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今夜もバーでの勤務があり、土曜日の夜に出勤した。
「さぁ、やって来ましたー!!本日は夏祭りイベントです!しっとり飲むも良し、限定カクテルで映え撮影するも良し、俺たちバーテンとお話しするも良しです!」元気いっぱいの彰が開店前から並んでくれているお客様達にノリノリで説明している。
「彰くんは甚平なんだね。似合うね〜。」
お客様に声を掛けてもらい彰も照れている。
「俺、無駄な動きが多くて浴衣だと堅苦しいのでマスターに甚平にしてもらいました。マスターもカッコ良いですよ!じゃーん!」両手をヒラヒラして、お店の外の様子を見に来たマスターへ目には見えないセルフスポットライトを当てて楽しそうに紹介している。
「マスターはオールバックに生成りの浴衣なのね!激渋っ!」浴衣は袖が長いので紐で襷掛けをしたスタイルでお客様の接客をする。
バーの雰囲気を大切にしつつ、季節のイベントも楽しむ事を目的にしたところ、ご来店頂いた女性客にも好評だ。
ところで僕はというと…。
「あ、これから着替えて来ます…。」並んでいるお客様へぺこっと頭を下げて店内の更衣室へ向かった。
しかし、「こ、これは…。」
そう、何故か僕には女性物の浴衣が用意されていた。そしてまたまた何故かマスターは着付けが出来る。白地に大柄の赤い花と黒い花の浴衣。綺麗だけど…。
イベントなのは知っていたけど、「俺が用意しとくから⭐︎」と、言っていたマスターを信じて出勤したらこれだ。
「マ、マスター??これ…女物じゃ…。」更衣室で浴衣を手に取りながら困惑していると「うん!ツキ、絶対似合うからこれな!強制。」サラッと言い切られた。
信じられない。33歳にもなって強制的に女装する事になるとは…。
「ど、どうしよう…。」
「大丈夫、大丈夫、絶対似合うから!」
「いや、そうじゃなくて…。」他に替えは無いらしい。
「ちゃんとヘコ帯と、可愛い下駄もあるからな⭐︎可愛いくしてやるから安心しろ。」親指を立ててドヤ顔しないでほしい。何をどう安心しろと言うのか…。マスターがこういうイタズラをするのが好きな人なのを忘れていた。
「ツキくん!そしてご安心下さい!ヘアメイクはこちらの方をお呼びしましたー。僕の彼女の菜央ちゃんです!」
「彼女?!彰くん彼女いたんだね。お店まで引っ張り出しちゃって大丈夫なの?」
「だーいじょぉーぶですっ!菜央ちゃんは手先が器用なので、ご安心下さい!あと、ツキくんに会うのをとっても楽しみにしていたんですよ。」
彰くんの横には、無言なのに満面の笑みでこちらを見ているピンクの浴衣を着ているボブヘアの女の子がいる。今日は情報量が多いな…。きちんと向き直って
「菜央ちゃん、ツキです。今日は宜しくね?…合ってる?」
「ツキさん、合ってます、合ってます。ほら、菜央ちゃんもご挨拶してー。」
「ツキさん!本当にネタに良い!あ、間違えた。」
「ネタ…?」
「菜央です!本日は初対面ですが、あれこれ隅々まで触らせて頂き、可愛いくさせて頂いちゃいますので、宜しくお願い致します。」
「菜央ちゃん、ツキさん怖がってるから。どーどー。すみません。菜央ちゃん腐女子で2.5次元好きだったりするのでパラレル発言がありますが、とっても良い子なので!自慢の彼女なので!!」
「ちゃんと惚気るんだね…。」
そんな3人の更衣室でのやり取りをマスターは腕組みをしながらうんうんと、頷いている。
「じゃあ、宜しくお願いします。」マスターのみならず彰くんと菜央ちゃんまで加わるともう太刀打ち出来そうにない。
「おし、まずは着付けしような!20分くらいだから、ちょっとその間、彰と菜央ちゃん宜しく!」
「ラジャ×2」と声を揃えて言うと2人はお店の方へ消えて行った。「息ぴったり…。」
「実はツキが体調崩した時とかに菜央ちゃんにも来てもらってたし、彰もだいぶ慣れてきたから任せて大丈夫だよ。」
「そうなんですね。」
ほっこりしたのも束の間、マスターに着て来た洋服を全て剥かれた。
着付けの後は菜央ちゃんにヘアメイクをしてもらった。サイドを簡易的なコーンロウにしてもらい、まとめた髪の毛のある方の耳の下に大きな赤い花の髪飾りを付けてもらった。
可愛いけど、本当に僕はこれで良いのだろうか…。
「はい!完成!完璧!私天才!ツキさん最高!!」
「あ、ありがと。」
カウンターへ出ると「え?!ツキくん!!??女性物の浴衣じゃない?!きゃぁー!似合い過ぎるぅ!!」店内のお客さんとの撮影タイムが始まった。
「あ、あの…SNSには…ちょっと恥ずかしいので…。」
「ツキ、皆さんには好きなだけ撮って店名と一緒に載せてもらいなさい!!」今日のマスターは誰の事も止める気は無いらしく、仏の様な優しい微笑みが逆に怖い。
「うわぁーっ!!ツキさん、ヤバいですね!さすがですね!」彰くんもテンションが高い。
・・・・
お店もオープンしてから満席になってしまう程お客様が来てくれていた。初めて来てくれた方もとても楽しそうにしてくれている。
「なかなか外では花火が出来ないご時世なので、サービスでお酒に綺麗な花火を付けてお出しさせて頂きます。」マスターのサービスも大盛況だった。
途中、同伴のお客さんと一緒にジュリが入って来た。「ツキ…天使。」「いや、ジュリ。僕は人間だよ。」口を抑えながらキラキラした眼で見ていたかと思うとスマホの写真を連写で撮り始めた。
「ジュリ、お連れの方がびっくりしてるから早くお店に行きなさい。」「はぁーい♡」思ったより早く行ってくれてホッとした。
次は壮一が来た。「ツキ?今日は賑やかだ……もう帰る。」僕の姿を見たら壮一はそのまま帰ってしまった。何しに来たんだ。でもしっかり写真を撮っていたのでもう良いんだろう。
残るはあと一人…確か今日は残業らしいから来ないかもしれない。イベントの事は言わなくて良かった。
そろそろ閉店する時間になった。閉店のアナウンスをすると少しずつお客さんも減って来た。そこへ最後の一人が入って来た。
「あれ?今日って何かやってるんですか?……。」
気付いた途端に静かに泣いてる。僕の周りの人はどうしてこうも騒がしいんだ…。
「千景、泣いてるの気付いてる?大丈夫?」
「ハッ!残業の地獄から一気に天国に来て死んだかと思った。」
「何言ってるのか分かんない。ラストなんだけど、何か飲む?」
「都希を一杯。」
「だから何それ。」
「今日のおすすめで。」
「はい。お待ちください。」
花火が刺さったカクテルを出してあげると「おぉー。すげぇー。」と言っていた。お酒を飲みながら片付けている僕をガン見している。
「今日はイベントの後の片付けがあるから会えないからね。」
「え…。はい。」シュンとしてしまった。
「写真撮らないの?」
『!!!!』
そうとは思ってもいなかった様で、スマホをすごい勢いで出していた。
「一枚だけね。」
「あ、はい…。」反応がわかりやすくて面白い。
「ふふ、嘘だよ。あと、遅くなっても待てるなら先に家行っても良いけど?来たいの?」
首が縦にすごい勢いで動いている。
「はいはい、ちょっと待ってて。」
更衣室に戻って鍵を取りに行き、千景に渡した。
「はい、これ。」
「本当に?鍵?」
「お風呂入っちゃて良いからね。」
「じゃぁ、もうかえります…。(小声)」
最後の一人も大人しく帰った。これで良し。
・・・・
やっと帰宅出来た。部屋に灯りがついているけど音がしない。そっと玄関から部屋に入ると千景はベッドで寝落ちしていた。『ふふ、やっぱ残業で疲れてたんだね。』
お風呂に入り、千景をベッドへ促すと寝ぼけながら移動してくれた。これ以上起こすのも可哀想だし、僕も寝よう。そう思って千景が暑く無い様に手の端っこだけ握らせてもらって眠る事にした。
『あれ?これなんだ?』いつも一緒に寝てるのに、何故か千景の指を握っている手が温かくて嬉しくなった。
◆◆◆◆
今日も夢の中で尚人の事を探している。
見渡すと、尚人を見つけた。やっぱり尚人は僕の知らない女の子とキスをするくらい顔を近づけ合って楽しそうに笑っていた。何で僕はここにいるんだろう。そう思うとグッと胸が苦しくなったけど、涙は流れなかった。
気が付くと僕のすぐ隣に誰かがいる…。
何故か急に嬉しくなった。
『そっちじゃない。お前の場所はこっちだぞ。』そう言って僕の手を引っ張って、息苦しいところから連れ出してくれた。手を繋いで歩き出す。
『行くよ。』
『…うん。』
いつもは辛い夢のはずなのに、初めて嬉しくて涙が出た。
・・・・
今日も目が覚めた。
でも、もう何も悲しくなかった。