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「おおー、なんか授業参観の匂い」
結城がカメラを構えつつ鼻をつまんだ。
「っていうか、化粧臭くないですか?」
隣で清野も鼻をつまむ。
「失礼よ……!あ、いた!右京君!」
加恵が叫ぶと、メイド服に身を包み肩までのボブヘアのウィッグを被った右京は振り返った。
「ちょっと会長!アイライン引いてるんだから動かないで!」
クラスの女子に諫められ、大人しく目を瞑る。
「やだー!右京君、かわいい…!」
加恵の声が近くで聞こえる。
「決起式の時のやっつけ女装よりは見れますね」
清野も偉そうに言う。
「ええっと我々は今、3年5組、6組合同のイケメン女装カフェの衣装合わせにお邪魔していまあっす!」
カメラを構えた結城の調子のいい声が続く。
「うっさいな。何しに来たんだよ」
右京は目をつむりながら小さく口を開いた。
「もちろん偵察ですよ!今年度間違いなく一番注目されるだろうこのお店を!」
「はあ?」
思わず睨む。
「お、おおおお」
右京が目を開けると、つけまつげとアイラインでいつも以上に大きくなった目に、3人は目を丸くした。
「騒ぐな。他のクラスの生徒は部外者だから出て行けよ」
諏訪の声が5組に響きわたる。
振り返ると、カフェ店員というより、バーテンダーと呼んだ方が正しいような諏訪が立っていた。
「おお、これは」
結城が慌ててカメラを向ける。
「馬子にも衣裳ですね」
清野が眼鏡を上げる。
「……言うと思ったよ…」
諏訪が目を細めながら生徒会メンバーを見下ろしたところで―――。
「はいはい、永月君、連れてきましたよー!」
6組の女子らがユニフォーム姿の永月を引っ張ってきた。
「おいおい。練習の邪魔するんじゃないよ」
右京が慌てて言うと、強制的に右京の隣の椅子に座らされた永月は苦笑した。
「あはは。いいよ。本番は冬だし。それまでずっと根詰めて練習してても効率よくないと思って。部員にも、文化祭は文化祭として楽しもうって言ってるから…」
「―――それならいいけど…」
「あれー蜂谷君は?!」
女子の一人が騒ぐ。
「ええ!今日は絶対残ってねって言ったのにぃ!」
悲鳴を上げる女子たちを眺めていると、
「それより」
永月が耳に口を寄せてきた。
「聞いたよ。生徒会の黒板にもメッセージがあったんだって?」
囁き声と共に、吐息が混じる。
「あ、まあな…」
永月はわずかに顔をしかめると、小さくため息をついた。
「そのことでちょっと話があるから、これ終わったらサッカー部の部室に来てくれる?」
「え、ああ。いいけど」
「―――よかった」
「はい、永月君、目瞑ってね」
女子に言われ、永月が目を瞑る。
男性用のファンデーションを塗られていくその端正な顔を見ながら、右京は小さく息を吐いた。
◆◆◆◆◆
「ここか…」
蜂谷は携帯電話のナビゲーションアプリをオフにすると、何やら古めかしい文具店を見上げた。
宮丘高校から徒歩、または電車一本で行ける駅周辺の文具店は22軒あった。
片っ端から電話をかけ、ヒットしたのは宮丘駅から電車で一本、5つ目の駅で降りて、徒歩10分のこの文具店だけだった。
電話に応対したのは若い女性の声だったため、なんとなく新しい店を想像していた蜂谷は、その古く汚い店を見上げ、頭を掻いた。
心なしか黄ばんだ自動ドアを通過し中に入る。
「いらっしゃいませー」
若い女性の声がした。
おそらく電話に応対したのもこの女だろう。
ロングの金髪に似合わない紺色のエプロンをしている。
年は20代後半だろうか。派手な髪型とピアスのわりに、化粧の薄い地味な顔の女だった。
「先ほど電話した者ですけど」
言うと彼女は少し意外そうに眼を見開くと、蜂谷をレジに案内した。
「これしかないけど?」
蜂谷はそれを見下ろした。
黒い封筒。
手に取った。
普通の洋形封筒なのに、色が黒いだけで、不思議と禍々しいオーラを感じる。
「―――ねえ。なんか流行ってるの?」
女性がカウンター越しに覗き込んでくる。
途端に香水とも柔軟剤とも違う、女特有の酸っぱい匂いがする。
「この間も男子高生がこれを買いに来たんだけど…」
カウンターに押し付けた胸が、柔らかく盛り上がる。
蜂谷は女の小さい目を見つめた。
「……お姉さん」
「え?」
「こんな客が来ない文具店の店番、退屈じゃない?」
言うと女は小さな目を見開いた。
「遊びに行こうよ。俺と二人でーーー」
◆◆◆◆◆
メイクを落とすのに思いのほか時間がかかった右京は、慌てて部室棟へ向かった。
「えっと……どこだ?」
2年の3学期に転入して以来、部活に所属する暇もなく生徒会に入ったため、部室棟に来ること自体が初めてだ。
柔道部、バドミントン部、テニス部、アーチェリー部、野球部……あった。サッカー部だ。
ひときわ大きな教室に入ると、部室というより更衣室と呼ぶべき量のロッカーが立ち並んでいた。
「永月…?」
言いながら中に入ると、奥の窓際に彼が立っていた。
「悪いね。文化祭準備で忙しいのに」
言うと永月はふっと笑った。
―――う。
右京はその爽やかな笑顔に息苦しさを覚え、軽く前のめりになった。
「大丈夫?腹でも痛い?」
永月が目を見開く。
「―――いや。それより話って何?」
「ええと……。なんていうのか、迷惑だったり差し出がましいようだったら、断ってくれていいんだけど」
永月は言いながら目を逸らした。
「俺、心配なんだ。あの手紙のこと」
「――――」
右京はふっと鼻から息を吐いた。
「大丈夫だよ。女でもあるまいし」
「関係ないよ…」
永月はこちらに向き直ると、真っ直ぐな視線を右京に落としながら言った。
「こういうのに、男も女も関係ない。異常者が右京に何かしようとしてるかもしれないってのに、心配しない方がおかしいだろ…?」
「―――永月」
……いや、両思いでしょ。それ以外になんかあんの?
蜂谷の声が聞こえる。
……今度こそコングラジュエーションですね。
違う。
だって、あの永月だぞ。
女子にもモテるのに。
周りに人があんなにいるのに。
そんな奴が―――。
俺なんかを―――?
「ねえ、右京……」
永月は右京から視線を逸らした。
「文化祭、来ないでって言ったら……どうする?」
「え」
「正直言って、危険だから参加しないでほしい。あんなに騒がしくて、どこの生徒かも、どこの人間かもわからない人たちが出入りして、そこここで奇声や笑い声がうるさくて。
そんな中、どこかに右京のことをつけ狙っている男が隠れているかと思うと、虫唾が走るよ」
永月の右手がきつく握られ、震えている。
「永月……」
「でも右京は生徒会長だから」
永月は息を吸い込み胸を膨らませた。
「責任感も強くて、それを投げ出さない奴だって言うのも理解はしてる。だから―――」
永月はこちらに視線を戻した。
「俺に守らせてほしい。右京のこと」
「俺のことを……守る?」
面食らって瞬きを繰り返すと、永月は右京に近づき正面から見つめた。
「―――カフェでは一緒に接客して、交代になったら校内を一緒に観て回ろう?それなら安全だし、俺も納得して文化祭の日を迎えることができる」
「……んなことできるわけないだろ、全国大会控えてんのに」
考える前に口が勝手に動いていた。
「万一何かあって、お前にケガさせたんじゃ、俺が全校生徒の針の|筵《むしろ》だっつの!」
右京は笑いながら彼の肩を叩いた。
「ダイジョーブ!俺には諏訪という野球部上がりの身体だけはデカい下僕がいるんだ。何かあったらあいつをボディガードにするから……」
「……嫌だよ、そんなの」
ぐいと腕を引かれ、抱きしめられる。
「俺に守らせてほしい……!諏訪じゃなくて。蜂谷でもなくて!」
「――――」
―――なんでそこで蜂谷の名前が出てくるわけ……?
少し体を離した永月がこちらを見下ろす。
「俺、好きなんだ。右京のこと」
「――――」
思考が停止する。
蒸しあがるような夏―――。
山の麓の小さな酒屋で。
自分に向けてくれた笑顔を思い出す。
永月が―――俺のことを―――?
「……返事はすぐにとは言わないから…」
永月の少し掠れた声が、至近距離で耳に響く。
「文化祭、一緒に回った後に、二人きりで聞かせてくれる?」
ギュッと抱きしめる腕に力が籠る。
それに合わせて右京の顔と視界も上にずれる。
と、窓枠の上に横に貼られた横断幕が目に入った。
『必勝!!全国大会制覇!!』
けして上手ではないが力強い字で書いてある。
「…………わかった」
右京は静かに言った。
「ありがとう…!」
永月が力を緩め、右京の顔を覗き込む。
「……ところで、あのスローガン、お前が書いたの?」
右京はそれを指さした。
「え?あ、ああ。地区大会の時にね」
永月は照れくさそうに振り返った。
「あんまり見ないでくれる?下手だから……」
その笑顔を見ながら右京も微笑んだ。
「まあ、上手とは言えねぇな」
見つめ合う。
永月の顔が右京に近づいてくる。
右京は静かに目を閉じた。
「部長!」
唇が触れあう直前、ドアからサッカー部員が入ってきた。
「またシャトル欄の計測器壊れて―――って、あ、会長!お疲れ様です!」
駆け込んできた2年生だと思われる男子生徒は右京に気づき、頭を下げた。
「……ああ、今行く」
永月は言うと、右京の肩に軽く手を置き目配せをしてから部室を出ていった。
「…………………」
右京は一人残された部室で、もう一度スローガンを見上げた。
「…………………」
「えー!マジ?」
「見にこうよ!」
廊下から騒がしい女子の声が聞こえてきた。
「どーしたの?」
「なんか、蜂谷先輩が彼女連れてきたんだって!」
……なぬ?
右京は素早く廊下に視線を向けると、その声がした方向に走り出した。