「――いざ、『転生』だ」
祓魔師の姿をした蟲が笑う。
笑うと同時に凄まじい衝撃で俺の意識が吹き飛ばされた。
俺の意識が後ろに跳ぶ。
木霊こだまする蟲の笑い声が聞こえる。
そして俺が目を開けば――そこは、視聴覚室の中だった。
……戻ってきた?
前を向くと、俺の目の前には俺を心配そうに見つめるアヤちゃんと白雪先生がいた。空気を吸えば、エアコンで冷やされた空気特有の匂いが鼻をくすぐった。
外ではセミの鳴いている声が聞こえる。
グラウンドからは、父親と合宿にやってきた祓魔師見習いたちの声が聞こえる。
何も変わっていない。
夏合宿のどこにでもある景色。
そうであるのに、そうであるはずなのに……。
「……なんで、外に」
俺を見つめるアヤちゃんと白雪先生のその後ろ。
そこには、若・い・祓・魔・師・が・立・っ・て・い・る・。
『何故、と問うのもおかしな話ではないか。童わらべ』
陰陽師のような服を来て、まるで時代劇から唐突にそこに現れたような姿で、男はそう言う。
『我の全てを見たのであろう? だとすれば、知っているはずだ。人に巣食い、力を奪い、そして受肉し、転生する。これが我の見出した――永遠だ』
「……ッ!」
俺は氷雪公女と『共鳴』して見ていた。
この男は不死になろうとして、なれなかった。
だから死なないために、別の方法を探していた。
蟲に自分の意識を植え付けて氷雪公女の中に潜ませた。
氷雪公女を操って、アヤちゃんの中に潜んだ。
何のために? 決まっている。
蟲はモンスター。だとすれば、魔力で身体は手・に・入・る・。
思わず言葉を失った俺の横にいた白雪先生が一歩前に出て、叫んだ。
「だ、誰ですかっ!」
『そういえばまだ名乗っていなかったな。我が名はハルナガ。化野あだしの晴永はるながと言う』
ハルナガと名乗った祓魔師が笑うと、その手元から『形代カタシロ』が現れる。
『ふむ。厄介なのが2人いるな。集まられてはかなわん』
そして形代カタシロが窓の外に飛び出すと、半透明の壁みたいなものが教室の外をぐるっと囲んだ。
その瞬間、セミの声もグラウンドから聞こえてきた祓魔師見習いたちの声も消える。
その代わりにエアコンの動く音が耳に入ってきた。
『これで声も術も届きはせん。しかし、童わらべ。我とて生き返った身。どうかここで見逃してはくれぬだろうか』
「……逃すわけ、無いでしょ」
『ふむ、そうか。では』
再びハルナガの手元から形代カタシロが溢れ出す。
1枚、2枚、3枚と増えていく。
……まずいッ!
「下がってッ!」
俺はそう叫ぶと同時に白雪先生とアヤちゃんに『導糸シルベイト』を巻きつけると、力強く引く。
『ここはいったん、引くとしよう』
「……『鎌鼬カマイタチ』ッ!」
ハルナガよりも先に、俺の魔法が発動。
『形質変化:刃』による斬撃がハルナガに届くよりも先に生まれたのは巨大な金属の結晶。
ガガッ!!
俺の魔法が金属を削る音が響くと同時、目の前に生まれた結晶の壁を乗り越えて、形代カタシロが飛んでくる。
だが、ここは現実世界。
さっきまでの俺と違うことが2つある。
1つ。
ここでは俺が魔法の威力を調整する必要がない。
そして、2つ。
俺の手元には雷公童子の遺宝がある。
「『雷檻ライカン』」
俺の『導糸シルベイト』は鳥かごのように落雷すると、俺に迫ってきていた『形代カタシロ』を焼き払う。
そして俺はさらに一歩踏み出して、詠唱。
「『樹縛ジュバク』ッ!」
再びの拘束魔法の詠唱。
だが、不完全なこれでハルナガを止められるとは思っていない。
これは、ハルナガを部屋から追・い・出・す・魔法だ。
俺の詠唱と共に無数の枝木が伸びると、金属結晶の壁を飲み込む。
もちろん、その後ろにいたハルナガごと巻き込み、窓を壊し、外へと突き抜けた!
視聴覚室の外に追い出した。
追い出したのなら、もう構うことなどなにもない。
「イツキくん! い、今のは!?」
「あれがアヤちゃんの魔力を凍らせていた張本人なんです! 氷雪公女は悪くない!」
「……じょ、状況は見えませんが理解はしました。あれが元凶の……“魔”ですね」
「そうです!」
俺はそう言いながら窓の外を見る。
そこには木々の枝に絡まって身動きの取れないハルナガが俺たちを見ていて、
『火の行――「猛火」』
詠唱と共に『形代カタシロ』が発火して、俺の拘束魔法が燃やされる。
しかし、問題はない。
既に部屋から追い出しているのだから。
俺もハルナガを追うようにして部屋から飛び出すと、『導糸シルベイト』をまっすぐ伸ばす。
伸ばす『導糸シルベイト』は5本。
それぞれに属性変化を付与した『導糸シルベイト』だ。
『互いの術は拮抗。我に一日の長ありと言ったところか』
「拮抗? ううん。拮抗なんてしてないよ」
アヤちゃんを傷つけないように。
氷雪公女を傷つけないようにセーブしていた俺の魔法と、こっちでの魔法を同じにしてもらっては困る。
だから俺は『導糸シルベイト』を放とうとした瞬間、
『我のような凡百な才を持った者はな、考えるのだ。いかにして、強者の喉元に食らいつくかを』
「…………?」
『狩人が最も油断する瞬間は、獲物の命を捉えたその寸前である』
ハルナガはそう笑う。
その視線は俺を見ていない。
俺の後ろを見ている。
何かと思って振り向けば、そこには『形代カタシロ』が浮かんでいる。
だが、別にハルナガが『導糸シルベイト』を伸ばしている様子はない。
『形代カタシロ』と『導糸シルベイト』は繋がっていない。
だが、何故それを見ているのか。
理由は分からないが、分からないこそ放置はできない。
俺は『形代カタシロ』に向かって『導糸シルベイト』を放った瞬間、
「火の行――『陽華ようか』」
形代カタシロから詠唱の声・が・聞・こ・え・た・。
次の瞬間、形代カタシロから『導糸シルベイト』が溢れると同時に激しい光に目が俺を包んで――爆発する瞬間、形代カタシロが凍りついた。
ただ凍っているのではない。
『導糸シルベイト』ごと、魔力が凍っている。
だから、爆発しなかった。
呆気に取られている俺と、そして目を丸くしているハルナガの足元を冷たい風が抜けていく。
冬のように冷たい風が。
振り向いて窓際を見れば蒼い『導糸シルベイト』を伸ばしているアヤちゃんの姿があった。
だが、違うのは『導糸シルベイト』の色だけではない。
彼女の瞳も、蒼くなっている。
「……氷雪公女」
俺の言葉に、果たしてアヤちゃんの姿をした氷雪公女は頷いた。
「アヤが貸してくれたのだ。イツキを守るようにと」
「……うん。ありがとう、助かったよ」
まさに不意打ちだった。
氷雪公女が凍らせてくれないと危ないところだった。
だが、感謝も早々に思わず俺は氷雪公女に尋ねた。
「でも……大丈夫? アヤちゃんを乗っ取ってるんでしょ? 戻れるの?」
「人聞きの悪いことを言うなッ! 乗っ取ってない、借りているのだッ!! 戻れるッ!!」
しかし、俺の問いかけに氷雪公女は地団駄を踏みながら答えた。
身体ってそんなに簡単に貸し借りできるものなの?
まぁでも、本人が戻れるというのであれば戻れるんだろう。
さっきまで彼女と『共鳴』していた俺には、氷雪公女が嘘をついているようには思えなかった。
ただ、アヤちゃんの姿で地団駄を踏むのはやめてほしい。
あまりに似合わない。
そう思っている俺とは裏腹に、氷雪公女はまっすぐハルナガを見つめて言った。
「前を向け、イツキ。蟲を祓うぞ」
「……うん。分かってる」
ハルナガの命のカウントダウンは既に始まっているのだ。
次の一手で、終わらせる。