これは、実際の話です
今、アイドルにリア恋をしている
方に。
少しでも私のお話で、、、
共感してくれると嬉しいです💖
私は、防弾少年団という
テヒョン氏に恋をしてます。
歴3年半。
訳ありで2回もペン卒してます
今から書く話は
私と同じような人に
少しでも勇気を持って欲しいと思うからです!!
ぜひ!最後まで見てくださいませ
どんな内容か
簡単に説明したいと思います!
私は2回もペン卒をしている。その訳、、今まで乗り越えてきたこと、そして今本気の恋をしたことをテーマにしたお話です💖
話が長くなりましたね!
初めて行きたいと思います!
今は私は、中学1年です
3年生の冬。
とある。番組で私は彼ら達に
出会った。
それは韓国の番組。
そこには東方神起も番組に
参加していた。
私のおばあちゃんは
東方神起というアイドルの大ファンだ。
ついでに、そのおばあちゃんのDNAを受け継いだのか
私のお母さんもNEWSというアイドルの大ファンだ。
私が出会ったきっかけの
韓国番組では…
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
という感じで
おばあちゃんは盛り上がっていた
私の心
ここ菜
ここ菜
ここ菜
この頃の私は本当にイケメンに興味がなかった、。
ここ菜
ここ菜
まぁ、こんなとこでした。
不快に思われた方ごめんなさい。
ですが、今ではバリバリの
オタクなので、、、
この時のことなので少し
おおめに見てください😖
ふとした瞬間のことでした
テレビの音から
방탄 소년단입니다
(防弾少年団です)
という声が聞こえた。
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
その声が聞こえた後、
彼らのパフォーマンス。(DANCEを見ました。)
私は小さい頃からDANCEが大好きです。
なので、DANCEには興味がありました。
私が彼らのDANCE見た瞬間の一言は、
ここ菜
ここ菜
このような言葉が飛びこんで
きました。
私の恋の出会いはここからでした
いつの間にか、
防弾少年団のことを調べはじめてました。
そして何日か経った時。
私はFCに入りたいと思いました。
博士
博士
そして
私が4年生になりたての頃、
1度FCに入りたいとお願いすることにしました。
ここ菜
お母さん
ここ菜
お母さん
お母さん
ここ菜
この頃の私は。駄目と拒否られるのが怖くてグループ名まではいえませんでした。この頃のお母さんは本当に怖かったからです。。。
お母さん
ここ菜
ここ菜
お母さん
ここ菜
お母さん
お母さん
と言われました。
私はこれを聞いた瞬間涙が
溢れました。
その訳とは。
私は小さい頃からずっと怒られてばっかりでした。
急にお母さんがパニック障害という病気になり。
東京からある所に引越し、
仕事も全部やめて
リセットから始まったからです。
東京にいた時は。結構儲かっていて。色んなものを買ったり旅行したりしました。
ある所に引越してからは、
全てリセットから始まるので
家はおばあちゃん家に住んでましたが、、、
新しく仕事もする感じでした。
100均で物も1つも買わせてもらえなかったり。の日々でした。
その時の口癖は
何も買ってもらわなすぎてw○○買って!の一言でしたw
○○買って!と聞くだけでももの凄く怒られました。
そんな日々が続いてたので
お母さんも生活で必死だったのだと思います。
だから。ファンクラブ入りたい。なんて。言えたのもあの時の自分的には頑張ったな。って満足してましたww
4年生になりたての頃に働いてからみたいな感じでいわれ。正直、頭が真っ白になりそんなことまでまだ考える。年頃?じゃなかったので、本当にその時は訳が分からなくなってました。
それでも私はしつこくファンクラブに入りたいと言いました。
ここ菜
お母さん
お母さん
ここ菜
お母さん
ここ菜
お母さん
ここ菜
お母さん
ここ菜
お母さん
ここ菜
と、こんな感じの日々でした、
次はお母さんだけでなく。
お父さん、お兄ちゃんまで
反対し始めて。
それでも私は、
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
お母さん
アピールし続けました。
ですが、
無視し続けられたので
毎日泣いていたので
嫌になって、ペン卒を1度しました。
ペン卒をしたと言っても、毎日彼らのDANCEの動画を見てました。
やっぱり。諦めきれずに、
頑張ってました。
私の中ではバンタンはいなくてはならない。存在でした。
いつの間にかペン卒したつもりが、復活してました。
でも。
私の2回目のペン卒は
あの。神戸事件です。
博士
博士
博士
博士
博士
博士
博士
博士
そう。
私はテヒョン推しだった。
私にとってバンタンは生きがいだった。
謝ったと思ったら。
日本語で謝れるはずが、韓国語で謝った。炎上するまでは、ずっと謝らなかった。
私は裏切られた気分になってしまい。がっかりした。
何を信じたらいいのかも。分からなくなり。嫌になり。ペン卒をしてしまった。
6年生の7月。
私はまた復活をさせた。
また信じてみようと思ったからだ。
復活したとはいえ。相変わらず親にはもう反対。
お母さんのNEWSデビューしてから15年たったとする。そしたらお母さんのNEWS歴は13年だ。とてもじゃないけど、好きな歴はかなわなかった。
でも。そこに
たった一人だけファンクラブに入るのを賛成してくれた人がいた。
それはおばあちゃんだった。
おばあちゃん
お母さん
おばあちゃん
お母さん
おばあちゃん
お母さん
おばあちゃん
おばあちゃんはこう言ってくれた。
それでもお母さんは
認めてくれなかった。
6年生の12月
友達との関係で
私は不登校になった。
本当に辛かった。
辛すぎて。リスカも何度もしたぐらい。
本当に生きてる自分が怖かった。
でも、私は防弾少年団の歌に救われた。
命が救われた。
防弾少年団の曲を聞いていた途中に
私は包丁を待って胸に気づいたら当てていた。
防弾少年団の歌が耳に入ってきた。
私は自然と包丁を戻した。
その姿を見たお母さんは。
納得をしてくれた。
お母さん
ここ菜
ここ菜
お母さん
お母さん
私はこの時嬉しくて涙が溢れだしました。
私がいちばんその時期に泣いた曲は
テヒョンのソロ曲の風景でした。
ライブビューイングでは、
ここ菜
ライブビューイングが始まった
歌ったりするのをやめ
会話したり休憩?の時間がある。
その時。
私の想いが繋がったかのように。
普通のソロでは歌わなかった風景を。
テヒョンは、
テヒョン
テヒョン
と言い。彼は歌い始めてくれました。
テヒョン
と、言われ。
私は泣きながら歌いました。
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
ここ菜
コメント
2件
本当にこの話泣けました! 私はSEVENTEENのアイドルが 好きで、私も4年生で好きです! ファンクラブにも入れず、 勉強を頑張れと言われる一方です!でもこの話をよんで、私は 頑張ろうと思いました!
めっちゃ(*´꒳`*)ヨキヨキ