすらに泥を拭った。
「…ま、こんくらいでええやろ」
「そうだね…じゃあ俺は包帯とかそのへん用意してくるから、服はよろしくね」
「おー…めんどくさいわぁ」
男の裸なんて少しも嬉しくないわ、とボヤきながらテキパキと服を着替えさせる。
肌触りの良い素材の白いワイシャツと、伸縮性のある素材の黒いズボン。
ここに青いニット帽やら、赤いマフラーやらを装備させたら、きっとあの男のようになるのだろう。
「……どりみーには、寂しい思いしてほしく無いんよなぁ……」
きょーの憂いを気にかけるかのように、空からは雨が静かに降っていた。
・ ・ ・
「ゔ……ぅ…?」
目元をゴシゴシと擦り、男はそっと上体を起こして辺りを見回した。
すっかり知らない場所へやって来てしまった事に気が付いた男は、少し怯えながらもそっとベッドから降りようとして、襲い来る倦怠感に膝をついた。
「ゔ、ぇ…」
吐き気を伴う体の不調に、否が応でも地面に伏せざるを得なかった。
こんな事になるならベッドから出るんじゃなかったと悔やんでも、時すでに遅し。
「あーあーあー…なぁにやってんねん」
呆れた声が頭上から降り注いで、ふと顔を上げる。
見慣れない金髪とザラメを煮詰めたような色合いの瞳に見下ろされ、手足が竦む。
「ま、どりみーの側におったんやし、しゃーないわな…そんくらいで済むだけましや」
「ぁ、の……」
「あ?俺は金豚きょーやで、よろしく」
聞いてもいない名前を教えてくれるわりに、自分の話を聞いてくれる気は無いらしい。
おら、立てや、と猫を持ち上げるように脇の下に手を差し込まれ、ベッドへと戻される。
うんうん唸りながら倦怠感に耐えていると、また別の声が聞こえてきた。
「これ、よかったら飲んで」
「レウ!?おまっ、それ貴重やろ!?」
「みどりくんからのお願いだよ、使っても構わないから治してあげてほしい…ってさ」
「はぁぁあっ…ほんっとにお人好しやな…」
男が差し出された液体を飲んでいる間に、きょーは誰に似たんだか、とブツブツ言いながら部屋を出て行った。
男は幾分楽になった倦怠感に小さく息をはいた。
「あの…ここはどこですか、それに…貴方達は一体…?」
男の問いかけにレウクラウドは暖かい笑みを返す。
空になったグラスを片付けながら、男が混乱してしまわないように一つずつ丁寧に教えると、男は成程、と頷き、自分を助けてくれた少年に合わせて欲しいと願った。
「だめかな?」
「えっと…申し訳ない…」
「そっかぁ…」
「あー、えっと、名前は?」
「あ!俺は、らっ…だぁ…ですっ!」
星が弾けるような笑顔にレウクラウドは驚いた後、思わず笑みをこぼした。
それから、らっだぁとレウクラウドと、帰ってきたきょーの三人でしばらくの月日を共にした。
それから、怪我が随分と治ってきてしばらく館で生活していても、その恩人の少年の影すら見ることができなかった。
「お礼、言いたいんだけどなぁ〜…」
とはいえ、きょーやレウクラウドに何を言っても黙って首を横に振られるだけだということはここ数日のやり取りでわかっている。
「探しに行くしかないか…」
善は急げ。
ニコチンを摂取しにバルコニーへ向かったきょーと、夕食の支度を始めたレウクラウドの二人にバレないように客室を出て外を探索する。
(まだちゃんと探せてないのは、外の温室と館全体を取り囲んでいる森だけ…)
森を全て見るのはかなりの重労働である事に気が付いたらっだぁは、森へ向かおうとしていた足のつま先を温室へと向けた。
もちろん、効率を考えてのことであって、決して面倒だからとかそういったものではない。そんなことはないのだ。
「ん、声…?」
温室の扉を開けると、二人分の声が聞こえてくる。
暖簾のように前方を塞いでいる長く伸びた植物の蔓をどかして覗き込むと、探していた人物であると思われる少年と布面を身に付けた紳士的な印象を受ける男が向かい合ってお茶をしていた。
「…!」
(あ、目があった…)
目が合ったと思った瞬間、布の余る大きな袖で口元を隠し、ゴミムシでも見るかのような顔で見下ろされた。
これでもかというほど露骨に嫌悪の感情を出され、らっだぁは何も言えずにその場で固まってしまう。
「……フンッ」
(は、鼻で嘲笑された…!!)
少年はフイと顔を背けると、どんな原理なのか、すぅっと空気に溶けるようにして姿を消してしまった。
感謝を伝えるべく探していたはずの相手から向けられた嫌悪の表情に愕然としていると、少年の向かいの席に座っていた紳士が少し困ったような様子で相席を促してくれたので、らっだぁは素直にそれに応じる事にした。
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