霧のような人だった
近くに見えて掴めない 存在の有無すら不明瞭な人だった
現れて、消えて、また現れて
追いかけるだけで どうしても追いつけない人だった
それでいいから もう少し追いかけていたかった
もう現れることはありませんか
よく晴れた7月の初めだった
蒸し暑さが日焼け止めを流して 真っ白な汗を作っていた
かろうじて見つけた日陰を取り合って
手持ち扇風機を“強”にして
日焼け止めを塗り直していた
あみ
私
あみ
ゆき
私
あみ
ゆき
あみ
私
ゆき
あみ
なんでもない会話
“女の子同士”の魔法で どんな会話もできる
どんな顔も見せられる
ゆき
私
あみ
ゆき
あみ
ゆき
私
ゆき
私
ゆき
あみ
ゆき
私
ゆきはこの間、推しのキスシーンで台パンした反動でコップを割った
お気に入りのコップだったらしく、2日は病んでいた(どっちに?)
正直、引いた
本人はリアコではないと喚いているがしっかり浸かっていると思う
ゆき
ゆき
あみ
あみ
私
あみ
私
私
ゆき
あみ
私
私
ゆき
私
あみ
あみ
私
倒れ込むようにベッドに入る
久しぶりのカラオケ楽しかった…
推しの話、上手く言えなかったなぁ
私
これは疲れのため息
ストレスのため息ではない
スマホを開ける
頭の中ではあみが歌った曲が まだ流れている
あ、配信してる… なんだろ
宮牧海人
宮牧海人
なんだろ、雑談配信かな?
宮牧海人
○あんころもち そんなことない ─────────────── ○❦るる❦ ありがとう💕 ─────────────── ○せとぐち どしたん
宮牧海人
○たぐちゃん 握手会良かった
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
○きゅうび ナイス配慮 ─────────────── ○寛貴 次こそは行かせてくれ
なんだろう、この感じ
宮牧海人
全くいい知らせだと 思えない声のトーン
落ち着いた雰囲気は 彼特有のものだったけれど
こんなに不気味ささえも 覚えるものだったか
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
急速に流れるコメント
打ち込まれるのは 同じような言葉ばかり
一瞬で冷えた手で私のアカウントはコメントを打てなかった
嘘でしょ…
私
驚くほどに冷静だった
怖いくらいに実感がなくて
私
明日の彼はまた配信枠をとる
明後日はいつメンでコラボ配信
明々後日はオフコラボ
もう一ヶ月後には彼がいないこと
酷く現実的ではなかった
私
私
言い訳がましくて さっきの配信のコメント欄を開く
“あなたの行く末に 幸多からんことを”
もう、そんなに吹っ切れてるんだ
ほんのちょっと嫌味っぽいことを思った私に腹が立つ
私のほうが好きだなんて、 思ってもないけど。
彼の選択に納得できない 幼稚な私と
大人びたコメントの 耳障りの良さ
チグハグすぎて
このコメントもリスナーの意見になるのが嫌で
この文が彼に伝わることがどうしても嫌だった
精一杯を文字にして 彼に届くよう願った
○みみみ まだ全然心の整理がついてなくて 自分の気持ちが分からないけれど、この一ヶ月、これまで以上に追いかけさせてください。
あみ
ゆき
私
ゆき
私
あみ
私
いつものように笑顔を見せた
私
あみ
ゆき
私
ゆき
あみ
ゆき
夏休みかぁ
きっとそのときには 彼はもう観測できない
観測なんて言ったら なんか変な感じだけど。
彼のいない生活は どんなものだろうか
毎週火曜日の定期配信の楽しみを 何で埋めたら良いのだろうか
たまにやる深夜のゲーム配信とか
彼独特の言葉選びとか
賢明で優しい考え方とか
出会う前には戻れない
…なんて
私って彼にとっての誰なんだよ…
こんなフられた彼女みたいなこと言っても彼は留まらないし
どうしたって彼には届かない
近いようで全く届かないんだよな
あみ
私
ゆき
あみ
私
ゆき
私
あみ
私
ゆき
あみ
私
カバンを置くと、どっと疲れが襲ってくる
帰宅すれば大体そうなのだが 今日はいつもより酷い
なんか、ずっと考えてた気がする…
彼の幸せとは何なのか、とか 私の幸せとは何なのか、とか
推す側、推される側、という関係は糸のように細い関係だと思う
推す側がいなければ 推される側は成立しないが
それは推される意志がないと 成立しない
推される側の承認欲求だ
つまり、
私
私
彼にだって彼の人生があると言ってしまえばそれ以上も以下もない
でも、私はそれでも彼をずっと見ていたかった
この気持ちは独りよがりか否か
私
私
“推しには幸せになってほしい”なんて綺麗事だ
辞めることが彼の幸せだとしても それを受け入れられないくせに
推す側はわがままだ
それでも
私
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
いつもと変わらない彼が 悲しくて寂しかった
日が傾いてきた夕方
私は公園のベンチに座って ペンを握っていた
この前、カラオケの帰りに 休憩した公園だ
あのときはギリギリ 引退を知らなかったんだなぁ
今も彼の引退に現実味はない
きっと月が変わっても 私は彼が引退したとは思えない
きっとそれは炭酸が抜けるように
時間をかけて 泡の粒が弾けるように
甘ったるさと同じように 鮮烈な思い出だけを残して
物足りなさを感じて やっと気づくのだろう
私
もともとファンレターなんて 書いたことないし
これが彼に届くと思うと ちょっと怖い
グッズ買ったことないし 配信全部追ってないし
そもそも一年ちょっとの歴のリスナーの手紙って
他のリスナーは もっといい手紙書く気が、
私
私
昔のネッ友を思い出した
そんなに話したこともないのに彼女に励ましのメッセージを送った
一方的すぎたけど、それでも彼女は喜んでいた、と思う。
今思えば、彼女に認知されたい自己満足だったのかもしれない
私
私
きっとこれも自己満足だ
グッズ買ってないしリアタイも少ないし知らないアーカイブの方が多い
でも
私が彼を好きだったことを 彼に知ってほしい
そして、これからもきっと好きだと伝えたかった
コメントのように文字制限はないし消費するのはインクだけだ
この気持ちに一つも嘘をつかないで彼が好きだと綴った
もうちょい右…あ、行き過ぎ!ナイス!あー…そこで!
全部バミっちゃって〜
スポット調整するからそこ立ってて〜
舞台準備、残り一分です。
小道具準備できてる?
中割もうちょいせめて大丈夫です!
蓄光ください!
舞台セット終了します。 ありがとうございました!
先輩
私
唐突に先輩が口を開いた
前を向いている先輩は 何を考えているか分からない
先輩
私
私
先輩
私
先輩
私
私
先輩
私
黒猫が横切った
今日は彼の引退配信の日だ
早くかえりたい
先輩
私
先輩
私
先輩
先輩
私
私の趣味が見透かされたようで怖かった
先輩は、私がどのように変に見えたのだろうか
私
先輩
先輩
私
先輩
諦めたような声が痛かった
でも伝えるのは怖かった
表面上だけでも最後の晴れ舞台を飾る後輩になりたかった
彼の配信まで時間がない
先輩
私
先輩
私
先輩
先輩
悲観的に考えていいですか
それは、私がいるからですか
先輩
今日、彼は引退する
明日から彼の配信を楽しみにすることも頑張る理由にすることもない
この場で彼の 配信者の物語が完結するのだ
宮牧海人
宮牧海人
色々あったよ
あんたがいなくなるって知って
夏が始まって
お芝居の才能がないって知って
一杯いっぱいで
わがたまりだけが残っている
宮牧海人
宮牧海人
一年とすこし、つまらなかった事なんてなかったのに
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
当たり前に明日の話をする彼があまりにも自然体で
彼はこれからも生きていくのだと思った
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
もう、終わっちゃうみたいに
ふと、最後の言葉はなんだろうと過ぎった
毎度“またね”と言ってくれる彼に“また”はあるだろうか
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
宮牧海人
緞帳が上がる音がする
スポットが当たる
お腹から声を出す
表情をつくる
操り人形の真似事のような一時間
最後の言葉が耳から離れない
少しでも期待してしまったのが苦しい
セリフが飛ぶ 動きに粗が出る
先輩