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ーーーあれは擂鉢街のほぼ中心での出来事であった。 我々マフィアは《羊》の武装少年達と戦っていた。その日仕掛けたのは我々の方であったが、元はといえば二日前に《羊》がマフィアの構成員が乗った旅客機を堕としたからであり、そして航空機を堕としたのは先週に我々が《羊》の倉庫を襲撃したからであり、その原因は《羊》が先月・・・・・・まあ、そんな風で、どちらが最初の原因かなどもはや誰も記憶してはいない。ノワール映画と違って、明確な善悪の因果があることは我々の世界には殆ど無い。今更云うまでもないとは思うが。
うう寒い・・・悪いがそこの隙間風を瓦礫で防いでくれないか? そうだそこだ。ありがとう。それでだな。ちょうど抗争へ向かう途中だった。 いきなり黒い爆風に、我々全員が吹き飛ばされたのは。
先程私の屋敷を吹き飛ばした《GSS》の爆発など、あれに較べれば赤子のくしゃみのようなものだ。 大事な部下は皆死んだ。 異能によって亜空間を展開していたため、私だけどうにか生き残った。
そこはーーーそこにあった世界は、とても一言では言い表せん。 少なくとも、この世ではなかった。黒い炎、沸騰する大地。家屋はたちまち融解し、空気は燃え尽き、電柱は倒れるよりも速く灰となった。
あえて形容するならばーーーそれは地獄であった。絵巻物に出てくる、何百年も前の作家が想像で描いたような、奈落の底の風景であった。 、、、 その奈落の中心に、そいつはいた。
爆発の中心にいたのはーーー先代ではなかった。全く似ても似つかぬ姿であった。 そいつは人間ですらなかった。 獣。 黒き獣だった。 四足歩行の獣。毛皮は炎。太い尾も炎。 一対の瞳も、煉獄から吹き出したかのような炎であった。大きさや輪郭は、手足を地面についた人間に似ておった。だが、他のあらゆる点は人間を超えていた。何より存在感が違った。有史以来のあらゆる厄災と虐殺を濃縮し凝縮した肉体とでも云おうか。あるいは天体や銀河が持つ、この世界の根源そのもののエネルギィが具現化した姿とでも云おうか。 間違いなく云えるのは、そこには悪意はなく、怒りもなかった。感情の震えそのものがなかった。そいつはただそうしてあるから、そこに存在しているのだ。私はこの現象を合理的に説明できる何かを求めて、周囲を見た。あるいは、これは敵の異能かも知れぬ。今思えば、あれ程の巨大な熱量を一人の異能者が出せる筈がないのだが、その時は他に仮説の立てようがなかったのだ。
だが周囲に異能者はいなかった。何も見ることができなかった。正確に云うならば、風景すら存在しなかった。地上のあらゆるものが高熱で揺らめいていた。空の色さえ定かに見えぬ程であった。ましてや風景などは水をぶちまけた水彩画の如くであった。この世のすべてが幽鬼に変わってしまったかのようだった。 ただ横浜の海が、遠くに眺めるあの海だけが、どこにいても変わらぬ灰色の鋼の表面のように、静かに凪いでいたのを妙に憶えている。海を残して他のすべてを消し飛ばしたその獣が、こちらを見た。内臓に溶けた鉛を流し込まれるような感触がした。次の瞬間、信じられぬことが起こった。 私の異能ーーー亜空間領域に罅が入ったのだ。銃火であろうと、刀剣であろうと、あるいは雷、光線、音圧であろうと、空間そのものが異なる場合、それを飛び越えることは決してない。右手の小説に書かれた主人公が、左手の小説に書かれた悪人を倒せぬのと同じ。そもそもの次元が違うのだ。だが、その獣はそれをやってのけた。
物理法則を超えて来たのだ。ならば獣は神か悪魔か。
私はすぐさま亜空間を張り直した。だが張り直す一瞬の隙だけで、奴には十分であった。見えない何かが私に叩きつけられた。それは力そのものの奔流。熱や光や雷といった具体的な力に変換される前の、原初のエネルギィ。おそらく黒い炎は、この原初のエネルギィの余波、爆炎からあがる煙のようなものに過ぎないのだろう。そのエネルギィを叩きつけられたのだ。とても一介の異能者にどうこうできる次元のものではない。亜空間を張り直した時には、既に私の体は宙へと吹き飛ばされていた。もう一秒防御が遅れていれば、全身の細胞を潰されて、私の肉体だったものは跡形もなくこの世から消えていたであろう。だから踏みとどまらず吹き飛ばされたのは、むしろ僥倖だったと云える。私が意識を失う寸前、獣の咆哮を聞いた気がした。やはり何の感情も含まぬ声であった。私にはそれが怖かった。怖がらせようとする声ではない。威嚇でも脅迫でもない。ただそこにそうしてあるだけの声。私はすぐに理解した。そいつはただ存在するだけで、これほどの破壊を引き起こすのだ。どんな抗争よりも恐ろしかった。空中を舞い、地面を転がった。そこから先の記憶はない。どうにか救出されこうして生きているのはまったくの幸運でしかない。奴に私を殺そうとする意志がほんの毛一本でもあれば、私は即死していた筈だ。
あれが神なのだと誰かが云うなら、私はそれを信じる。 洪水に殺意はない。火山に殺意はない。颱風にも、落雷にも、津波にも殺意はない。 だが大勢の人を一瞬で殺す。あの獣はそういったものだ。 そのような存在をこの国では《神》と呼ぶ。それ以外に、どんな呼びようがある?
蘭堂さん
太宰治
太宰治
雫
中原中也
太宰治
太宰治
雫