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救急車には里志が付き添った。 その直前に
里志
と里志は言った。打ちひしがれている愛夜子が心配でならなかったのだ。
愛夜子
その言葉に里志は返事が出来ぬまま、救急車はサイレンを鳴らし出発した。
救急車が去り、一人ぼっちになった愛夜子は大きなハサミを取り出した。
そして自分の髪を鏡を見ながらグチャグチャに切り刻んだ。自慢の艶やかな緑の黒髪を。
鏡の中の愛夜子の涙はどんどん渇いて行き、能面のような表情になって行った。
着の身着のまま愛夜子は、つっかけのようなサンダルで家を跡にした。
***
愛夜子は、自分の中でなにかが少しずつ失われ行く感覚を憶えた。
一方、望子は流産した。
***
里志は、あれから帰宅し、鍵が開けっ放しなのを不審に思った。
里志
返事がない。
里志
愛夜子の携帯電話は置き去りにされている。髪の毛が……! 愛夜子の綺麗な髪の毛の無残な姿。転がっているハサミ。
里志は悲しみと不安に体が震えて来た。
――――愛夜子は、望子の子どもが亡くなった日に行方不明になった。
里志は、すぐに愛夜子の田舎の母親・麻矢子に電話をした。
里志
里志はこれまでの経緯を麻矢子に詳しく話した。
里志
麻矢子
思いのほか麻矢子は冷静なので里志は不思議に思った程だった。
そして麻矢子は付け足した。
麻矢子
―――― 愛夜子は上衣のポケットにお金を突っ込んで飛び出していた。
あたし、どうしてここにいるんだろう?
海を見ている時に不意に思った愛夜子。が、ものの1分もせぬうちにその疑問は泡のように消えてしまう。
真夜中になり、国道を歩く愛夜子。歩道があろうとも、人が歩くような道ではない。
何台もの車が徐行をし、見知らぬ男が愛夜子に声を掛ける。
街の男
愛夜子は一心不乱に歩くだけ。もはや恐怖も、不安も、悲しみもない。
それでもついて来る車の男がいた。男は車を停車し、降りて来た。
街の男
と部屋着のノースリーブワンピである愛夜子のむき出された肩を掴む。
愛夜子は黙って遠くを見ている。
街の男
愛夜子は声を発さず、その男の小指を血が出るほど思い切り嚙んだ。 男は痛みに声を上げ、恐ろしがり逃げた。
***
何カ月も時が過ぎて行った。
里志は絶望の中『この女性を知りませんか』『行方不明です』『110番ください』と書かれた愛夜子の写真の載ったチラシを街頭で配った。 時間のある限りそのことに専念した。
***
愛夜子は、お金がなくなれば色街のはずれに立った。
そんなことをしても、洗濯の意味や、身なりを整えることを忘れてしまった。
悪臭のする服を着、滅茶苦茶なヘアスタイルの愛夜子を面白がる男たちが愛夜子を抱き、金を支払った。
「浮浪者さながらだけど凄くイイ女がいる」と、そういった遊びをする男たちに一気に噂が広がり、愛夜子はなんとか食い繋いでいた。 夜になれば簡易的なホテルに泊まったり、公園で一夜を明かした。
***
――――愛夜子は、記憶と言葉を失った。川原でボーっと水面を眺めていたところ見つかった愛夜子。
医師により『記憶喪失と、トラウマによる失声症』と判断された。
愛夜子
愛夜子
愛夜子
愛夜子
医師と看護師が聞き取れるのは「さとし」「あいしてる」ぐらいだ。 他にもなにか言うが、愛夜子の他の言葉の発音は不可思議なものだった。 彼らの言葉は全く愛夜子に通じない。
夕方になり、警察から電話連絡を受けた母である麻矢子が島根から東京の病院に到着した。
看護師の案内で個室の病室に麻矢子は通された。
麻矢子
駆け寄り、嗚咽する母。愛夜子を抱きしめようとしたその時だ。
ドン!
麻矢子の肩を払いのけるかのように思い切り押した。
医師
そばにいた医師と看護師が、床に倒れ込んだ麻矢子へと慌てて駆け寄る。
麻矢子
ゆっくりと麻矢子は辛そうに立ち上がった。
愛夜子は麻矢子の様子を面白がるみたいに見ている。
愛夜子
と笑った。
麻矢子は娘が不憫で胸が張り裂けそうだ。
ガチャリ……。
暫くし病室の扉が開いた。
里志だ。
愛夜子の表情が一変した。切なげな悲しげな顔に変わり、頬をツーッと涙が零れた。
里志
泣いて、泣いて、名前を呼ぶことしか出来ない里志。
愛夜子
愛夜子が繰り言のように言い出した。
里志には、愛夜子の言葉が理解出来た。
里志
しかし、愛夜子に里志の言葉が通じない。
里志が愛夜子の言葉を理解出来たって、愛夜子はこの人が里志だと、わかっていないかもしれない。
ギュッ! と力強く、さらに痩せてしまった愛夜子を抱きしめる里志。
愛夜子
泣きわめき里志にしがみつく愛夜子。
医師は看護師に促し(自分たちは廊下に出よう)と合図をした。 麻矢子も部屋を出ることにした。
今すぐ口づけたい気持ちを里志は必死で抑えた。だって、愛夜子は自分にしがみついて来たが、自分のことを里志だとは認識出来ていないかもしれないのだから。 可哀相なことをしてはいけないと感じた。
が、キスを……里志にしがみついた愛夜子からして来た。
愛夜子
と口づけた後言った。
愛夜子の中に今パッヘルベルのカノンが鳴り続けている。
里志
と問うと、コクリと愛夜子が頷いた。
愛夜子
愛夜子
里志
すると愛夜子は小首をかしげた。長い言葉が難しいのかもしれない。
里志
自分を指さす里志。そして愛夜子に向かい両手を広げる里志。
里志
愛夜子が、うんうんと泣きながら頷いた。
愛夜子は行方不明から半年経ち、こうして里志の胸に帰ることが出来た。 声と記憶を失った。 それらは戻って来るかもしれないし、もしかしたら二度と戻らないかもしれない。 ただ、里志の存在と、里志への愛だけは憶えていた。
――――二人は結婚した。
里志のいない時間帯には、今必ず介護者が愛夜子についている。
***
今日は里志の休日。 愛夜子と里志、しっかりと着込みふたりで冬の海を見に行った。
それは、愛夜子が朝
愛夜子
と里志に上目遣いに言ったからだった。
海に行きたいのだな
と、すぐに里志には通じた。
愛夜子はあのデートをきっと憶えているのだろう。海月にはしゃいだ、大好きな海に抱かれた里志との宝物のような時間を。
里志にはすぐに愛夜子の言いたいことが不思議と伝って来る。
***
――――愛夜子は青空に、無数の万華鏡の中身が飛び散るのを見て言った。
愛夜子