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ある日、私の友達が死にました。
ある日、私は彼女と一緒に学校から帰っていました。
面白すぎて周りが見えないまま横断歩道を渡りました。
”赤信号”で。
私たちはそれに気づいたときはもう遅かったのです。
彼女の顔があっという間に潰れてしまいました。
ただ、それだけのことです。
…なんとも、思わなかったです。
人はいつか死ぬ。
その定義は誰も覆ることが出来ないのです。
でも、もし…その定義を覆すことが出来たらどうしますか?
不老不死のままずっと、生き続けますか?
周りの人間が無様に死んでいくのを、目の前で見ながら生き続けますか?
あなたなら、どうしますか?
…私は、そんなのどうでもいいので無視しておきます。
お葬式とかお別れの会とかそんなくだらないことはただお金が無駄です。
そんなごときにお金を使う人たちはみんな馬鹿です。屑です。
…そんなことを思っているのは…私だけでしょうか?
私は、彼に出会うまではこの定義をずっと持ち続けていました。
今は、どうなんでしょう。
自分でも…自分の定義が迷子になっちゃっています。
私も馬鹿なのです。誰かのことを馬鹿と言える分際じゃないんです。
でも、彼は”こんな人でも生きる権利はあるんだよ”と言いました。
私は、分からなかったです。
馬鹿や屑や無能な人間がこの世にいてはただの邪魔ものに過ぎないのです。
でも、そうじゃなかったらしいです。
誰でも生きれるこの世界が愛おしいのです。
私は、こんな理不尽な世界でも、大好きなのです。
誰だって、生きていいのです。
たとえ馬鹿や屑や無能でも、生きていいのです。
暫くの間、私は生きていいしっかりとした理由が見つからなかったのです。
私は、自分に利益のある行動しかしないのです。
虐めとか、どうでもいいのです。
虐めたければ勝手に虐めればいいのです。
私にとっては、どうでもいいんです。
誰かが誰かに欺かれているのを見るのは幸せです。
恐らく、私にとっての”幸せ”は誰かの不幸を見ることでしょう。
泣いている人、怯えている人、拒絶している人…。
見ているだけで、私は”生きててよかったな”と思うのです。
彼に出会うまでは不幸を見ることが”幸せ”でした。
今は…分からないです。
私は、だれなのでしょう?