向日葵
見た目は、木でできたパーツを組み合わせた、立体パズルのような箱。
非人道的な手法により強力な「女子供を殺す呪い」を込めた呪具である。
「コトリバコ」が最初に生み出されたのがいつかは定かでは無いが、2chオカ板の書き込みで言及されたモノが作られたのは1860年代後半頃だという。
現在でいう所の島根県に相当する「出雲の国」には、周囲から酷い差別・迫害を受けている部落(※)があった。
※元の書き込みの中では「便宜上ここでは部落と書きますが、実際の話の中ではもっとひどい言葉でした」とのこと。この記事でもそれに倣い「部落」と表記する。
この部落に、1868年の隠岐の反乱で反乱を起こした側に属する男が一人落ち延びてきた。
部落の人間は、これ以上の厄介事を抱えたら迫害がさらに酷くなると考え、男を殺そうとしたが、男は「命を助けてくれたら、武器をやる」と取引を申し出た。
その武器というのが、他ならぬ『コトリバコ』の作り方であった。
その「箱」を作るには、あまりに凄惨で非人道的な行いに手を染める必要があった。
しかし、迫害から逃れる為にその部落の人間達は「箱」を作った。
そして最初に作られたコトリバコは部落へ差別を行っていた者たちの元へと送り込まれ……わずか2週間足らずで、庄屋の家の女が1人と子供が15人、血反吐を吐いて苦しみ抜いて死んだ。
この殺戮劇をもって、部落は周囲の全ての地域に伝えた。
「庄屋の家の惨劇は自分たちの呪いの効果である。今までを許す事はできないが、放っておいてくれれば何もしない。仕返しを考えたりすれば再びこの呪いを振りまく。呪いの箱は既に7個あり、これからも作り続ける」と。
こうして13年にわたってコトリバコは作られ、使われ、最終的に失敗せず完成した物だけでも16個の箱が作られたある時。
部落の中で、子供が知らずに持ち出してしまい、家に持ち帰ったその子を含めた家中の女と子供がその日の内に全員死亡する惨劇が起きた。
ひとつ間違えれば自分自身でも制御できない諸刃の剣である事を改めて思い知った部落の人間は、箱の処分を試みるために、近くの地域の神社に持ち込んだ。
しかし、呪いはあまりに強すぎた。
その場で祓う事ができないと判断した当時の神主は、箱1つごとに担当グループを設定し、一定年数ごとに持ち回りで保管して呪いを薄める事を提案した。
現代までに大多数の箱は解体が完了していたが、「チッポウ」と呼ばれる呪いが強い物はまだそれが済んでおらず、2chの書き込みの中で発見されたと言われているものもその一つである。
